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歩・七「濡」
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夜は静かだった。
ヴァブの宿は、安いぶんだけ壁が薄く、隣室の咳払いすら聞こえる。だが、それが妙に落ち着いた。生きた音がある場所にいるというだけで、人は少し安心するものらしい。
部屋の隅、荷物を開いた。汗の染みた服、使いかけの干し肉、くたびれた水袋、手入れの足りない刃。
何も特別なものは――ない、はずだった。
だが。
小袋の底に指を滑らせた瞬間、冷たい金属の感触が指先を撫でた。
「……なんだ、これ」
取り出してみれば、小さなネックレスだった。銀製の細い鎖に、青い魔法石が埋め込まれている。月の光を集めて輝くような、それは上品で高価な装飾品。
記憶を辿った。 どこかで拾ったか? 誰かから預かったか?
……いや、まったく心当たりがない。
こんなもの、自分の持ち物ではない。ましてや、俺にこんな趣味はない。
誰かが――入れた?
だが、いつ? へー村を出る前には荷物を確認している。道中のどこかで?それとも……ヴァブに入ったあと?
あの視線。
“誰かが俺を見ていた”
その“誰か”が、俺の荷物にこれを? なぜ?
思考が渦を巻く。 疑念と焦燥。
とにかく、朝になったら衛兵に相談しよう。俺がやっていないと、きちんと伝えればいい。……そう思った。
*
翌朝、村の詰所を訪れた。
昨日の朝と同じ、地味な鎧を着た若い衛兵が窓口にいた。
「……このネックレスについて、確認してほしい」
差し出すと、男の目が変わった。軽く触れ、裏面を確認したその瞬間、眉がひくりと動いた。
「……あんた、これ、どこで手に入れた?」
「それを聞きたいのは、こっちだ」
正直に説明した。荷物に紛れていたこと、自分には心当たりがないこと、宿で気付いたこと。
だが、男の顔はどんどん硬くなる。
「このネックレス……数日前に盗難届が出てる。持ち主はヴァブの資産家、ミザイ家の娘。被害届も正式に出されてる」
喉が、ごくりと鳴った。
俺は、知らない。本当に知らない。
だが――
名前。
「アラン・ヴィルー……って、あんた……」
衛兵の顔色が変わった。
「……ダアトで、貴族に暴行を働いたって噂の……」
その言葉が、すべてを決めた。
*
「話は聞いた。だが、お前には弁解の余地はない」
詰所の奥、村長らしき初老の男がそう言った。
「たとえ本当にお前が盗んでいなかったとしても、証拠はある。持っていた、という事実が」
「そして、過去の前科もある。いや、前科“疑惑”か……だが世間はそうは見ない」
「ならばどうする」
俺は静かに訊いた。
「本来なら、投獄だ。だが……」
村長は少しだけ視線を逸らした。
「この村に、お前を長く置いておくのは、村の治安上よろしくない。だから、追放とする。今日中に村を出ろ」
「また、か」
声にはならなかった。喉の奥で言葉が燃えて、すぐに灰になった。
村を出るとき、誰も何も言わなかった。
通りすがりの住人たち。買い物をしていた主婦。荷車を引いていた老人。
誰も、俺と目を合わせなかった。
それが答えだった。
“もう、お前の居場所はここにはない”
そう言われているようだった。
*
次の目的地は決まっていた。 ザイン。
ヴァブの南、三十リーグほどにある中規模の町。人口一万。宿場町としての機能もあり、旅人も多く出入りする。
今の俺にとって、そういう“顔が紛れる場所”はありがたい。
もう、歩き慣れた道だ。荷物を詰め、地図を思い出しながら歩き出す。
魔物の気配はあるが、戦闘は避けられる。視線は……今のところ、感じない。
それでも。
誰かが俺の人生に“何かを仕込んでいる”という事実だけは、はっきりと焼き付いていた。
次は、何が仕込まれるのか。
それを考えると、刀よりも先に心が擦り減っていく。
だが、進むしかない。歩くしかない。
今の俺にできるのは、それだけだ。
ヴァブの宿は、安いぶんだけ壁が薄く、隣室の咳払いすら聞こえる。だが、それが妙に落ち着いた。生きた音がある場所にいるというだけで、人は少し安心するものらしい。
部屋の隅、荷物を開いた。汗の染みた服、使いかけの干し肉、くたびれた水袋、手入れの足りない刃。
何も特別なものは――ない、はずだった。
だが。
小袋の底に指を滑らせた瞬間、冷たい金属の感触が指先を撫でた。
「……なんだ、これ」
取り出してみれば、小さなネックレスだった。銀製の細い鎖に、青い魔法石が埋め込まれている。月の光を集めて輝くような、それは上品で高価な装飾品。
記憶を辿った。 どこかで拾ったか? 誰かから預かったか?
