伯爵令嬢の家庭教師はじめました - 乙女ゲーム世界へ転生したと思ったけれどなにか違う気がする……?

大漁とろ

文字の大きさ
19 / 24
第一章

第十九話 『魔法戦はじまりました』

しおりを挟む
「いるのはわかってんだぜ? 小賢しく気配を散らしやがって。天井ぶっ壊しちまおうか。それならどこにいても下敷きになるだろ」

 狂気と怒りに満ちた声でリンドールが叫ぶ。不自然に反響する音の出所を探れば、ホールから上がった二階部分の踊り場に三つの影が見えた。

「なに言ってんだ、そうすりゃ俺たちだって危ねぇだろ」
「冗談だよ。用済みの場所っつっても、あまり痕跡を残したくはねぇしな」

 仲間の男に窘められ冗談ぶって答えはしたが、リンドールの怒りは収まってはいないようだ。
 それにしても、何故こんなに音がおかしな響き方をしているのだろう。すぐ傍で聞こえると思えば、次の言葉はとても遠くで話している。形容しがたい不安が身体中に広がっていく。

「だがなぁ……、あの女は殺しておかなきゃならねぇ。見習いの使えねぇ女だと思っていたが、あいつ、魔力を吸収しやがった! しかもひとり分丸ごとだ!」

 叫びと同時に凄まじい衝撃がホール内に落ちた。天井から床へ、更に横へも這うように雷が降りてくる。小さく悲鳴を上げたエセル様を抱き締め息を飲んだ。

「どうだ!? 魔法ごと吸収しちまえよ! できんだろ!!」

 激情のまま高い笑い声を響かせ、リンドールは何度も雷を放った。広い床に黒く焦げた跡が無数に残っていく。
 衝動で放つ魔法の割に威力が強い。通常ならば、精神が安定している方が制御しやすく威力も増すのだが、不自然なまでに強いのだ。
 そのとき初めて、ホール内が湿気に満ちている理由に気づいた。
 水は雷気を通しやすい。広いホール内で効率的に雷を落とすならば、降っている雨を元にして湿気て満たしてしまえばいい。
 わたしはエセル様を抱え移動しながら、小さく唇を噛み締めた。やはりリンドールの方が戦闘経験が上だ。悔しいがそれは認めなければならない。
 防戦だけではこの場から逃げられない。心配ではあるが、エセル様おひとりで逃げていただくしか――。
 そのとき、エセル様の小さな手がわたしの肩を掴んだ。

「にげて」
「エセル様?」

 抱えているエセル様を見遣ると、澄んだ瞳が真っ直ぐ見つめていた。

「あなただけでも、にげて、――生きて」
「そんなことはできません!」
「わたくしは、被用者であるあなたを守る義務があるわ」

 青く輝く瞳がわたしを見上げる。先ほどまで茫洋としていたものではない。力強さを宿した瞳だ。

「わたくしはエセルバート・ノードリー。マティアス伯爵家の娘。お父様とお母様がいらっしゃらない今、わたくしが責任者よ」

 凛と言い切るその姿に、思わず言葉に詰まった。
 なんという気高さだろう。先ほどまで呪いで心身を蝕まれていたというのに、誇りだけは失っていない。貴族令嬢に相応しい、いや、それ以上に高潔な魂。わたしはその瞳の強さに一瞬気圧された。

「これ以上ふたりで逃げるのは無理だわ。ひとりならば可能性はある。あなたが逃げて」
「できません、エセル様を置いてなど……!」
「わたくしは足手まといだもの。リンドールはわたくしを殺しはしないでしょう。あなたの方が危ないのよ」

