バケツ

高下

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十七

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「それで、彼女さんとはどうなったんですかぁ?」
女子高生がボウルに入った生肉を素手で捏ねながら言った。一瞬誰に言っているのかわからずに、世川は彼女の手が鶏肉の血でうっすらと赤く染まっているのを、ぼんやり見ていた。
弁当屋は、倉持が退職してしばらくは社員が忙しなく入れ替わり立ち替わりで勤務にあたっていたが、最近は落ち着いたようだった。もう、この店舗には、倉持がいた形跡は残っていない。
「聞いてます?」
「あ、うん。それ、手袋してやった方がいいよ。手が汚れるし」
「え、手袋ってどこでしたっけ?」
「ここ」
調理場のキャビネットを開けてビニール手袋を出してやると、彼女はそれを嵌めてまた生肉を捏ねながら、「で、どうなったんですか?」と世川を見上げる。新島のことを聞いているのだと、そこで初めて気がついた。
「家に呼んだよ、この前」
「えー、ついに! どうでした? どうなりましたぁ?」
「どうって、別に、何も」
世川は薄く笑い、袖の上から腕を抑える。これを見られて、やめてほしいと言われただけだ。あれ以来新島は世川の家に来てはいない。
「え、何もしなかったんですか」
「うん。話して、帰っただけ」
「信じられないんですけどぉ」
女子高生は生肉に白い粉をまぶしつつ、大袈裟に不満そうな顔で嘆く。
「そこはがばっといくところですよ、普通」
「いや、そんな……」
「男から行かなきゃダメですよぉ、世川さん」
「ダメなの」
「そりゃあダメですよ。彼女さんも待ってますよぉ、絶対」
次こそは頑張ってくださいね! と、彼女は赤く濡れたビニール手袋を嵌めた手で拳を作って世川を鼓舞した。世川は曖昧に笑いつつ、同じように拳を作って彼女に応えた。
新島とは頻繁に会うようにもなった。自然に手も繋ぐし、彼女から腕を組んできても以前のように心臓が壊れそうなほどの緊張はしなくなった。それ以上の関係になるチャンスだって、何度だってあったはずだ。しかし、世川は未だに、新島ともっと深い関わりを持つことが想像できなかった。この先も、今のような触れ合いが続いていくのではないかと思った。


新島が世川の家で一緒に課題を進めたいと言い出したため、世川は近所の中古屋で二人がけの安いローソファを購入し、殺風景な居間に設置した。それから物置の奥に眠っていた組み立て式のローテーブルを引っ張り出し、無駄に存在感のあるダイニングテーブルを端に押しやり、一緒に過ごす空間を整える。
新島が来るまではだいぶ時間があったため、ついでにもう随分と重たくなったバケツと倉持から手渡された花を手に庭に出て、久しぶりに花に己の血をぶちまけた。花弁に血がまともにかかって汚れるのももう気にならない。
口角が勝手に持ち上がり、周りに誰もいないことを確認するのも忘れて、世川は込み上げてくる快感と全能感と純粋な喜びに支配され、その場に蹲って笑い声をあげた。
どす黒く変色した白い花が陽に照らされ風にそよいでいる姿は何よりも美しく、己の理性を狂わせにきた悪魔のように見えたが、世川はそれを喜んで享受した。足の指先から頭のてっぺんまで、甘い痺れが何度も駆け巡り、目の前の景色がチカチカと点滅する。
強い日差しに照らされて花束の残骸を凝視する世川は、こんなことをして笑いを堪えている自分は頭がいかれているのかもしれないと思い至ったが、それは大した問題ではないとも思った。常識も見栄も地位も将来もそれらをひっくるめた現実が、全て何の価値もないガラクタのように思えたのだ。
世川は高揚しきったまま、地面に横たわる汚れた花束を見つめていた。この至福の光景をいつまででも見ていたいと思った。
しかし、五分経って、十分経って、二十分も経つと、急激に気分が悪くなった。今すぐに死んでしまいたいと思った。
膝をつき、手をつき、砂にまみれるもの気にせず、崩れるように地面に突っ伏す。
「ダメだ、やっぱり、こんなことをしていちゃ……。嫌われる、みんなに。頭がおかしいと思われる。ああ、せっかく倉持さんが、最後にくれた花なのに……」
