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歩・四十九「導」
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闇ギルドは、当分は動かない。
訓練場での一件が、そう判断させた。
負けたわけじゃない。
だが、勝ってもいない。
あの引き際は、次の一手を考えるための撤退だ。
だから翌日、俺は一人で街に出た。
護衛を付けるべきだという声はあった。
だが、今日は断った。
一人で考えたかった。
ダアトの街は、昨日と変わらない。
港から漂う潮の匂い。
露店の呼び声。
石畳を踏む足音。
エノクが死に、レミエルが殺され、カサレアももう、この街にはいない。
それでも、街は何事もなかったように動いている。
復讐したい。
それは、はっきりしている。
だが、怒りのままに刃を振るえば、それはただの人殺しだ。
ネツァク・ホド伯爵を斬れば、確かに溜飲は下がるかもしれない。
だが、それでエノクが戻るわけでも、レミエルが笑うわけでもない。
意味のある形で、決着をつけなければならない。
そのためには、エンカイ子爵が戻るのを待つしかない。
理性がそう告げている。
分かっているからこそ、胸の奥が重い。
俺は露店が並ぶ通りへ足を向けた。
ここには、人間だけじゃない。
背の低い獣人が、牙を覗かせながら干し肉を売っている。
鱗を持つ亜人が、薬草を並べている。
長い耳を隠そうともせず、布を染める者もいる。
今まで、意識していなかっただけだ。
人間以外の存在は、この街にずっといた。
エノクも、レミエルも、そんな連中と肩を並べて歩いていた。
俺は商品を眺めながら、ふと足を止めた。
布を垂らした小さな天幕。
その奥に、占い師が座っている。
金髪で、エルフにも似た容姿。
だが口調は年老いた女性そのものだ。
優しく、柔らかい。
椅子の後ろには、杖が一本立て掛けられている。
「おや……」
占い師が俺を見て、微笑んだ。
「今日は、重たい顔をしているねぇ」
俺は促されるまま、椅子に座る。
机の上には、水晶球。
手相を見るための布。
水を張った小皿。
「手相、人相、水晶。どれを見るかは、あたしが決めるよ」
占い師はそう言って、俺の手を取った。
線をなぞり、顔を見て、最後に水晶へ視線を落とす。
その表情が、僅かに変わった。
「……なるほどね」
俺は息を詰めた。
占い師は、水晶球に両手を添えた。
指先が触れた瞬間、水面が僅かに揺れる。
しばらくの沈黙。
そして、占い師は低い声で、淡々と結果を告げた。
*
天より六星、地に堕ちぬ。
刃交えるは、揺らし子と不尽の者。
星が乱れるとき、地宿の者が現れ、
散りし運命をひとつに繋いでゆく。
されど──星は見ている。
選ぶのは、揺らし子。
*
言葉は、机の上に落ちたまま動かなかった。
「……俺のことか」
占い師は、首を横に振る。
「いいや。これは“これから起こること”だよ」
水晶から手を離し、穏やかに続ける。
「まだ形になっていない出来事。けれどね……」
占い師は、ちらりと俺を見た。
「その流れに、あなたは関わる。だから、この結果が出た」
それ以上の説明はなかった。
重要そうに語るでもなく、意味深に引き延ばすでもない。
ただ、占いの結果として、そこに置かれただけの言葉。
「深く考えなくていい」
占い師は、軽く言った。
「起きるときは起きるし、避けられるなら、避けられる。占いは、その“影”を映すだけさ」
「これから向かう先を知りたいかい」
「知りたい」
「ティファレト王国だ」
理由は語られない。
「そこに、仲間がいる。今は顔も知らない仲間がね」
俺は、すぐには頷かなかった。
「まだ、ここでやることがある」
「そうだろうね」
占い師は否定しない。
俺は、もう一つ聞くべきことを口にした。
訓練場で起きたこと。
背後から現れた黒いもの。
意思に反応し、動き、消えた存在。
占い師は、静かに聞いていた。
「……見たことがあるよ」
「本当か」
「ええ。でも、あなたのは完成している」
占い師は、穏やかな声で言った。
「それは“影身(えいしん)”という」
初めて聞く名だったが、不思議と腑に落ちた。
「そういう力を持つ者を、“武威”と呼ぶ」
言葉に、特別な重みはない。
ただの分類のように。
「あなたは“聖霊武威”だよ」
「他にも、いるのか」
「ええ。珍しいけれど、唯一じゃない」
それ以上、占い師は語らなかった。
自分が何者か。
なぜそれを知っているのか。
何も明かさない。
俺は椅子を立った。
「ありがとう」
「気をつけて行きなさい」
その言葉に、含みはなかった。
露店の喧騒へ戻りながら、俺は考える。
復讐はしたい。
だが、意味のない殺しはしない。
エンカイ子爵が戻るまで、俺は待つ。
待ちながら、準備をする。
影身のこと。
武威のこと。
ティファレト王国のこと。
全ては、まだ繋がっていない。
