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29話「仄闇に沈む町角」
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サウナリアの夜は、まるで濃い墨を垂らしたように暗い。街灯はところどころ壊れ、細い路地では人の気配すら消えていた。そんな夜道を、ひとりの男が歩いていた。フードを目深に被り、長いコートの裾を靡かせている。
その名はシトリー。アギラの部下にして、バティムの命を受けた「魂狩り」の実行者。
彼は数日前、初めてこの町で“狩り”を試みた。狙ったのは、町外れに住む独り身の老婆。周囲に頼る者もなく、消えても誰も騒がないと見込んだ。だが、油断があった。
その夜、老婆の家の前には偶然にも冒険者ギルドの新人が宿の帰りに通りかかっていた。物音に気付いたその若者が声をかけた瞬間、シトリーは即座に引き返し、闇に紛れて姿を消した。
失敗。その報せはすぐにアギラのもとへ届いた。
「……しくじった? お前がか?」
アギラの声には苛立ちが滲んでいた。仄暗い地下室。椅子にふんぞり返ったアギラは、薄く笑みを浮かべながら指を鳴らす。
「俺はな、バティム様から“信頼”されてるんだよ。伝令ってのは、任された責務を完遂するから価値がある。わかるか?」
シトリーは黙ってその言葉を聞いていた。目を伏せ、ただ一礼する。
「次は外すなよ。……なにせ、“渾沌の核”が魂を求めてるんだ。中身が足りねぇとバティム様の“実験”が進まねぇんだとさ」
「承知しています」
「ま、せいぜい頑張れよ。“奴ら”にバレる前にな」
アギラは興味を失ったように踵を返し、薄汚れた階段を上っていった。
再び、夜。
数日後。
シトリーは再び町へと現れた。今回は別の標的。市場通りにほど近い路地裏に住む、若い母親とその幼い娘。
男は日中から様子を見ていた。夫の姿はなく、どうやら母子家庭のようだ。娘は夕刻になると水汲みに出かけ、母はその間に夕食の支度をしている。時間帯と隙のタイミングは完璧だ。
──夜。霧が濃く立ち込め、月も隠れた晩。
シトリーは一軒家の裏手から回り込み、物音を立てずに窓を開けた。呪印を刻んだ手袋が、開錠の障壁を瞬時にすり抜ける。
家の中に入り、彼はまず娘の寝室に向かう。布団にくるまって眠る小さな体。その魂の灯火が、彼には見えていた。
「……悪く思うな。お前の命は、“より大きな意志”に捧げられるんだ」
ささやくように言い、シトリーは懐から小さな水晶玉を取り出す。それはバティムから託された媒介器──“渾沌の核”の分片である。
水晶に触れた瞬間、空気が震えた。少女の体がぴくりと動き、そしてふっと静かになる。
魂だけが、青白い光となって水晶に吸い込まれていった。
「……ひとつ、確保」
そのまま彼は娘を抱え上げ、家を出ようとした――そのとき。
「…… 待てっ!」
玄関から誰かが駆け込んでくる音。扉が開き、魔力の気配が走った。
冒険者──いや、ただの近隣住人ではない。気配から察するに、見習いながらも魔術の心得がある者。
シトリーは娘を床に降ろし、即座に煙玉を叩きつけた。室内に濃霧が広がり、視界が遮断される。
その隙に裏口から逃走。
だが――すでに魂は奪った。肉体が残っていても、それはただの空っぽの器。娘は目を覚まさなかった。
町には混乱が広がった。娘が突然昏睡状態に陥ったという噂が走り、ギルドの受付嬢アニィは報告書を読みながら眉をひそめた。
「また……ですか。これは……偶然ではありませんね」
その頃、シトリーはアギラのもとへ戻っていた。
「今度は成功したか?」
「魂は確保済みです。肉体も、しばらくは動かぬでしょう」
アギラは水晶を受け取り、にんまりと笑った。
「いいねぇ……やっぱお前は使えるわ、シトリー。バティム様も喜ぶぜ。……『渾沌の核』の育ちが、楽しみだなぁ」
シトリーは表情を変えず、ただ静かに頷いた。
