幽刀星

氷翠

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歩・四十五「衝」

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訓練場の空気が、音を失ったみたいに沈んだ。
数十人。
闇ギルドの連中が、同じ方向へ体重を乗せる気配が伝わってくる。刃の匂い、革の擦れる音、呼吸の荒さ。戦う前の“群れ”の圧が、肌を押してきた。
俺の背中の奥が、嫌に冷たい。
影がどうこうじゃない。そこに何かがいる、という感覚だけが確かに刺さっている。
ベンが盾を前に出して言った。

「散るな。固まりすぎるな。背中を預けろ!!」

護衛の冒険者たちが、息を合わせるように散開した。十二人が一塊になれば目立つだけじゃない。囲まれて潰される。だから、互いに届く距離を保ちながら、輪を作る。
対して闇ギルドは倍以上。
数だけじゃない。動きに無駄がない。剣、短槍、鎖、投げ刃、弓。武器の種類が違うのは、最初から“分断と制圧”を狙っている証拠だ。
そして――奴は、後ろにいた。
バラキエル。
戦う気配がない。
先頭に立つでもなく、腕を振るうでもなく、ただこちらを見ている。まるで品定め。いや、測定。俺たちがどれほど持つのか、どんな癖があるのか、どこで崩れるのか。
その視線が一度、俺の中心を通り過ぎた気がした。



闇ギルドが一斉に来た。
最初は投げ刃。
風を裂く音が一拍遅れて届き、次に火花。冒険者の一人が短剣で弾いた瞬間、横から鎖が走る。鎖は足を絡め取り、転ばせてから刺す――そういう段取りの動き。

「足元!!」

誰かが叫ぶ。
俺は踏星の足運びで半歩ずらし、鎖の軌道を外した。鎖が地面を叩き、砂が跳ねる。次の瞬間、短槍が胸を狙って伸びた。俺は刃で受けて流し、柄を蹴って距離を切る。槍使いがよろける前に、もう次が来る。
派手だった。
武器がぶつかる音は金属の雨みたいに降り、怒号が重なり、足音が地面を揺らす。訓練場の壁に反響して、戦いが“もっと大きい何か”に聞こえる。
冒険者たちも、それぞれが技を持っていた。
火の粉を散らす斬撃。
石を弾き飛ばす突進。
回転しながら刃を振るう者もいれば、地面を蹴って跳び、上から落とす者もいる。誰もが、自分の得意な距離と型で戦っている。

「押されるな!! 外に出るな!!」

ベンが盾を打ち鳴らす。
その音が合図になって、護衛側の輪が一段固くなる。
ベンの防戦は、見事だった。
盾はただの壁じゃない。
角度で刃を逸らし、受けた衝撃を地面へ逃がし、体勢を崩した相手に肩をぶつける。盾の縁が肉を抉り、鈍い声が上がる。盾が攻撃に転じた瞬間、相手は“受け”の想定を失う。
ベンが前へ出るたび、周囲の冒険者が助かっていた。
ベンが壁を作り、他の者が隙間から刺し、引き、また壁に戻る。流れができている。
それでも数が多い。
闇ギルドは、倒れても次がすぐ入る。仲間を踏み越え、ためらいなく距離を詰めてくる。こっちは護衛の誰かが傷を負えば、その分が薄くなる。

「アラン!! 右!!」

声に反応して俺は身を沈めた。
頭上を矢が通り過ぎ、背後の壁に刺さる。矢を撃った弓手へ踏み込もうとした瞬間、前に短剣が二本飛ぶ。躱しても次が来る。狙いは俺だ。狙い続ければ、いつか当たる。

――そういう狩り方。

俺は息を整え、刃の角度を変えた。
相手の手首を狙う。殺す必要はない。動きを止める。闇ギルドの一人の手から短剣が落ち、地面を跳ねた。俺は踏み込み、肩口を浅く切り裂く。血が飛ぶ。男が呻き、後退る。
それでも、背後から別の影が迫る。