……いや、まったく心当たりがない。
こんなもの、自分の持ち物ではない。ましてや、俺にこんな趣味はない。
誰かが――入れた?
だが、いつ? へー村を出る前には荷物を確認している。道中のどこかで?それとも……ヴァブに入ったあと?
あの視線。
“誰かが俺を見ていた”
その“誰か”が、俺の荷物にこれを? なぜ?
思考が渦を巻く。 疑念と焦燥。
とにかく、朝になったら衛兵に相談しよう。俺がやっていないと、きちんと伝えればいい。……そう思った。
*
翌朝、村の詰所を訪れた。
昨日の朝と同じ、地味な鎧を着た若い衛兵が窓口にいた。
「……このネックレスについて、確認してほしい」
差し出すと、男の目が変わった。軽く触れ、裏面を確認したその瞬間、眉がひくりと動いた。
「……あんた、これ、どこで手に入れた?」
「それを聞きたいのは、こっちだ」
正直に説明した。荷物に紛れていたこと、自分には心当たりがないこと、宿で気付いたこと。
だが、男の顔はどんどん硬くなる。
「このネックレス……数日前に盗難届が出てる。持ち主はヴァブの資産家、ミザイ家の娘。被害届も正式に出されてる」
喉が、ごくりと鳴った。
俺は、知らない。本当に知らない。
だが――
名前。
「アラン・ヴィルー……って、あんた……」
衛兵の顔色が変わった。
「……ダアトで、貴族に暴行を働いたって噂の……」
その言葉が、すべてを決めた。
*
「話は聞いた。だが、お前には弁解の余地はない」
詰所の奥、村長らしき初老の男がそう言った。
「たとえ本当にお前が盗んでいなかったとしても、証拠はある。持っていた、という事実が」
「そして、過去の前科もある。いや、前科“疑惑”か……だが世間はそうは見ない」
「ならばどうする」
俺は静かに訊いた。
「本来なら、投獄だ。だが……」
村長は少しだけ視線を逸らした。
「この村に、お前を長く置いておくのは、村の治安上よろしくない。だから、追放とする。今日中に村を出ろ」
「また、か」
声にはならなかった。喉の奥で言葉が燃えて、すぐに灰になった。
村を出るとき、誰も何も言わなかった。
通りすがりの住人たち。買い物をしていた主婦。荷車を引いていた老人。
誰も、俺と目を合わせなかった。
それが答えだった。
“もう、お前の居場所はここにはない”
そう言われているようだった。
*
次の目的地は決まっていた。 ザイン。
ヴァブの南、三十リーグほどにある中規模の町。人口一万。宿場町としての機能もあり、旅人も多く出入りする。
今の俺にとって、そういう“顔が紛れる場所”はありがたい。
もう、歩き慣れた道だ。荷物を詰め、地図を思い出しながら歩き出す。
魔物の気配はあるが、戦闘は避けられる。視線は……今のところ、感じない。
それでも。
誰かが俺の人生に“何かを仕込んでいる”という事実だけは、はっきりと焼き付いていた。
次は、何が仕込まれるのか。
それを考えると、刀よりも先に心が擦り減っていく。
だが、進むしかない。歩くしかない。
今の俺にできるのは、それだけだ。
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