伯爵令嬢の家庭教師はじめました - 乙女ゲーム世界へ転生したと思ったけれどなにか違う気がする……?

大漁とろ

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第一章

第三話 『家庭教師はじめます』

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「不思議だわ……。ある日突然、魔法の素質が目覚めるなんて」

 わたしの話に聞き入り、頬を淡く染めながら、エセル様が溜め息混じりにそうおっしゃった。

「何故そんな力が目覚めたのかはわかりませんが、御師様にお会いできたのは本当に幸運でした。こうしてエセル様たちの家庭教師を務めさせていただけることにもなりましたもの」

 少しだけ真実を隠し、わたしはエセル様に微笑んだ。

「それはわたくしにとっても幸運だわ。先生とお会いできて、こうして学ぶ楽しさを知ることができて、とてもうれしいの」

 ほっそりとした手を胸に当て、エセル様は目を閉じてそう囁かれた。
 学ぶことの楽しさは、わたしも御師様に教えていただいたことだ。それをエセル様にも伝えることができたなんて、家庭教師冥利に尽きる。
 わたしは嬉しさのあまり、笑みが深くなることを抑えられなかった。男爵家の娘として、少々はしたないことだけれど。


  ***  ***  ***


 御師様の元で学ぶことはとても楽しかった。
 この世界の成り立ち。他国との関係や環境。回復や防御の魔法。薬や毒の種類。遥か昔から語られる伝説から、最新の魔法技術まで、御師様はありとあらゆることを教えてくださった。
 知識を吸収することがこれほど楽しいなんて、今までも、――そう、前世を含めたって、感じたことはない。これは師がよいからなんだろう。

 御師様は、王国の専属魔法士の中でも最上位を誇る方だ。
 年齢も経歴も、性別すらも未だにわからないお人だけれど、技も頭脳も桁違いに素晴らしい。
 そんな魔法士が他国に流れないよう、国王様が直々に特別な契約をしている、などという噂もある。
 けれど、その反面、日常生活においてはまったくもってダメダメなお方だ。
 弟子入り当初、あまりにも乱雑な研究所内の様子に、驚きをとおり越して思考停止してしまった。
 なんといっても足の踏み場がない。本や研究をまとめたメモ、筆記用具や実験道具、薬の素材が床だけではなく、壁も棚も階段も、しまいにはベッドにまで積み上げられていた。
 どこで眠っているのかと尋ねれば、椅子か空いた床で適当に寝ているという。更に、うっかりすると一週間なにも食べないこともあると知って、わたしは教えを請う前に研究所を片付け、御師様の食生活を改めるところから始めた。
 我が家は爵位があってもお金はない。使用人も片手で足りるほどの数だ。だから家族全員、ひととおり家事ができる。そのおかげで、御師様のお世話をするのは楽だった。
 日常生活ではわたしが御師様を助け、魔法士としては御師様がわたしを導いてくれた。慌しくも充実した日々。

 そしてあっという間に月日は流れ、いつの間にか師事してから二年が経っていた。



 そんな十七歳の、春のある日。

「やはり君は教え甲斐がある。わたしはね、知識は伝えていってこそのものだと思っているんだよ」

 晴れやかな笑顔を浮かべた御師様が、自身で調合したお茶を飲みながらそうおっしゃった。
 毎日違う姿形に見える御師様は、今日は麗しの美女だ。緩く編まれた長い髪から零れたおくれ毛や、カップに触れる唇がとても蠱惑的に見える。
 最初は不思議すぎて自分の目を疑ったものだけど、案外慣れるのも早く、むしろ今日はどの姿なのだろうと楽しみにしていた。

「王国専属魔法士、なんて肩書を持ってはいるけど、本当はそんなものにたいした価値はないんだ」
「御師様、そんなことおっしゃっては……」
「はは、不敬罪になるかな。だけど、どれほど研究を重ねても、国のために尽くしても、この中に詰まった知識はわたしが死ねばそれで終わりなのだと考えていたんだ」

 艶やかな唇が弧を描く。僅かに哀愁が漂っているように思えるのは、きっと間違いではない。
 機械文明がまったく起こっていないこの世界。文明を進ませているのは、魔法士の研究と騎士団の武力だ。

 例えば、この世界の主な伝達手段は手紙だ。だが届くまで時間がかかる。国を跨いでのやり取りならば尚更。
 だけど魔法士は、音が届く範囲ならば言葉を声の振動のまま相手へ向けて飛ばすことができる。
 もっと遠い場所へ飛ばすならば、鳥や蝶、羽虫など、空を飛べるものを錬成し、言葉を託す。言葉のまま届けるのか、手紙にするのか、運ばせる動物、昆虫種類、それは魔法士の得意な組み合わせで発動させる。大抵は師匠に教わったやり方が主流だ。それを自分の使い勝手がいいように変えていくこともある。
 だから魔法士は毎日実験と研究を繰り返しているのだ。
 世界の構成を細かく紐解き、あらゆるものに宿る物質を見つけ、分類していくために。

