幽刀星

氷翠

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歩・三十「変」

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冒険者ギルドを出てから、俺は一人で町を歩き回った。
サメフに比べればずっと大きな街だが、それでもダアトは交易で栄える地方都市に過ぎない。
けれど、だからこそ情報は集まる。
商人が往来し、港には船が着き、酒場には他国から来た冒険者が溢れる。
俺はその雑踏に身を投じ、耳を澄ませていた。
フードの女――彼女と交わした短いやり取りが頭から離れない。
わざと曖昧に答えを濁した態度。
けれど確かに、ホド伯爵の名前が彼女の口から囁かれた瞬間があった。
だからこそ、俺は確信したのだ。
動いている。
伯爵の手は確実にこの町にも伸びている。
アランやカサレアを狙った影の一端は、ここに潜んでいる。
俺は露店の親父に酒を勧められれば軽く受け、酔ったふりをして人々の会話を盗み聞いた。
宿屋では雑談を装い、冒険者たちが口にする名前や噂を心の中で拾い上げた。

「北の交易路で護衛が消えた」「黒い外套を着た一団を見た」「港で怪しい積荷が降ろされていた」――断片は小さい。

けれど、それらを繋げることで線になる。
やはり、暗殺者どもはまだ潜伏している。
夜が近づき、ギルドに戻る頃には、俺の中で考えは固まっていた。
誰か一人、確実にここで会わなければならない人間がいる。
だが、今は深追いすべきではない。アランとカサレアの身が第一だ。俺は再びサメフに戻り、二人と合流するため、夜明けと同時に街を発った。



サメフの宿。木の机に剣を立てかけ、窓から差し込む月明かりを見つめながら、俺は深く息を吐いた。
影。
あの黒い揺らめきは、確かに俺にしか見えない。
エノクにも、カサレアにも見えていない。
アミーの死骸から立ち上ったそれが口にした言葉が、今も耳に残っている。
ホド伯爵。闇ギルド。そして、バラキエル。
思い返すたびに、胸の奥にざわつきが広がる。
あれは怨嗟なのか、それとも魂そのものなのか。
俺には分からない。ただ一つ確かなのは――嘘をつけないということ。
影と向き合えば、誤魔化しは一切効かない。
心の奥底を抉られるように、全てが曝け出される。
俺が剣を磨いている間、カサレアは部屋の隅で杖を構え、魔力の流れを整えていた。
彼女は黙々と、けれど真剣に魔法の訓練を続けている。

「……アラン、見てて」

そう言って、彼女は小さな詠唱を唱え、光が彼女の腕を包んだ。
次の瞬間、カサレアの身体が軽やかに動き、空気を裂くような速さで床を蹴った。

「肉体強化の魔法……やっと、形になった」

誇らしげに息をつく彼女に、俺は頷いた。
補助魔法としては地味かもしれない。
だが、これがあるだけで戦況は大きく変わる。
俺たちは互いの存在を確認し合うだけで、十分に力になるのだ。
俺は視線を机に落とした。
そこに、影が揺れていた。
暗がりの中から、黒い煙のように這い出す。声が、した。

――お前は、まだ半分だ。

「……半分?」

問いかけると、影は静かに揺れ、やがて俺の胸元へと溶け込んでいった。
焼けるような痛みと共に、冷たいものが血管を流れ込む。
喉が渇き、視界がわずかに揺れる。

「……ぐっ」

机に手を突き、息を荒げる。
体の奥で何かが変質していく感覚。
血が、骨が、筋が――少しずつ違うものに作り替えられていくような。
影の一部が、確かに俺の中へと入り込んでいる。

「アラン……大丈夫?」

カサレアが心配そうに近づく。
俺は微笑もうとしたが、唇が強ばり、うまく形にならなかった。

「平気だ……ただ、少し疲れただけだ」

そう言って、影が消えた机を見やった。
あれは俺の錯覚ではない。
力が芽生えつつある。
喜ばしいことではない。
むしろ、恐ろしい。
だが同時に、今の俺にとっては必要なものだ。
仲間を守り抜くためなら、この身がどう変わろうと――。
夜は更けていく。
月は静かに窓から照らし、影は心臓の奥で脈打っていた。
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