 抑えた声で早口に言い切るエセル様の瞳は、聡明さに輝いていた。
 轟音とともに数歩先に雷が落ち、思わず互いを抱き締め合う。焦げた臭いが漂ってきた。

「わたくしがリンドールを引きつけているうちに逃げるのよ。ダストンたちに助けを求めてちょうだい」
「エセル様……!」
「魔法を解いて。時間がないわ、早く!」

 エセル様の言葉は、有無を言わせない力が込められていた。
 わかっている。エセル様のおっしゃるとおりにした方が、ふたりとも生き残る確率は上がるだろうと。
 でも、ここでエセル様を置いていくことは見捨てることと同義だ。祖父に虐げられ、両親に向き合ってもらえない少女を、悪党の前に置き去りにするなんて――!
 葛藤するわたしに焦れたのか、エセル様は手を振り切り、よろけながらも走り出した。

「リンドール! わたくしがいれば十分でしょう!? あの方は逃がしてさしあげて!」

 最小限に展開していた魔法の範囲から外れたエセル様を、リンドールたちが目敏く見つけた。にやりと卑しい笑みを浮かべる。

「そうはいかねぇんだよお嬢様。あの女は殺らなきゃならねぇ」
「わたくしの目の前でそのような蛮行は見過ごせないわ。わたくしを人質にすればいい! その代わり彼女は無傷で逃がして!」
「アンタは確かにご令嬢だがなぁ、親にも見捨てられたガキじゃ人質にもならねぇんだよ」
「――――っ!!」

 粘つくような声でリンドールが言った瞬間、エセル様の肩が大きく跳ねた。

「やつらがこの棟に来たことなんかねぇだろ? アンタのことなんざどうでもいいのさ。かわいそうなお嬢様、おっ死んだジジイの人形としてこれからも生きていきな!」
「……わた、わたくしは……っ」

 エセル様の唇がみるみるうちに青ざめていく。細い身体が震え、呼吸が浅くなっているようだ。

 もしかして。
 もしかして、こんなひどいことを何度も言われていたの?
 動けなくなって身体が震えるくらい、何度も何度も言われていたの?

「オイ、ガキを捕らえとけ」

 リンドールが命じると、魔法士の男が宙から鎖を出現させ、その先端をこちらへ向けた。同時に短剣の男が手摺から飛び降り、軽々と床へ着地する。
 わたしは咄嗟に、やつらの侵入を止めるためエセル様の周囲に風の壁を作った。

「女ァ……、そこにいたのかよ!」
「訂正しなさい! マティアス卿はエセル様を愛していらっしゃるわ!」

 怒りのまま叫んだわたしを見て、リンドールは顔を醜悪に歪めて腹を抱えた。

「アッハハハハハ! 笑わせんな! 俺を雇ったのは血が繋がった実のジジイだ! 必要なのは伯爵家の令嬢、お嬢様じゃなくてもいいんだよ!」
「今すぐその口を閉じなさい! 水よ集い姿を表せ!」

 リンドールと、素早く近づいてくる短剣の男へ向かって水球を飛ばす。
 周囲に水気が溢れているなら利用するまで。特に短剣の男は魔法の耐性がないだろうから、リンドールたちより窒息させるのは容易いだろう。

「ガボァッ!」

 予想どおり、頭部より一回り大きいほどの水球でも、短剣の男はもがき苦しみだした。勝手に息を吐き出し溺れそうになっている。
 リンドールも同様に手足を振り回し苦悶の表情を浮かべている。
 魔法士の男が鎖を収め、ふたりを助けるべく風魔法を唱えた。

「貴方たち、正規の魔法士でも剣士でもないのでしょう? 研究所や騎士団に収まらない強さだったのかしら。あら、でも不思議ね、こんな魔法士見習いの娘を仕留め損ねているんですもの」
「小娘が……!!」

 肩で息をしつつ挑発するわたしの言葉に、魔法士の男は憎々しげに唇を歪めた。

「このガキども! 殺してやる!!」

 魔法を中断した男の背に、再び大量の鎖が現れた。頭上を覆うほどの束は、擦れ合いながらわたしたちを狙い襲いかかってくる。鈍い金属音が不吉な響きを奏でた。

「エセル様、お下がりください!」

 エセル様を庇い、わたしは風の盾を展開した。空気の層の外周が鎖で覆われ、盾ごと雁字搦めにされていく。腕輪の中から魔力を補給しつつ耐えるが、こちらが不利な状況は変わらない。
 魔法士としての経験は男たちの方が遥かに上。人を害することに躊躇もない悪党。そんな相手にどう戦えばいいか。わたしが選択できる手段は限られている。

 だけど、だからこそ、できることがある――!

