幽刀星

氷翠

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歩・八「疑」

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ザインまでの道は、思った以上に長かった。
 いや、距離ではない。心の話だ。
 村を追われ、誰にも何も言えず、言われず。ただ歩き続けるというだけの行為が、ここまで重いものだとは思っていなかった。
 舗装されていない獣道、湿った谷間、苔の生えた岩場。自然の障害は、いくらでも対処できる。
 問題は、それ以外だった。
 魔物。
 もう慣れたと思っていた。だが、慣れは鈍さを呼ぶ。
 牙を持った獣の群れに襲われたとき、ほんの一瞬、判断が遅れた。左腕にかすり傷。血が滲み、手が滑る。
 斬った。斬るしかなかった。

《踏星・断牙》

 風のように抜き、流れるように斬る。相手が崩れ落ちるのと、息を吐くのが同時だった。
 呼吸が荒れる。
 魔物の死体を見下ろしながら、俺はうっすらと汗を拭った。

「……ついてきてるな」

 そう、まただ。
 あの視線。
 見ようとすれば見えなくなる。気を抜けば、ひたりと背中に貼りつく感覚。
 ただの旅人かもしれない。そう思ったのは、最初だけだった。
 こちらが止まれば、相手も止まる。早く歩けば、少し距離を開ける。だが、ふとした瞬間にまた感じる。
 それが、何日も続いた。

……誰だ。 何が目的だ。

 だが、奇妙なことに。その視線には、殺意がない。
 まるで、ただ観察しているような、そんな感覚。
 それが余計に気味が悪い。
 “監視”という言葉が、ぴたりと当てはまった。
 そして、それが二つに増えたのは、さらに数日後だった。
 最初は気のせいかと思った。 風の流れが変わったのかとも思った。
 だが、確かに“別方向”からの視線がある。
 一つは、慣れ親しんだような無機質な追尾。もう一つは、少し違った“熱”を持っている。
 それでも、どちらにも殺気はなかった。
 ただ、見ている。

「……何を見ている?」

 問いかけても、答える者はいない。
 声に出したことで、少しだけ自分の精神を保とうとしていたのかもしれない。
 疲れている。
 体も、心も。
 手足の感覚はまだある。 刃も研いでいる。 技も崩れていない。
 だが、心の中が濁ってきている。

“誰も信じられない”

 それは、疑念ではなく防衛だった。信じれば、また裏切られる。
 冤罪。 噂。 沈黙。
 誰も、真実を見ようとはしない。
 では、視線の先にいる“誰か”は、何を見ているのか。俺の中の何を覗いているのか。

……もう、どうでもいい。

 まずは、前に進まなければ。このままでは、体が持たない。
 食料は底をついた。水も残りわずか。火打石は一度だけ失敗した。靴底はすでに片方が割れかけている。
 今、倒れたら。死ぬ。
 その確信が、俺を前へ押し出した。
 ようやく、遠くに煙が見えた。
 帆柱のような影が、空に溶けていく。

……港だ。

 ザイン。
 港町。人の気配。船の音。
 しばらくぶりに、俺の足が舗装された石畳を踏んだ。
 街の門。衛兵がいる。 だが、声をかけてくることはなかった。
 “まだ、ここには噂は届いていない”
 あるいは届いていても、確認はされていない。
 それだけで、胸の奥がふっと軽くなる。
 だが、すぐにその感覚は打ち消された。
 まだ、後ろには視線がある。
 誰かが、まだ、俺を見ている。

“何のために?”

 問いはまた、空に消える。
 俺は、一歩、街の中に踏み込んだ。
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