全身に泥を被ったような重たくて冷たい自己嫌悪に背後から襲われ、世川は地を這って体液で汚した花に土をかけた。伸びた爪の中に土が入ったが、まるで死体を隠すように必死に砂や土をかき集めて花に被せる。
新島に見られてしまったら、今度こそおしまいだ。今度こそ許してもらえない。
花を完璧に埋葬し、空になったバケツを乱暴に物置の奥に放り、熱心に手の汚れを洗い流す。一瞬の強烈な恍惚の代償に、恐ろしい地獄がやってくる。
世川は、広い居間を見渡す。どうしようもなく一人ぼっちだと思えて、不安で仕方なくなり、手を洗い続ける。
──ダメですよぉ、世川さん
バイト先の女子高生の声が耳の奥ではっきりと再生された。
──そりゃあダメですよ。彼女さんも待ってますよぉ、絶対
化粧をする新島の後ろ姿が脳裏に蘇る。次に失敗したら、どうしよう。世川は擦れて血の滲み始めた指をさらに擦りながら考えた。もうあとがないのだ。
世川はやっと水道の水を止め、タオルで手を拭きながら、深呼吸する。
大丈夫だ。まだ、きっと大丈夫だ。失望されないように、ゆっくりと距離を縮めていけば、大丈夫だ。きっとそのうちに、上手く出来るようになる。擦り切れた手を見つめながら、自分にそう言い聞かせた。まだ、大丈夫。

だが、まだ先だと思っていたその機会は、すぐに訪れた。世川を嘲笑うかのように、唐突に。
迎えに行った新島を家にあげて、ソファに並んで座った世川は、務めて普段通りの会話をし、彼女が持ち寄った菓子や飲み物に手をつけながら課題を広げていた。彼女は昨日友人と見に行った映画が面白かったという話をし、世川はそれを心ここに在らずで聞いていた。絆創膏を貼った指がヒリヒリと傷んだのだ。
彼女の話が終わり、一瞬、会話が途絶えた。世川は形だけシャープペンシルを握り課題を見つめつつ、庭に埋めた花のことを考えていた。
すると突然、身体がぐらりと揺れて、視界が反転した。背にソファの柔らかい感触を受け、目を見張ると視界には新島の顔がある。
彼女が自分にのしかかっているということは、すぐに理解できた。
「世川くん、あのね」
新島の赤い唇が動く。食べたり飲んだりしているのに、何故色が落ちないのか不思議だった。横たわっているソファから、カビ臭いにおいが漂う。
「今日、私、そのつもりで来たよ」
そう言う彼女の頬は朱に染まっているように見えた。世川は息を呑む。
そのつもりとは、疑いようもなく、性的な行為を指しているのだろう。瞬時に理解ができた。
応えなくては、と思う。しかし手足どころか、黒目すら動かすことができなかった。新島は小さく笑って、「大丈夫、世川くんは、じっとしてて」と世川の手を握り、自身の胸へと押し当てた。柔らかい感触が手のひらに伝わる。触れ合った部分から、やがて全身にかけて、汗が滲み出る。
「私は、世川くんのことが大好きだよ」
新島の指が世川の腹を撫で、感触を確かめるようにして太ももへとすべらせていく。
「世川くんも、私のことが好きだよね?」
小さい手が陰部に触れて、世川は腰を引いた。しかし仰向けになっているため逃げ場がなく、彼女の手にゆるく押されて悲鳴にも近い声を漏らす。
「何もしなくて大丈夫だよ」
ジーンズのファスナーが下ろされたのが、音と微かな振動でわかった。世川は新島の顔から目を逸らせずにいた。
「私が全部してあげるから」
薄い布一枚を隔てて、新島の柔らかい手の感触が、そこに伝わる。やっと彼女の顔から視線を外してその光景に目を向けた。白い手が、世川の突出した臓器をまさぐっている。
「だから、大丈夫」
「や、やめて」
必死に絞り出した声は、その三文字だった。その、拒絶の三文字が、考える間もなく喉の奥から本能的に吐き出された。
新島は、手の動きを止めた。世川は全身から嫌な汗が吹き出すのを感じた。恐ろしくて、彼女の顔を見上げることができない。
取り繕わなくては、と思い立ち、「いや、ごめん。違うんだ、あの、初めてだし、僕は。だから、心の準備が……」とでたらめに言葉をつなげていると、両耳に子供のような笑い声が突き刺さった。
世川は反射的に眼球を動かした。その甲高い笑い声は、間違いなく彼女の、新島の口から発されていた。呆気に取られつつ、彼女のその美しい笑顔に目を奪われていると、「嘘つき」と唇が動いた。