 視界の端で、短剣の男が水球の中で意識を失っていることを確認した。リンドールは未だもがいている。短剣の男へ割いていた魔力を解放すれば、力無く床へ倒れ伏した。
 怒りに燃える魔法士の男を見据え、外側へわざと左腕を突き出す。絡まった鎖を掴み、流れを探り、その先にある男の魔力を捉えた。

 今だ、腕輪に流れを繋ぐ……!

「オイやめろ罠だ――――!!」
「うああぁああぁぁあぁあぁぁあああぁぁぁあ!!」

 ようやく水球を崩したリンドールの静止よりも早く、男の魔力を一気に腕輪へと吸収する。絶叫とともに男の身体が硬直し、目が見開かれた。
 先ほどの比ではないくらい、大量の魔力が腕輪の中へ吸い込まれていく。その流れを制御するだけでも精一杯だ。だが男を魔力切れにさせれば、残るはリンドールだけになる。わたしは暴れ出しそうな左腕を掴み、魔力の濁流に耐えた。
 常に冷静に己を律し、魔力の流れを制御する。それが魔法士の初歩的な心構え。
 御師様の声を思い出し、わたしは男の魔力すべてを腕輪の中へと流し込んだ。

 ゆらりと傾いだ男が、どう、と音と立てて階段の上へ転がる。
 美しい磨き石の段の中ほどまで落ちた男の身体は、頭を下に向け不自然な格好で止まった。
 僅かな間、静寂がホール内を支配した。
 一場面を切り取った絵画のように、誰も動かない、動けない。
 不気味で奇妙で、この世界とはまったく違う場所で起こっている出来事に思える。

 しかしそれを破ったのは、リンドールの指先から滴った一粒の水音だった。
 ぽたり、と小さな音がやけに大きく響く。
 瞬間、リンドールの身体から膨大な魔力が溢れだした。肌に突き刺さるほど殺気に満ちた力。

「……女ァ! 殺してやる殺してやる殺してやるァァアァ!!」

 水滴とともにだらしなく垂れる涎も気にすることなく、目を血走らせながらリンドールが叫んだ。
 手負いの獣。むしろ蛇。初めて会ったときの取り繕った姿など欠片もない、どこまでも執拗に狙う獰猛さだ。
 その狂気から庇うよう、わたしは息が整わぬままエセル様の前へ進み出た。
 怯んでたまるものかと、視線だけは逸らさずに。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?

来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。 そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった! 亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。 「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」 「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」 おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。 現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。 お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、 美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!

異世界転生した女子高校生は辺境伯令嬢になりましたが

ファンタジー
車に轢かれそうだった少女を庇って死んだ女性主人公、優華は異世界の辺境伯の三女、ミュカナとして転生する。ミュカナはこのスキルや魔法、剣のありふれた異世界で多くの仲間と出会う。そんなミュカナの異世界生活はどうなるのか。

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

悪役令嬢の追放エンド………修道院が無いじゃない!(はっ!?ここを楽園にしましょう♪

naturalsoft
ファンタジー
シオン・アクエリアス公爵令嬢は転生者であった。そして、同じく転生者であるヒロインに負けて、北方にある辺境の国内で1番厳しいと呼ばれる修道院へ送られる事となった。 「きぃーーーー!!!!!私は負けておりませんわ!イベントの強制力に負けたのですわ!覚えてらっしゃいーーーー!!!!!」 そして、目的地まで運ばれて着いてみると……… 「はて?修道院がありませんわ?」 why!? えっ、領主が修道院や孤児院が無いのにあると言って、不正に補助金を着服しているって? どこの現代社会でもある不正をしてんのよーーーーー!!!!!! ※ジャンルをファンタジーに変更しました。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

処理中です...