幽刀星

氷翠

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歩・十五「闇」

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 朝の冷気は、胸に刺さるように鋭かった。
 俺とカサレアは、しばらくの間、言葉を発することができなかった。レミエルの亡き骸を前に、どんな言葉をかければいいのか、どんな表情をすればいいのか、何も浮かばなかった。
 カサレアが肩を震わせながら、ぴたりとレミエルの傍にしゃがみ込み、布でその顔を丁寧に覆った。

「……寝てるみたいだよね」

 声はかすれていた。
 俺はその場に膝をつき、無言のままレミエルの顔をじっと見つめた。
 そのときだった。
 視界の端に、ゆらりと黒い煙のようなものが見えた。

(……何だ……?)

 それは、レミエルの胸元から、ゆっくりと立ち上るように広がっていた。
 靄とも、煙とも、あるいは影ともつかない曖昧な存在。
 風は吹いていない。それなのに、それは揺れ、流れ、絡みつくようにして、空へと昇っていった。

「カサレア……」

  俺は、かすれた声で彼女に呼びかけた。

「ん……?」
「何か……見えるか?」

 カサレアは怪訝な顔をしてレミエルのほうを見たが、すぐに首を横に振った。

「……何も。どうしたの?」
「いや……気のせいかもしれない」

 俺だけに見えている――そんなものが、この世に存在するのか。だが、見えた。
 あの黒い影は、確かに……レミエルの身体から、何かを連れ去るようにして消えていった。

「アラン……? 顔、怖いよ」

 カサレアの声が、現実へ引き戻してくれる。

「……すまん。もう……終わったんだよな」

 彼女は小さくうなずいた。

「うん。でも、ちゃんと送り出してあげよう」



 俺たちはレミエルの亡骸を、少し小高い丘の麓に埋めた。
 森を見渡せる、風通しのよい場所だった。
 何度も土をかき、手を汚し、汗を流し、ようやく一人分の穴を作る。

「……ごめん。もっと……もっと早く気づいていれば」 

 カサレアが手を合わせながら、何度も何度もそう呟いた。
 俺は無言のまま、墓標代わりの石を、丁寧に積み上げた。
 心のどこかで、今もまだ、レミエルが歩いてきて「冗談よ」と笑う気がしていた。
 だが、彼女はもう、いない。
 あの黒い“何か”が、彼女の魂をどこかへ連れ去ったのかもしれない。あるいは、俺にだけ見える“何か”が、死と交わる力の象徴なのか……それは分からなかった。
 ただ一つ分かるのは、俺が……何か“見えてしまう”という事実だった。



 その日は重く、言葉少なに荷物をまとめた。
 川の水で手を洗い、湿った風を浴びながら、再び歩き出す。
 カサレアはずっと俯いたままだったが、文句ひとつ言わなかった。その強さが、逆に痛々しかった。
 俺たちは再びヘットを目指して歩き出した。
 警戒は怠らなかった。これまで感じていた視線、気配――それらを警戒し、何度も立ち止まり、周囲を探った。
 だが、何も感じなかった。
 あの夜以来、俺たちを見ていた“何者か”の気配は、嘘のように消えていた。

「……いないわね」
「……ああ」

 声も、影も、追跡の足音もない。まるで、レミエルの死と引き換えに、全てが霧散したかのようだった。
 それが何より不気味だった。



 数日後。
 ようやく、街道の先に石造りの城壁が見えてきた。
 ヘット――北西交易の要所。人口一万二千。多くの行商人や旅人でにぎわい、物流の拠点として機能している小都市。
 石畳の門を抜けると、様々な方言と服装を持つ人々が行き交い、匂いと音が混じる独特の活気に包まれた。
 俺とカサレアは、一言も交わさぬまま、その雑踏の中に溶け込んだ。
 レミエルがいないこと。その現実が、風景の色をどこか灰色に見せていた。
 だが、ここに来たのは復讐のためでも、正義のためでもない。
 俺の名を奪った者。仲間を奪った者。
 チャド・ゴールドマン。
 その男を見つけ出す。それが、今の俺たちにできる、唯一の答えだった。
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