「そこに、君が現れた。わたしの知識を継いでくれるほどの、頭脳と力を持った君が」
「そんな……、買いかぶりすぎです」

 思わず眉を下げて笑ったわたしに、御師様は意味ありげな微笑みを浮かべた。
 御師様は、今まで弟子を取ることなく王国専属魔法士として歩んでこられた。能力が高すぎて誰もついていけないからだと噂されていた中、ただの下級男爵家の娘であるわたしが弟子になったことで、王国中に様々な激震が走った。それでも明確な嫌がらせなどなかったのは、御師様のお陰なのだろう。わたし自身、多少図太くなったせいもあるけれど。

「君は、良くも悪くもこの王国に変化をもたらした。今は小さな波紋かもしれない、まだ飛べない雛鳥の羽ばたきかもしれない。でもそれが、いつかは大きなうねりとなっていくだろう」

 未来を予言するような言葉にどきりとする。
 御師様の不思議な言い回しには慣れたと思ったのに、未だに反応してしまうのは『わたし』の記憶があるからだ。
 そんなわたしを見て、御師様は目を細めた。

「深刻に考えなくていいよ。こんな胡散臭い魔法士の世話をあれこれと焼いてくれるお人よしの君だから、本格的に弟子にしようと思ったんだ」

 これまでの日常生活を思い返し、小さく笑い返す。
 今でこそ普通にお茶を飲んでいらっしゃるけれど、以前はまともなカップもポットもない状態だったのだ。

「それで、これからが本題だ。マティアス伯爵家のご令嬢は知っているかい?」
「大公家に次ぐお家柄の伯爵家ですね。確か美しい姉妹がいらっしゃるとか」

 実家にある貴族年鑑を思い出しながら答える。とても厚く、代替わりや爵位の授与により日々変わるため、毎年必ず発行されるものだ。家の本棚を圧迫するもの第一位といっても過言ではない。

 この国には明確な身分制度がある。
 王家を筆頭に、王家の血筋から派生した大公家。次いで、建国当時から王家に使えていた伯爵家。そして上級男爵家があり、我が家のような下級男爵家、その他平民といった階級が存在している。
 男爵家の位の差は、伯爵家に次いだ地位で領地を持つのが上級男爵家。こちらは領地名で呼ばれる。一方、下級男爵家は、騎士や魔法士、平民が功績を称えられ爵位を授かった家だ。領地は持たず、通常の家名で呼ばれるため、上級男爵との区別はすぐにつく。別系統の階級として王国騎士団所属の騎士と魔法士が存在するが、扱い的には男爵と同程度。隊長格ともなると伯爵や男爵家の子女が着くことも多いため、ほぼ形式上の階級となっている。
 我が家は、曾祖父が騎士団での功績を認められ爵位を賜ったという典型例だ。

 そんな中、マティアス伯爵と言えば、古い家柄で領地も広大、王家の信頼も厚い。数代前からの下級男爵家など、おいそれと話しかけられるような方々ではないのだ。
 そして、伯ネスの中でも重要な人物、主人公の前に立ちはだかる悪役令嬢エセルバートの家でもある。

「そう、その妹君の家庭教師の打診が来たのだけど、君、やってみないかい?」

 御師様は優雅な手つきで机の上に手紙を滑らせた。
 厚く、上質な光沢が薄っすらときらめく封筒。封のところに押されている美しい紋章は、マティアス伯爵家のもの。そっと手に取り、中を拝見する。
 縁に青が混じる黒インクで書かれた手紙は、丁寧な、ある意味回りくどい挨拶から始まり、第二令嬢エリスナード様の家庭教師を紹介して欲しいとの旨が記されていた。
 まさに伯ネスの開始時と同じだ。
 ただ、わたしはまだ十七歳。ゲームは一年後、十八歳から始まるはずなのに。

「でも御師様、わたしはまだまだ教えていただきたいことがやまほど……」
「わかっているよ。そうだな、本格的に教師になる前の、ちょっとした訓練だと思えばいい」
「ちょっとした訓練にしては、教える方の位が高すぎるのでは……!?」
「まぁそこは、わたしの立場上仕方がない。どんな人の依頼も面白ければ受けるのに、君たちのような男爵家などは遠慮してしまうんだから」
「当然です。わたしだって、御師様がおっしゃってくださらなければ、弟子になるなどとても考えられませんでした」

 大仰に肩を竦める御師様の姿に、溜め息をついて言い返す。
 この方はご自分の立場を気にしていないどころか、時々本気で忘れてしまうのだ。そのせいで色々な騒動を引き起こしたのだけれど、今は割愛しておく。

「ともかく、君はわたしの一番弟子なのだから、この依頼に適う人物だ。君はこの二年でかなり成長した。身の内にある図書館にも、随分蔵書が増えただろう?」
「そう……でしょうか」
「そうとも」

 未だ困惑するわたしを、御師様は笑顔で背中を押してくれた。
 もし断ったとしても、また同じように家庭教師の話が舞い込んでくる可能性もある。そもそもここが本当に伯ネスの世界なのかも確証が持てないのだ。一年の誤差くらいあったとして不思議ではない……のかもしれない。

「――わかりました。お受けいたします」

 覚悟を決め、背筋を伸ばしながら答える。御師様は優しい表情で頷いてくれた。

「では、返事をしておこう。あとのことは、詳細が決まってからだ」
「はい。後ほど手紙一式を用意しておきますね」
「頼むよ」

 そんなやり取りをし、残りのお茶を飲み干す。
 ふと窓の外に目を向ければ、新緑を反射した太陽の光が、花々を温かく照らしていた。
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