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四十七話「現」
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ざわめきは、音としてではなく、空気の歪みとして広がった。
誰かが声を上げたわけじゃない。
剣が鳴ったわけでもない。
それでも、訓練場にいる全員が、同時に“何かを見た”。
――見えてしまった。
俺の足元から、背中から、黒い煙のようなものが、ゆっくりと立ち上っている。
煙にしては、形がある。
影にしては、濃すぎる。
誰かが、喉を鳴らした。
「……おい……」
「今の……見えたか……?」
「……あれ、何だ……?」
ざわつきが、確かな音になっていく。
冒険者も、闇ギルドの連中も、区別なく、視線が俺に集まっている。
逃げ場はない。
隠しようもない。
俺は、静かだった。
怒りは、もうない。
あれほど燃え上がっていた感情が、嘘みたいに冷えている。
代わりにあるのは、澄んだ感覚だった。
剣の重さ、足裏の感触、空気の温度。
全部が、はっきり分かる。
――ああ、そうか。
怒りが頂点を超えたとき、人はこうなるのか。
冷静で、冷酷で、何も誤魔化せない状態。
俺の背後で、影が動いた。
煙のようなそれは、完全な形を持たない。
だが、輪郭だけは、人に近づいている。
肩。
腕。
頭部らしき膨らみ。
そして、その“顔”に相当する位置が――
バラキエルを、睨みつけた。
あきらかに殺意を向けている。
あきらかに憎悪を向けている。
バラキエルの動きが、一瞬止まった。
ほんの刹那。
だが、確かに。
「……」
目を細め、唇の端の笑みが、ほんの僅かに引き攣る。
怯んだ。
間違いない。
だが、次の瞬間、バラキエルは鼻で笑った。
「……はは」
乾いた笑い。
「なるほど。そういう手品か」
剣を構え直し、影を正面から見据える。
「幻術か、投影か……いや、どちらでもいい」
その声には、無理に平静を装った響きがあった。
「分からないものは、斬ればいい」
影が、動いた。
音はない。
地面を蹴る気配もない。
ただ、俺の意識に沿うように、
前へ――滑る。
その“手”に、黒い剣が形作られる。
最初は曖昧で、揺らいでいる。
だが、振り上げる動作と同時に、刃としての輪郭を得た。
バラキエルの目が、僅かに見開かれる。
「……っ」
影は、斬った。
横薙ぎ。
迷いのない軌道。
だが――
届かない。
影は、俺から離れられない。
見えない鎖で繋がれているかのように、
一定以上の距離を越えた瞬間、動きが鈍る。
刃先が、バラキエルの胸元に届く直前、影の動きが引き戻される。
剣は空を切り、バラキエルの外套を、ほんの僅かに掠めただけだった。
「……当たらない、か」
バラキエルは小さく息を吐いた。
それでも、その目は笑っていない。
「面白い。だが……不完全だ」
影は、俺の思う通りに動く。
少なくとも、今は。
踏み込め、と念じれば、前へ出る。
止まれと思えば、止まる。
だが、時折、“遅れる”。
俺の意識より、半拍ずれて動いたり、逆に、先に動こうとしたりする。
制御できている部分と、できていない部分が、はっきり混在している。
俺は歯を食いしばった。
――まだだ。
完全に使えるわけじゃない。
だが、無視もできない。
周囲の戦闘は、完全に止まっていた。
誰もが、この異常な光景を前に、次の一手を失っている。
ベンが、盾を構えたまま、低く言った。
「……アラン……」
心配と警戒が混じった声。
俺は、振り返らなかった。
視線は、ずっと前。
バラキエルだけを捉えている。
影が、再び剣を構えた。
今度は、縦。
俺の呼吸と、ほぼ同調している。
斬れ、と命じる。
影が、斬る。
――また、届かない。
だが、今度は、バラキエルが後ろへ跳んだ。
自ら距離を取った。
「……なるほどな」
バラキエルは、ゆっくりと剣を下ろした。
「理解した」
周囲を見回し、闇ギルドの連中に、手を上げる。
「ここまでだ」
その声に、部下たちがざわめく。
「だが――」
誰も逆らわない。
バラキエルは、影と俺を交互に見た。
「今日の目的は、果たした」
剣を鞘に収める。
「続きは……もう少し“形”になってからにしよう」
そう言って、背を向けた。
戦闘は、終わっていない。
だが――
バラキエルは、戦うことをやめた。
影は、まだ俺の背後にある。
煙のように揺れながら、俺から離れない位置で、確かに存在している。
俺は剣を下ろし、静かに息を吐いた。