ベンが、盾で男を弾き飛ばした瞬間だった。
空気が変わった。
ベンの目の前に、いつの間にか“誰か”が立っている。
気配がなかった。足音もない。そこに現れたというより、最初からそこにいたように見える。
黒い外套の男。
長い髪。冷たい瞳。笑っているのに温度がない。
バラキエル。
ベンが低く言った。

「お前がバラキエルか」

バラキエルは首を傾けた。

「名を呼ばれるのは久しいな」

ベンは盾を前に構え、剣を抜く。

「エノクを殺したのはお前か?」

一瞬、訓練場の音が遠のいた。
俺の耳には、ベンの声だけが残った。
バラキエルの口元が僅かに上がる。
不敵な笑み。嘲りでも、肯定でもない、曖昧な刃。

「どうだろうな?」

その返事で十分だった。
ベンの肩がわずかに沈み、踏み込みの予兆が走る。

「……てめぇ」

怒りの言葉が喉の奥で固まり、代わりに足が動いた。
ベンが盾を前へ突き出す。盾が空気を割り、衝撃が“来るはずの場所”を潰す。普通ならそれで相手は跳ねる。
だがバラキエルは跳ねない。
盾の縁に指先を添えるみたいに触れ、滑らせ、角度を変えた。盾が狙いを逸らされ、ベンの体勢が僅かに崩れる。
その一瞬を、闇が切った。
バラキエルの刃が、音もなくベンの喉元へ走る。
ベンは盾を引き戻し、縁で受ける。火花が弾け、金属が鳴る。間に合った――だがギリギリだ。

「近いな」

バラキエルが囁く。
ベンは歯を食いしばり、盾で押し込み、同時に剣を横薙ぎに振った。
剣は鋭い。重い。盾役の剣じゃない。獲物を断つ剣だ。
バラキエルは半歩引く。引いたのに、距離が縮まる。
そう見えた。視界が追いつかない。ベンの剣先が空を切り、次の瞬間、バラキエルの刃がベンの肩を掠めた。血が薄く滲む。

「っ!!」

ベンは痛みを無視して踏み込み、盾を横へ振り抜いた。
盾の面が叩きつけられ、風圧が周囲の砂を巻き上げる。盾の一撃は、当たれば骨が折れる。
バラキエルは盾の面を蹴る。
蹴ったはずなのに、盾が重く沈む。ベンの腕に衝撃が返り、肘が痺れる。

「盾ってのは、便利だな」
「口が減らねぇな!!」

ベンが吼えた。
二人の戦いは派手だった。
派手なのに、恐ろしく静かな部分がある。
刃がぶつかる瞬間だけが爆ぜ、次の瞬間には気配が消える。踏み込みと間合いが読めない。目が追いつかない。
周囲の闇ギルドも、護衛の冒険者も、いつの間にか距離を取っていた。
巻き込まれれば死ぬ。そう悟った動きだ。
ベンは盾で守り、盾で殴り、剣で切り返す。
バラキエルは軽い。軽いまま、重い。刃が急所だけを狙ってくる。遊んでいるようで、少しでも油断すれば終わる。
俺の背中の奥が、さらに冷えた。
影は語らない。だが、胸の奥が軋む。逃げ場がない感覚が濃くなる。
ベンが、ほんの僅かに遅れた。
その瞬間、バラキエルの刃が“終わり”の線で走った。



俺は前に出た。

「ベン、下がれ!!」

声を投げたのと同時に、足が踏み込む。
バラキエルの刃とベンの喉の間に、俺の剣を差し込んだ。金属が擦れ、火花が散る。刃が弾かれ、空気が震える。
バラキエルが目を細める。

「やっと来たか」

俺は息を吐き、剣を握り直した。
目の前の男は笑っている。だが、その笑みは“歓迎”じゃない。獲物が檻に入ったのを確認した笑みだ。
ベンが背後で低く言った。

「アラン……」
「見てろ」

短く返した。
言葉を増やすほど、気持ちが割れる。
バラキエルが一歩踏み込む。
俺も踏み込む。
剣と剣が交わる。
重い衝撃が腕を抜け、骨に響いた。
ここから先は、もう逃げない。
逃げられない。
俺は刃を押し返し、視線を逸らさず、ただ前へ出た。
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