霧と魔眼のファタ・モルガーナ

氷翠

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19話「決壊」

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 バエルの肉体は、もはや人のそれではなかった。
 皮膚は裂け、黒い筋が全身を走り、背骨がせり上がるように突き出していた。背から生えた骨の羽は羽ばたくたびに空気を唸らせ、地下の空間が風圧で震える。

「見ろ、サリエル……これが神胎還元術を極めた力だ!」

 彼の声は二重に響き、異形の口が腹部にも現れ、笑っていた。
 だが、サリエルは眉一つ動かさなかった。
 その瞳が、すでにすべてを見通していたからだ。

(見える。バエルの動きも、力の流れも、弱点も……)

 視界に、無数の残像が交差する。未来の分岐が、眼前に糸のように張り巡らされている。その中から一本を、確実に選び取る。そこにこそ勝利があると、直感が告げていた。

「これで終わらせる!」

 サリエルは叫び、ジブリールの強化魔法が再び煌めいた。

「お願い、これで最後にして!」

 祈りと共に、風のような力が彼を包み、動きに冴えを与える。剣を振るうその筋肉の動きすら、音もなく、無駄がない。
 バエルが羽ばたき、天井に張りつくように跳び、上から槍のような突撃を見舞ってくる。
 だが、それすらも「見えていた」。
 サリエルは一歩左に避け、斜め下から回り込み、バエルの右の脇腹に剣を突き立てた。

「ぐおおおおおっ!!」

 黒い血が噴き出す。
 しかし――それでは終わらない。
 バエルの腕が鞭のように伸び、サリエルの腹部を貫いた。

「――ッ!がはっ……!」

 喉奥から血がこみ上げる。

(遅れた……!)

 サリエルの眼ですら、捉えきれない”第二の攻撃”。それはまるで生き物のように意思を持ち、サリエルの未来視の「死角」から襲ってきた。

「……甘いぞ、サリエル。眼で見るだけじゃ、俺は倒せねえ!」

 だがサリエルは、口元にうっすらと笑みを浮かべた。

「なら……全部見るまでだ」

 再び、眼が灼けるように光を放つ。
 彼の眼は、未来の「範囲」ではなく、「深さ」へと進化した。
 今見ているバエルの攻撃の”先”、その”先”、さらにその”先”――あらゆる攻撃の連鎖、その根本にある「動機」までが、映像のように心に叩き込まれる。

(見えた……この力、バエルのすべて)
「ジブリール、今だ!」
「うんっ!」

 彼女が放った光の術式がサリエルの身体を包み、貫かれた腹部を癒していく。その隙に、サリエルは踏み出した。
 バエルの腕が再び伸びる――が、そこに剣が走る。
 肘から切断。
 二の腕が地に落ち、バエルの表情が凍った。

「な……!?」
「もう見切った。お前の動きも、攻撃も、そして心も……!」

 その声と共に、サリエルは一気にバエルへと肉薄した。
 剣が回転し、両の羽を斬り落とす。悲鳴のような風が吹き荒れ、地下に黒煙が舞う。

「ぐぅああああああああ!!」

 咆哮と共にバエルが膝をついた。
 血の海。骨の破片。かつての村長の面影は、もうそこにはない。
 それでもなお、彼は呟く。

「バティム……私の、研究は……間違っていなかった……この村は……神胎還元の礎になるはずだったのに……」
「バティムはもういない。お前の研究も、ここで終わるんだ」

 サリエルは無言で剣を振り下ろした。
 頭部を貫いた剣が、最後の蠢きを絶った。
 長い沈黙。
 ジブリールが駆け寄り、サリエルの腕を取り、支える。

「終わった……?」
「いや……」

 サリエルは、まだ眼を細めていた。

「これでようやく、始まるんだ。俺たちの戦いが」

 眼の奥に映るのは、地下のさらに奥に続く暗い通路。その先に、神胎還元術の源が眠っている。

(終わりじゃない。まだ……真実は隠れてる)

 サリエルは、ジブリールとともに、さらに奥へと足を踏み出した。
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