「初めてじゃないでしょう、世川くん。あー、こっちが初めてってことか」
見たことのない歪な笑顔で彼女は言って、すぐに感情を削ぎ落としたような無表情になる。
「どうしていつも、私が欲しいものは、手に入らないのかな」
独り言のようにそう呟いて、新島は世川に顔を近づける。甘い香りがした。
「世川くん、私のこと好きじゃないでしょ」
「違う、好きだよ、ちゃんと」
世川は目の前の女の豹変に混乱しつつも、答える。しかし、
「一ノ瀬くんよりも? 違うでしょ」
鼻先がくっつくほどの至近距離で言われて、世川の思考は完全に停止した。何故、彼女の口から、その名前が出るのか、理解が追いつかない。
「どうして、一ノ瀬のことを……」
「一ノ瀬くんが何で会いに来なくなったかわからない? 私が釘を刺したからだよ。全然気づかなかったんだね、世川くん」
あの夜、一ノ瀬が別れを告げに来た夜。釘を刺されたのだと彼は言った。その頃には新島は、とっくに一ノ瀬と世川の関係を知っていたのだ。もう、一ノ瀬と接触した後だったのだ。一体、いつから? 誰に? いや、それよりも、目の前で恐ろしい笑顔を浮かべている女は、誰だ?
世川は、自分が彼女をおかしくしてしまったのだろうかと考えた。バレなければいいなんて、思い上がりだった。始まる前から既に、彼女は全て知っていて、瀬川を泳がせていたのだ。
きっと、彼女は世川の行に傷ついたのだろう。それで、こんな行為に出たのだろう。取り返しのつかないことを、してしまった。世川は後悔の念に駆られる。
「ごめん、ごめんなさい。違うんだ、その、一ノ瀬とは……」
「ああ、大丈夫。違うよ、怒ってるんじゃないの」
新島は優しい笑顔に戻り、世川の髪を撫でた。それから顔を離して、ため息をつく。
「もういっか、本当のことを話そうよ、お互い」
世川が呆然としていると、彼女はそれを肯定と受け取ったのか、はなから世川の意見なんて求めてはいなかったのか、口角を持ち上げている赤い口を開いて話し始めた。
私の両親ってね、すごく厳しいの。軽く話したことあったよね? 門限があるとか電話も長くできないとか。でも、あんなもんじゃなくて、私の人生を全部支配しないと気が済まない人達なんだ。あ、暴力はふるわれてないよ、安心して。何でそんなに私を支配したいのかって言うとね、思い通りにできる子供を一人作っておきたいかららしいの。父親も母親も変に頭だけは良くて、まぁほんとに頭だけなんだけど。あんまり社会では上手く生きていけなかった人たちなのね。いるでしょ、頭が硬くて空気が読めなくて、周りから嫌厭されたり、見下されたりする人。多分あんな感じなんだろうなぁ。神経質すぎるんだよね、それでプライドも高いの。あの人たちが笑ってるところなんて、ほとんど見たことないもん。
あ、話が逸れたね。えーと、だから、見栄と……なんだろうな。復讐? 何にだよって感じだけど、とにかく自分を認めてくれなかった社会に対して仇討ちがしたいみたいなのね、両親は。面白いでしょ? 劣等感の塊どうしが結婚しちゃって、お互いが拍車を掛け合って、誰も軌道修正してくれなかったんだろうね。
そんなわけで、見栄えのいい優秀な男と結婚して、周りに自慢できて、いつでも言うことを聞いていつでも呼びつけて思うがままに動かせる便利な娘がほしいの、あの人たち。特に父親は。本当は息子に自分の人生の二週目をやらせたかったみたいなんだけど、娘しかできなかったから、婿に期待って感じなのね。私自体には価値はないの。あるとしたら、この見た目ぐらいかな。見栄っ張りな両親にとったら、私は最高に見栄えのいいお人形さんだからね。それでね、私、すごく頑張ったの。っていうのも、二個下の妹がいるんだけど、妹にはこんな気色の悪い家から抜け出してほしくて。私があの家でなんとか正気を保って生きていけているのも、妹のおかげだから。優しくて可愛くて、すごくいい子なの。妹が犠牲にならないように、私が全部引き受けて都合のいい駒になろうって、頑張って従順で無抵抗な娘を全うしていたの。
