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歩・十六「朧」
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ヨゼフ・ハーネスを捕らえた翌朝。俺とカサレアは、ザインの町の外れにある廃工場跡のような場所に足を運んでいた。
「……ここなら、誰も近づかない」
俺は鉄の扉を押し開け、埃と黴の匂いが混じる中へとヨゼフを引きずり込む。
「衛兵に突き出すのでは?」
とカサレアは問いかけたが、俺の考えは決まっていた。
「釈放されるさ。あいつ程度じゃ、牢に長くは入らない」
ヨゼフはただ黙って、されるがままだった。恐怖というより諦めに近い感情が、表情からにじんでいた。
「せめて……食料と水くらいは……」
と、カサレアが呟く。
「……持たせる」
最低限のものを与え、扉に鍵をかけた。
振り返ったヨゼフと目が合ったが、そこに憎悪も怒りもなかった。俺は目をそらした。
「行こう、カサレア」
そして俺たちは、ザインを後にし、ヘットへと向かった。
*
ヘットの空気は、どこか乾いていて、喧噪に包まれていた。小さな町にしては活気があり、物流の拠点としての顔が、街道の土埃にも感じられる。
「人が多いわね」
「チャドがここにいるのなら、目立たないよう動いているだろう」
俺たちは宿をとる前に、街の酒場、取引所、雑貨商など、情報が交差しそうな場所を中心に捜索を始めた。
が、そう簡単に手がかりが掴めるわけではない。
「誰か“ゴールドマン”って名を聞いたことないか?」
何度となく同じ質問を繰り返し、得られるのは「知らないね」や「初耳だ」の返事ばかり。
人混みに紛れるように歩きながら、ふと背後に視線を感じた。
振り返っても、そこにはただの通行人たち。 だが——
(……今の、なんだ?)
俺の目の端に、黒い揺らめきのようなものが映った。それは風に舞う影のようでもあり、昼の陽光に揺れる埃のようにも見えた。
ヘットの空は明るく、眩しいほどだった。太陽の光が石畳を照らし、街の喧騒が耳を打つ。それでも、あの揺らめきは——陽炎ではなかった。
次の曲がり角。雑貨商の横の路地裏。 教会の掲示板前——
黒い影は、俺の視界の端に、ふっと浮かんでは消える。まるで、こちらを見つめているかのように。
カサレアが気付いた様子はなかった。
「少し、一人で歩いてくる」
「え? でも……」
「ちょっと、確かめたいことがある」
カサレアは不安そうに俺を見たが、やがて小さくうなずいた。
*
墓地へと向かう。
街の北端、古くからの墓石が並ぶその場所は、人通りもなく、時間が止まったかのように静まり返っていた。 だが、空はなお青く、陽射しは墓石を照らしている。 蝉の鳴き声がどこか遠くで響いていた。
俺の足音だけが、石畳を叩く。
そして、墓石の間に差し込む昼の光の中——
再び、あの“影”が姿を現した。
(やはり……あれは、あの時の……)
レミエルの墓の前で見た、黒い靄。魂のように、ゆらめき、漂う“何か”。
そして、今——俺の周囲。
影は一つ、また一つと浮かび上がり、やがて俺の視界を包み込むほどの数になっていた。
(……数、十……いや、もっとだ)
身体の周囲に、冷たい何かがまとわりつくような感覚。
恐怖とは違う。けれど、心の奥底をじわりと濡らすような、得体の知れない感情。
「……おまえたちは、なんだ?」
誰に聞こえるわけでもなく、俺は呟いた。
彼らはただ、そこに“いた”。
威圧も、怒気も、敵意もない。
それでいて、俺を取り囲むようにして漂っている。
魔力とは違う——もっと“古い”なにか。
(これは……生と死の狭間……?)
