幽刀星

氷翠

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歩・五十三「盾」

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皆が退室していったあと、部屋には静けさだけが残った。
いや、正確に言えば静かだったのは空気だけで、俺の中はずっとざわついていた。
扉が閉まる音を、背中で聞いた気がする。
アギ令嬢とエリファス、そしてエンカイ子爵――それぞれが、それぞれの立場に戻っていった。
残されたのは、俺と、まだ決まった形を持たない“三日後”だけだ。
机の端に置かれていた書類を、一枚だけ手に取る。
内容はもう頭に入っている。
それでも、指先で紙をなぞらないと落ち着かなかった。
三日後。
その言葉が、何度も頭の中で反響する。
長いようで、短い。
短いようで、重い。
これは戦争じゃない。
そう何度も言い聞かせている。
進軍でも、討伐でもない。
だからこそ、剣を抜く理由はない――はずだ。
だが、だからこそ怖い。



廊下に出ると、兵たちの気配があった。
人間だけじゃない。
角を持つ者、耳の尖った者、肌の色が違う者。
それぞれが鎧を身につけ、同じ目的のために立っている。
俺は、その中を歩きながら考えていた。
この中に、どれだけ“揺れている者”がいるのだろうか、と。
剣を持つ理由が明確な戦いなら、話は簡単だ。
敵がいて、味方がいて、勝ち負けがある。
だが今回は違う。
正しいことをするために、誰も剣を振れない。
それが一番厄介だ。



アランはいない。
この場にいなくてよかった、と正直思う。
あいつは、今、血が上っている。
怒りを抑えている分だけ、危うい。
ここにいれば、間違いなく何かを掴みに行ってしまう。
だからこそ、俺がいる。
盾役というのは、前に立つことじゃない。
守るというのは、殴られることでもない。
“動かせない”という役割だ。
剣を振らせない。
歩かせない。
決断を、急がせない。
それが、今の俺の仕事だ。



思い返せば、俺はずっとそうだったのかもしれない。
誰かが前に出るとき、半歩後ろに立つ。
誰かが剣を振り上げるとき、腕を抑える。
誰かが踏み出そうとするとき、盾を置く。
アランは、前に出る人間だ。
それは、もう変わらない。
だから俺は、少しずつでいい。
あいつの前に立つ理由を、積み上げていく。
今日じゃなくていい。
三日後でも、もっと先でもいい。
ただ――
今は、守る。



街の外から、微かなざわめきが聞こえた。
噂は広がっている。
剣を持たない連中ほど、敏感だ。
冒険者ギルドのことも気にかかる。
あそこは情報が集まりやすい。
そして、感情も集まりやすい場所だ。
剣を抜くな。
だが、目は離すな。
その矛盾を抱えたまま、三日後を迎えることになる。



部屋に戻る前、俺は一度だけ立ち止まった。
壁に掛けられた盾に、手を置く。
重い。
だが、この重さを手放すつもりはない。
アランは、まだ知らない。
この三日が、どれほど静かで、どれほど危険かを。
だから、俺が立つ。
剣を抜かないために。
あいつが、間違った場所で剣を抜かないように。
三日後――
その時、俺は盾であり続けられるだろうか。
答えは、まだ出ていない。
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