幽刀星

氷翠

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歩・十六「朧」

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 ヨゼフ・ハーネスを捕らえた翌朝。俺とカサレアは、ザインの町の外れにある廃工場跡のような場所に足を運んでいた。

「……ここなら、誰も近づかない」

 俺は鉄の扉を押し開け、埃と黴の匂いが混じる中へとヨゼフを引きずり込む。

「衛兵に突き出すのでは?」

 とカサレアは問いかけたが、俺の考えは決まっていた。

「釈放されるさ。あいつ程度じゃ、牢に長くは入らない」

 ヨゼフはただ黙って、されるがままだった。恐怖というより諦めに近い感情が、表情からにじんでいた。

「せめて……食料と水くらいは……」

 と、カサレアが呟く。

「……持たせる」

 最低限のものを与え、扉に鍵をかけた。
 振り返ったヨゼフと目が合ったが、そこに憎悪も怒りもなかった。俺は目をそらした。

「行こう、カサレア」

 そして俺たちは、ザインを後にし、ヘットへと向かった。



 ヘットの空気は、どこか乾いていて、喧噪に包まれていた。小さな町にしては活気があり、物流の拠点としての顔が、街道の土埃にも感じられる。

「人が多いわね」
「チャドがここにいるのなら、目立たないよう動いているだろう」

 俺たちは宿をとる前に、街の酒場、取引所、雑貨商など、情報が交差しそうな場所を中心に捜索を始めた。
 が、そう簡単に手がかりが掴めるわけではない。

「誰か“ゴールドマン”って名を聞いたことないか?」

 何度となく同じ質問を繰り返し、得られるのは「知らないね」や「初耳だ」の返事ばかり。
 人混みに紛れるように歩きながら、ふと背後に視線を感じた。
 振り返っても、そこにはただの通行人たち。 だが——

(……今の、なんだ?)

 俺の目の端に、黒い揺らめきのようなものが映った。それは風に舞う影のようでもあり、昼の陽光に揺れる埃のようにも見えた。
 ヘットの空は明るく、眩しいほどだった。太陽の光が石畳を照らし、街の喧騒が耳を打つ。それでも、あの揺らめきは——陽炎ではなかった。
 次の曲がり角。雑貨商の横の路地裏。 教会の掲示板前——
 黒い影は、俺の視界の端に、ふっと浮かんでは消える。まるで、こちらを見つめているかのように。
 カサレアが気付いた様子はなかった。

「少し、一人で歩いてくる」
「え? でも……」
「ちょっと、確かめたいことがある」

 カサレアは不安そうに俺を見たが、やがて小さくうなずいた。



 墓地へと向かう。
 街の北端、古くからの墓石が並ぶその場所は、人通りもなく、時間が止まったかのように静まり返っていた。 だが、空はなお青く、陽射しは墓石を照らしている。 蝉の鳴き声がどこか遠くで響いていた。
 俺の足音だけが、石畳を叩く。
 そして、墓石の間に差し込む昼の光の中——
 再び、あの“影”が姿を現した。

(やはり……あれは、あの時の……)

 レミエルの墓の前で見た、黒い靄。魂のように、ゆらめき、漂う“何か”。
 そして、今——俺の周囲。
 影は一つ、また一つと浮かび上がり、やがて俺の視界を包み込むほどの数になっていた。

(……数、十……いや、もっとだ)

 身体の周囲に、冷たい何かがまとわりつくような感覚。
 恐怖とは違う。けれど、心の奥底をじわりと濡らすような、得体の知れない感情。

「……おまえたちは、なんだ?」

 誰に聞こえるわけでもなく、俺は呟いた。
 彼らはただ、そこに“いた”。
 威圧も、怒気も、敵意もない。
 それでいて、俺を取り囲むようにして漂っている。
 魔力とは違う——もっと“古い”なにか。

(これは……生と死の狭間……?)

 一歩踏み出すと、影はふわりと退き、また寄ってくる。
 俺が近づけば、彼らも離れる。
 まるで、観察しているかのように。

(霊……? それとも……)

 だが、攻撃してくる様子はなかった。
 レイスか、ゴーストか……あるいは、全く別の存在か。

「おまえたちは、俺を……見ているのか?」

 昼の風が吹く。墓地の木々が揺れ、影がその風に溶けるようにして、また一つ、また一つと霧散していく。
 まるで、日陰に消えていく霧のように。
 俺はその場に立ち尽くしながら、手を握った。

 「見えてしまう」力。それが俺の中にあるのかどうか、まだ分からない。
 ただ—— あの瞬間、何かが“兆した”気がした。
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