だが――
このまま、何もしないわけにはいかない。
俺はダアトの街を歩き続けた。
訓練場での一件が、そう判断させた。
負けたわけじゃない。
だが、勝ってもいない。
あの引き際は、次の一手を考えるための撤退だ。
だから翌日、俺は一人で街に出た。
護衛を付けるべきだという声はあった。
だが、今日は断った。
一人で考えたかった。
ダアトの街は、昨日と変わらない。
港から漂う潮の匂い。
露店の呼び声。
石畳を踏む足音。
エノクが死に、レミエルが殺され、カサレアももう、この街にはいない。
それでも、街は何事もなかったように動いている。
復讐したい。
それは、はっきりしている。
だが、怒りのままに刃を振るえば、それはただの人殺しだ。
ネツァク・ホド伯爵を斬れば、確かに溜飲は下がるかもしれない。
だが、それでエノクが戻るわけでも、レミエルが笑うわけでもない。
意味のある形で、決着をつけなければならない。
そのためには、エンカイ子爵が戻るのを待つしかない。
理性がそう告げている。
分かっているからこそ、胸の奥が重い。
俺は露店が並ぶ通りへ足を向けた。
ここには、人間だけじゃない。
背の低い獣人が、牙を覗かせながら干し肉を売っている。
鱗を持つ亜人が、薬草を並べている。
長い耳を隠そうともせず、布を染める者もいる。
今まで、意識していなかっただけだ。
人間以外の存在は、この街にずっといた。
エノクも、レミエルも、そんな連中と肩を並べて歩いていた。
俺は商品を眺めながら、ふと足を止めた。
布を垂らした小さな天幕。
その奥に、占い師が座っている。
金髪で、エルフにも似た容姿。
だが口調は年老いた女性そのものだ。
優しく、柔らかい。
椅子の後ろには、杖が一本立て掛けられている。
「おや……」
占い師が俺を見て、微笑んだ。
「今日は、重たい顔をしているねぇ」
俺は促されるまま、椅子に座る。
机の上には、水晶球。
手相を見るための布。
水を張った小皿。
「手相、人相、水晶。どれを見るかは、あたしが決めるよ」
占い師はそう言って、俺の手を取った。
線をなぞり、顔を見て、最後に水晶へ視線を落とす。
その表情が、僅かに変わった。
「……なるほどね」
俺は息を詰めた。
占い師は、水晶球に両手を添えた。
指先が触れた瞬間、水面が僅かに揺れる。
しばらくの沈黙。
そして、占い師は低い声で、淡々と結果を告げた。
*
天より六星、地に堕ちぬ。
刃交えるは、揺らし子と不尽の者。
星が乱れるとき、地宿の者が現れ、
散りし運命をひとつに繋いでゆく。
されど──星は見ている。
選ぶのは、揺らし子。
*
言葉は、机の上に落ちたまま動かなかった。
「……俺のことか」
占い師は、首を横に振る。
「いいや。これは“これから起こること”だよ」
水晶から手を離し、穏やかに続ける。
「まだ形になっていない出来事。けれどね……」
占い師は、ちらりと俺を見た。
「その流れに、あなたは関わる。だから、この結果が出た」
それ以上の説明はなかった。
重要そうに語るでもなく、意味深に引き延ばすでもない。
ただ、占いの結果として、そこに置かれただけの言葉。
「深く考えなくていい」
占い師は、軽く言った。
「起きるときは起きるし、避けられるなら、避けられる。占いは、その“影”を映すだけさ」
「これから向かう先を知りたいかい」
「知りたい」
「ティファレト王国だ」
理由は語られない。
「そこに、仲間がいる。今は顔も知らない仲間がね」
俺は、すぐには頷かなかった。
「まだ、ここでやることがある」
「そうだろうね」
占い師は否定しない。
俺は、もう一つ聞くべきことを口にした。
訓練場で起きたこと。
背後から現れた黒いもの。
意思に反応し、動き、消えた存在。
占い師は、静かに聞いていた。
「……見たことがあるよ」
「本当か」
「ええ。でも、あなたのは完成している」
占い師は、穏やかな声で言った。
「それは“影身(えいしん)”という」
初めて聞く名だったが、不思議と腑に落ちた。
「そういう力を持つ者を、“武威”と呼ぶ」
言葉に、特別な重みはない。
ただの分類のように。
「あなたは“聖霊武威”だよ」
「他にも、いるのか」
「ええ。珍しいけれど、唯一じゃない」
それ以上、占い師は語らなかった。
自分が何者か。
なぜそれを知っているのか。
何も明かさない。
俺は椅子を立った。
「ありがとう」
「気をつけて行きなさい」
その言葉に、含みはなかった。
露店の喧騒へ戻りながら、俺は考える。
復讐はしたい。
だが、意味のない殺しはしない。
エンカイ子爵が戻るまで、俺は待つ。
待ちながら、準備をする。
影身のこと。
武威のこと。
ティファレト王国のこと。
全ては、まだ繋がっていない。
だが――
このまま、何もしないわけにはいかない。
俺はダアトの街を歩き続けた。
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