でも、大学進学の時に初めて反発した。私、どうしても大学に進学したくて、高校二年の時から親にも言って許可を貰ってたの。なのに、三年になったら急に進学しないで見合いして結婚しろって言われて。さすがの私も話が違うって反論して、親と揉めて、親は私に失望したんだよね。そしたら、もう笑っちゃうくらいあっさり、ターゲットが妹に変わったの。
妹にはずっと付き合ってる人がいるんだけど、お世辞にも優秀とは言えないから、両親が許すはずないんだ。でも妹は、今まで私が苦しんだ分、今度は自分が引き受けるって言ってる。彼とも別れようとしてる。私はそんなの絶対に嫌なの。妹はずっと美容師を目指してて、専門学校に行くはずだったのに、このままだと見合い結婚なんかさせられる。そんなの絶対に許せない。妹だって、今はまだわからないかもしれないけど、このまま行ったらきっと将来私を恨むことになると思う。そんなの、耐えられないの。妹には、妹にだけは嫌われたくない。あの子に嫌われたら、私もう生きていけない。逆に、あの子さえ味方でいてくれれば、あの子が幸せであってくれれば、私は一生あの家から出られなくたって生きていける。
だからね、早く、そこそこ頭も良くて見た目も悪くない男の人を紹介して、結婚して、親の言いなりにならなきゃいけないの。だから、世川くんには犠牲になってもらいたいの。世川くんがもっと簡単だったら、一生言うつもりなんてなかったのになあ。
新島は台本でも読むかのように、すらすらと語った。いつものような減り張りが一切ない声は、まるで別人のもののように感じられたが、そう言い終わってにこりと笑う顔は、やはり見慣れた彼女に違いなかった。
「そんな、家、二人で逃げ出した方が、いいんじゃないの」
世川はやっとの思いで平凡な意見を捻り出したが、彼女は「現実的じゃないね」と想定の範囲内というふうに却下する。
「一時逃げ出したところで興信所でも使って探しに来るよ。未成年だと親の同意無しじゃあ出来ることも限られるしね。それに、連れ戻されたら、もっと酷いことになる。だからそんな簡単に縁は切れないし、まぁ、そうだね。おかしいと思われるかもしれないけど、離れられないの。私も妹も、あの人たちを捨てられないの。世川くんも、少しはわかるんじゃないかな」
母親の話を、彼女にしたことはない。しかし、きっと把握済みなのだろうと、その口ぶりから伺い知れた。
「だからこれが、波風立たせずに、みんな不幸にならずに妹を解放する、最短ルートなの」
新島の言っていることは、きっと正しくはない。しかし、世川には、彼女の主張に共感を覚えてしまう部分が多々あった。母が出て行った後も、ずっとこの家に住み続けた世川には、彼女を否定することはできなかった。したくなかった。しかし、
「だからってそんな、僕のこと好きでもないんでしょう」
新島が妹を守るためにその計画を実行するにしたって、自分よりも適任な人物なんて幾らでもいるはずだ。新島が本当に好意を抱く男だって、きっと現れるはずだ。そういう男を選んだ方が、新島はまだ、幾らかは、一般的な幸せに近づけるのではないかと思った。
だが新島は眉尻を下げて、寂しそうな表情になる。
「そうじゃないよ。世川くんのことは、本当に、人として好きだよ。告白した時に言ったこと、全部嘘じゃない」
世川にはもはや、彼女の表情や言葉が、本物なのか偽物なのか、わからなかった。新島はそんな世川の心を読んだかのように続ける。
「仮に嘘だとしても、本当に好きになっていけばいいじゃない。世川くんだって、私のことを、人としては好意を抱いてるでしょ? それに、世川くんだって私のことを利用しようとしたんじゃないのかな」
世川の心臓が大きく跳ねた。「え」と声を漏らすと、新島は目を細めて優しく笑いかける。
「世川くんが宮田と一緒にいるのも、私の告白を飲んだのも、全部私たちの持つステータスの恩恵が欲しかったからじゃないの?」
「違う、そんなんじゃない。それだけじゃ……」
「でも、そういう部分もあるよね。見てればわかるよ。そういう人、今までにも沢山いたし。まぁ、宮田がそれに気づいてるのかは知らないけど」
ハハ、と渇いた笑いが嫌に響いた。世川は顔が熱くなるのを感じた。浅はかで醜い人間だと、面と向かって突きつけられた気分だった。