一歩踏み出すと、影はふわりと退き、また寄ってくる。
俺が近づけば、彼らも離れる。
まるで、観察しているかのように。
(霊……? それとも……)
だが、攻撃してくる様子はなかった。
レイスか、ゴーストか……あるいは、全く別の存在か。
「おまえたちは、俺を……見ているのか?」
昼の風が吹く。墓地の木々が揺れ、影がその風に溶けるようにして、また一つ、また一つと霧散していく。
まるで、日陰に消えていく霧のように。
俺はその場に立ち尽くしながら、手を握った。
「見えてしまう」力。それが俺の中にあるのかどうか、まだ分からない。
ただ—— あの瞬間、何かが“兆した”気がした。
「……ここなら、誰も近づかない」
俺は鉄の扉を押し開け、埃と黴の匂いが混じる中へとヨゼフを引きずり込む。
「衛兵に突き出すのでは?」
とカサレアは問いかけたが、俺の考えは決まっていた。
「釈放されるさ。あいつ程度じゃ、牢に長くは入らない」
ヨゼフはただ黙って、されるがままだった。恐怖というより諦めに近い感情が、表情からにじんでいた。
「せめて……食料と水くらいは……」
と、カサレアが呟く。
「……持たせる」
最低限のものを与え、扉に鍵をかけた。
振り返ったヨゼフと目が合ったが、そこに憎悪も怒りもなかった。俺は目をそらした。
「行こう、カサレア」
そして俺たちは、ザインを後にし、ヘットへと向かった。
*
ヘットの空気は、どこか乾いていて、喧噪に包まれていた。小さな町にしては活気があり、物流の拠点としての顔が、街道の土埃にも感じられる。
「人が多いわね」
「チャドがここにいるのなら、目立たないよう動いているだろう」
俺たちは宿をとる前に、街の酒場、取引所、雑貨商など、情報が交差しそうな場所を中心に捜索を始めた。
が、そう簡単に手がかりが掴めるわけではない。
「誰か“ゴールドマン”って名を聞いたことないか?」
何度となく同じ質問を繰り返し、得られるのは「知らないね」や「初耳だ」の返事ばかり。
人混みに紛れるように歩きながら、ふと背後に視線を感じた。
振り返っても、そこにはただの通行人たち。 だが——
(……今の、なんだ?)
俺の目の端に、黒い揺らめきのようなものが映った。それは風に舞う影のようでもあり、昼の陽光に揺れる埃のようにも見えた。
ヘットの空は明るく、眩しいほどだった。太陽の光が石畳を照らし、街の喧騒が耳を打つ。それでも、あの揺らめきは——陽炎ではなかった。
次の曲がり角。雑貨商の横の路地裏。 教会の掲示板前——
黒い影は、俺の視界の端に、ふっと浮かんでは消える。まるで、こちらを見つめているかのように。
カサレアが気付いた様子はなかった。
「少し、一人で歩いてくる」
「え? でも……」
「ちょっと、確かめたいことがある」
カサレアは不安そうに俺を見たが、やがて小さくうなずいた。
*
墓地へと向かう。
街の北端、古くからの墓石が並ぶその場所は、人通りもなく、時間が止まったかのように静まり返っていた。 だが、空はなお青く、陽射しは墓石を照らしている。 蝉の鳴き声がどこか遠くで響いていた。
俺の足音だけが、石畳を叩く。
そして、墓石の間に差し込む昼の光の中——
再び、あの“影”が姿を現した。
(やはり……あれは、あの時の……)
レミエルの墓の前で見た、黒い靄。魂のように、ゆらめき、漂う“何か”。
そして、今——俺の周囲。
影は一つ、また一つと浮かび上がり、やがて俺の視界を包み込むほどの数になっていた。
(……数、十……いや、もっとだ)
身体の周囲に、冷たい何かがまとわりつくような感覚。
恐怖とは違う。けれど、心の奥底をじわりと濡らすような、得体の知れない感情。
「……おまえたちは、なんだ?」
誰に聞こえるわけでもなく、俺は呟いた。
彼らはただ、そこに“いた”。
威圧も、怒気も、敵意もない。
それでいて、俺を取り囲むようにして漂っている。
魔力とは違う——もっと“古い”なにか。
(これは……生と死の狭間……?)
一歩踏み出すと、影はふわりと退き、また寄ってくる。
俺が近づけば、彼らも離れる。
まるで、観察しているかのように。
(霊……? それとも……)
だが、攻撃してくる様子はなかった。
レイスか、ゴーストか……あるいは、全く別の存在か。
「おまえたちは、俺を……見ているのか?」
昼の風が吹く。墓地の木々が揺れ、影がその風に溶けるようにして、また一つ、また一つと霧散していく。
まるで、日陰に消えていく霧のように。
俺はその場に立ち尽くしながら、手を握った。
「見えてしまう」力。それが俺の中にあるのかどうか、まだ分からない。
ただ—— あの瞬間、何かが“兆した”気がした。
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