次に会うとき、このままではいられない。
それだけは、はっきり分かっていた。
誰かが声を上げたわけじゃない。
剣が鳴ったわけでもない。
それでも、訓練場にいる全員が、同時に“何かを見た”。
――見えてしまった。
俺の足元から、背中から、黒い煙のようなものが、ゆっくりと立ち上っている。
煙にしては、形がある。
影にしては、濃すぎる。
誰かが、喉を鳴らした。
「……おい……」
「今の……見えたか……?」
「……あれ、何だ……?」
ざわつきが、確かな音になっていく。
冒険者も、闇ギルドの連中も、区別なく、視線が俺に集まっている。
逃げ場はない。
隠しようもない。
俺は、静かだった。
怒りは、もうない。
あれほど燃え上がっていた感情が、嘘みたいに冷えている。
代わりにあるのは、澄んだ感覚だった。
剣の重さ、足裏の感触、空気の温度。
全部が、はっきり分かる。
――ああ、そうか。
怒りが頂点を超えたとき、人はこうなるのか。
冷静で、冷酷で、何も誤魔化せない状態。
俺の背後で、影が動いた。
煙のようなそれは、完全な形を持たない。
だが、輪郭だけは、人に近づいている。
肩。
腕。
頭部らしき膨らみ。
そして、その“顔”に相当する位置が――
バラキエルを、睨みつけた。
あきらかに殺意を向けている。
あきらかに憎悪を向けている。
バラキエルの動きが、一瞬止まった。
ほんの刹那。
だが、確かに。
「……」
目を細め、唇の端の笑みが、ほんの僅かに引き攣る。
怯んだ。
間違いない。
だが、次の瞬間、バラキエルは鼻で笑った。
「……はは」
乾いた笑い。
「なるほど。そういう手品か」
剣を構え直し、影を正面から見据える。
「幻術か、投影か……いや、どちらでもいい」
その声には、無理に平静を装った響きがあった。
「分からないものは、斬ればいい」
影が、動いた。
音はない。
地面を蹴る気配もない。
ただ、俺の意識に沿うように、
前へ――滑る。
その“手”に、黒い剣が形作られる。
最初は曖昧で、揺らいでいる。
だが、振り上げる動作と同時に、刃としての輪郭を得た。
バラキエルの目が、僅かに見開かれる。
「……っ」
影は、斬った。
横薙ぎ。
迷いのない軌道。
だが――
届かない。
影は、俺から離れられない。
見えない鎖で繋がれているかのように、
一定以上の距離を越えた瞬間、動きが鈍る。
刃先が、バラキエルの胸元に届く直前、影の動きが引き戻される。
剣は空を切り、バラキエルの外套を、ほんの僅かに掠めただけだった。
「……当たらない、か」
バラキエルは小さく息を吐いた。
それでも、その目は笑っていない。
「面白い。だが……不完全だ」
影は、俺の思う通りに動く。
少なくとも、今は。
踏み込め、と念じれば、前へ出る。
止まれと思えば、止まる。
だが、時折、“遅れる”。
俺の意識より、半拍ずれて動いたり、逆に、先に動こうとしたりする。
制御できている部分と、できていない部分が、はっきり混在している。
俺は歯を食いしばった。
――まだだ。
完全に使えるわけじゃない。
だが、無視もできない。
周囲の戦闘は、完全に止まっていた。
誰もが、この異常な光景を前に、次の一手を失っている。
ベンが、盾を構えたまま、低く言った。
「……アラン……」
心配と警戒が混じった声。
俺は、振り返らなかった。
視線は、ずっと前。
バラキエルだけを捉えている。
影が、再び剣を構えた。
今度は、縦。
俺の呼吸と、ほぼ同調している。
斬れ、と命じる。
影が、斬る。
――また、届かない。
だが、今度は、バラキエルが後ろへ跳んだ。
自ら距離を取った。
「……なるほどな」
バラキエルは、ゆっくりと剣を下ろした。
「理解した」
周囲を見回し、闇ギルドの連中に、手を上げる。
「ここまでだ」
その声に、部下たちがざわめく。
「だが――」
誰も逆らわない。
バラキエルは、影と俺を交互に見た。
「今日の目的は、果たした」
剣を鞘に収める。
「続きは……もう少し“形”になってからにしよう」
そう言って、背を向けた。
戦闘は、終わっていない。
だが――
バラキエルは、戦うことをやめた。
影は、まだ俺の背後にある。
煙のように揺れながら、俺から離れない位置で、確かに存在している。
俺は剣を下ろし、静かに息を吐いた。
次に会うとき、このままではいられない。
それだけは、はっきり分かっていた。
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