幽刀星

氷翠

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歩・二十七「囁」

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夜の冷気が、町ヘットの宿の壁越しに忍び込んでくる。
焚き火の熱も、この寒さの前ではただの慰めだ。
俺は椅子に腰を下ろし、手元のカップの中でぬるくなった湯を揺らした。
目の前にはエノクとカサレア。
二人とも、俺が「話がある」と言った時点で、ただ事じゃないと察している。

「……今まで黙ってたことがある」

そう切り出した瞬間、エノクの眉が僅かに動き、カサレアの目が細くなった。
彼らに隠し事をするのは、本当は気分のいいものじゃない。けど、この話は軽々しくするべきじゃなかった。

「影のことだ」
「影?」

エノクが首を傾げる。

「あの夜、バラキエルの時にも何か言ってたな。『見える』とかなんとか」
「ああ。……俺には、死んだ人間の“影”が見える。形も声もないこともあるが……大抵は、その人間の意識の残滓みたいなもんだ」

カサレアが少しだけ息を呑んだ。

「それは……幽霊みたいな?」
「幽霊と言えば、幽霊だな。ただ俺が見てるのは、遺体から立ち上がる“その人そのもの”だ。生きていた時の嘘も建前も全部剥がれた、本来の意思……」
「つまり、嘘はつけない?」

エノクが短く言った。

「そうだ。これは俺が墓で何度も試した。影は嘘を言わない。言えないんだと思う。……だから、アミーの影が言ったことも、全部本当だ」

二人が黙った。重い沈黙が宿の一室に落ちる。

「……そのアミーってのは、レミエルを殺した女なんだよな?」

エノクが言う。

「ああ。そして、そのアミーを殺したのがバラキエルだ。アミーの影が言ってた――バラキエルは闇ギルドの人間で、ホド伯爵の手下から直接指示を受けて動いていた、と」
「ホド伯爵……またその名前か」

カサレアが眉をひそめる。
俺はカップの湯を飲み干し、深く息をついた。

「この力が何なのかはわからない。けど、確かに俺は声を聞いた。今までの影は“見える”だけだったが、アミーのとき、初めて話せた。……それが良いことなのか悪いことなのかは、まだわからない」
「少なくとも、今は情報を得られる手段になってるな」

エノクが短く笑う。

「ただ、その代わり……お前一人しか使えないし、誰にも代わりはできない」
「その通りだ」

俺はうなずいた。

「だから二人にも伝えておきたかった。俺が影の話をしても、普通の奴には信じてもらえない。だが、あんたらには信じてほしい」

カサレアは少し視線を落とし、それから静かに頷いた。

「……わかった。信じる。だって、アランが嘘をついてないのはわかるもの」

エノクは肩をすくめた。

「俺は最初から信じる気でいたさ。お前が見えるって言った時点で、そういう奴だと思った」

妙な安堵感が胸に広がった。
長い間、一人で抱えてきた重さが、少しだけ軽くなる。

「……それで、これからどうする?」

エノクの問いに、俺はすぐに答えた。

「サメフに行く。ここヘットから北に少し行ったところにある町だ。ヘットよりは大きいし、人も多い。ダアトに関する情報も集めやすいはずだ」

カサレアが首を傾げる。

「どうして今、ダアトのことを?」
「俺たちが最初に足を踏み入れた町だ。あそこで何が起きていたのか、何が俺たちを巻き込んだのか、改めて確かめる必要がある。……そして、そこにホド伯爵や闇ギルドが関わっている可能性は高い」
「ふむ……確かに筋は通るな」

エノクが腕を組んだ。

「サメフまで行くなら、多少の準備がいるな。道中で動く連中がいないとも限らん」
「準備は頼む。俺は……この力について、もう少し自分で探ってみる」

会話はそれで終わった。
けれど、俺の頭の中ではアミーの影の声がまだ残響していた。

──バラキエル、ホド伯爵、“彼”が動く……。

夜は深まっていく。
俺たちは静かに、それぞれの思惑を胸に、サメフ行きの支度を始めた。
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