「だからさ、お互いに利用し合おうよ。幸い好意はあるんだし、悪い話じゃないよね? 世川くんだって私と結婚したいでしょ? 可愛くて賢い彼女が、奥さんがほしいでしょ? それに私だったら絶対に裏切らないよ、これは契約なんだから。絶対に世川くんを一人にしない。こんな広いお家に一人で住むこともないよ。安心してよ、私ちゃんと仕事もするし、家事もするよ。ずっと優しくて可愛い、世川くんだけの私でいるから。
それに、うちの父って一応は大きい会社の重役なんだ。まぁ、あんな性質のせいで肩身は狭そうだけどね。だから私と結婚したら、待遇の良い仕事だって手に入るよ。ちょっと頭のおかしい両親との付き合いを頑張るだけ! どう? きっとこんなチャンス他にないよ」
ね? と言って、満面の笑みを浮かべた新島が、世川の頬に両手を添えた。世川は、なんだか泣きそうになった。
「ダメだ、そんなの。僕には耐えられない。そんなの、だって、おかしい」
「世川くんがそれを言う?」
新島は、包帯を巻いた世川の腕にそっと触れて、手首の辺りを撫でる。
「私ほんとは、世川くんが腕切ってたって、男と寝てたって、全然いいんだ。ただ、それが親にバレたらマズいじゃない? だから直してって言っただけで、私自身は世川くんの腕がズタズタでも男が好きでも何でも受け入れてあげられるよ。まぁ、結局自傷も男色もやめてもらうことにはなるけど。でも、そういうことをした世川くんのこと、軽蔑なんてしないよ。何でもわかってあげられるし、寂しい思いをさせたりもしないよ。こんな女の子、他にいるかな?」
手首を触る力がどんどん強くなっていって、腕の傷がじくじくと疼き始めた。鼓動が早まったまま、収まらない。
新島の提示する契約は、甘い誘惑にも聞こえた。彼女に応じれば、欲しいものはほとんど手に入ると言っても過言ではない。何の不安もなくなり、二度と寂しさを感じることもなく、理想の人生が手に入る。
しかし、そこにはこの左手は含まれていない。何より、一ノ瀬が含まれていない。
「僕は、できない。僕じゃダメだよ。利害関係で結婚するとしたって、もっとまともで、立派で、新島さんを本当に大切に思ってくれて好いてくれる男だって、絶対にいるじゃないか」
「そこが問題なんだよね」
世川の反論を受けた新島は、再び想定内というふうに説明を始める。
「本当に運が悪いんだけど、私、もうずっと男の人が生理的に受け付けられないの。嫌いなの。話したくもないし、触れるなんて論外。同じ空間にも居たくない。
だけど、本当に時々、そんな嫌悪感を覚えない男の人がいるの。それが、宮田と世川くんだった。まぁ、宮田は全然ダメだったんだけどね。まともすぎるの、アイツは。
だからもう私には、世川くんしかいないの。いくら妹のためとはいえ、触れもしない男と夫婦のふりはできない。でも、世川くんとならできる。苦じゃない。でもここで君を逃したら、もう次はないかもしれない。だからねえ、助け合おうよ」
世川は、頭がくらくらして、吐き気を覚えた。今まで一度だって、新島はそんなそぶりを見せなかった。学内で男と話す時だって、可愛らしくにこにこ笑っていたし、ボディータッチだって当然のように受け流していた。
彼女の覚悟の強さに、目が眩んだ。
「それに、一ノ瀬くんに相当入れ込んでるみたいだけどさ、その気持ちって、シちゃったから絆されただけなんじゃないかな」
そう言って、新島はワンピースの裾をたくし上げて、するすると下着を脱ぎ、床に放った。初めて目の前にする新島の薄いピンク色の下着だが、世川はそれに感想を抱く余裕はない。
「だから、私ともシてみようよ」
新島は再び世川のそれに触れる。世川が拒否しようと手を掴むが、彼女はその細い腕からは想像もできないほどの力で手を進め、それから世川の下着の中に手をつっこんだ。ひやりと冷たい温度が伝わり、世川の喉が「ひっ」と鳴る。
新島は頬を上気させて笑っていた。世川は何故か、母を思い出した。
下着がずり下ろされて、新島が身体の上で動く。
温かいものが触れたと思ったら、柔らかく湿った肉に自身が飲み込まれた感触がし、
「あ、入った」
と新島が目を細めて笑った。

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