その背後で、冷たい笑みを浮かべたアギラが、薄く呟いた。
「さて……次は、誰にしようかね」
夜のサウナリア。仄暗い路地の奥で、誰かがまた消える。だれも気づかぬうちに、魂が食われる。
この町の底では、静かに“渾沌”が胎動していた。
その名はシトリー。アギラの部下にして、バティムの命を受けた「魂狩り」の実行者。
彼は数日前、初めてこの町で“狩り”を試みた。狙ったのは、町外れに住む独り身の老婆。周囲に頼る者もなく、消えても誰も騒がないと見込んだ。だが、油断があった。
その夜、老婆の家の前には偶然にも冒険者ギルドの新人が宿の帰りに通りかかっていた。物音に気付いたその若者が声をかけた瞬間、シトリーは即座に引き返し、闇に紛れて姿を消した。
失敗。その報せはすぐにアギラのもとへ届いた。
「……しくじった? お前がか?」
アギラの声には苛立ちが滲んでいた。仄暗い地下室。椅子にふんぞり返ったアギラは、薄く笑みを浮かべながら指を鳴らす。
「俺はな、バティム様から“信頼”されてるんだよ。伝令ってのは、任された責務を完遂するから価値がある。わかるか?」
シトリーは黙ってその言葉を聞いていた。目を伏せ、ただ一礼する。
「次は外すなよ。……なにせ、“渾沌の核”が魂を求めてるんだ。中身が足りねぇとバティム様の“実験”が進まねぇんだとさ」
「承知しています」
「ま、せいぜい頑張れよ。“奴ら”にバレる前にな」
アギラは興味を失ったように踵を返し、薄汚れた階段を上っていった。
再び、夜。
数日後。
シトリーは再び町へと現れた。今回は別の標的。市場通りにほど近い路地裏に住む、若い母親とその幼い娘。
男は日中から様子を見ていた。夫の姿はなく、どうやら母子家庭のようだ。娘は夕刻になると水汲みに出かけ、母はその間に夕食の支度をしている。時間帯と隙のタイミングは完璧だ。
──夜。霧が濃く立ち込め、月も隠れた晩。
シトリーは一軒家の裏手から回り込み、物音を立てずに窓を開けた。呪印を刻んだ手袋が、開錠の障壁を瞬時にすり抜ける。
家の中に入り、彼はまず娘の寝室に向かう。布団にくるまって眠る小さな体。その魂の灯火が、彼には見えていた。
「……悪く思うな。お前の命は、“より大きな意志”に捧げられるんだ」
ささやくように言い、シトリーは懐から小さな水晶玉を取り出す。それはバティムから託された媒介器──“渾沌の核”の分片である。
水晶に触れた瞬間、空気が震えた。少女の体がぴくりと動き、そしてふっと静かになる。
魂だけが、青白い光となって水晶に吸い込まれていった。
「……ひとつ、確保」
そのまま彼は娘を抱え上げ、家を出ようとした――そのとき。
「…… 待てっ!」
玄関から誰かが駆け込んでくる音。扉が開き、魔力の気配が走った。
冒険者──いや、ただの近隣住人ではない。気配から察するに、見習いながらも魔術の心得がある者。
シトリーは娘を床に降ろし、即座に煙玉を叩きつけた。室内に濃霧が広がり、視界が遮断される。
その隙に裏口から逃走。
だが――すでに魂は奪った。肉体が残っていても、それはただの空っぽの器。娘は目を覚まさなかった。
町には混乱が広がった。娘が突然昏睡状態に陥ったという噂が走り、ギルドの受付嬢アニィは報告書を読みながら眉をひそめた。
「また……ですか。これは……偶然ではありませんね」
その頃、シトリーはアギラのもとへ戻っていた。
「今度は成功したか?」
「魂は確保済みです。肉体も、しばらくは動かぬでしょう」
アギラは水晶を受け取り、にんまりと笑った。
「いいねぇ……やっぱお前は使えるわ、シトリー。バティム様も喜ぶぜ。……『渾沌の核』の育ちが、楽しみだなぁ」
シトリーは表情を変えず、ただ静かに頷いた。
その背後で、冷たい笑みを浮かべたアギラが、薄く呟いた。
「さて……次は、誰にしようかね」
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