伯爵令嬢の家庭教師はじめました - 乙女ゲーム世界へ転生したと思ったけれどなにか違う気がする……?

大漁とろ

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第一章

第二十話 『王国の剣とはじめまして』

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 リンドールが放出した魔力が、黒々とした影となって周囲に溢れた。その中で不気味に蠢くものが見える。

「肉片すら残らねぇくらいにぶっ殺してやる!!」

 叫びとともに影から黒い蛇の群れが躍り出た。絡み合い、うねりながらも、物凄い速さで迫ってくる。
 風の盾だけでは防御しきれない量だ。小さく床を蹴って石材を確認する。石の硬さにあわせて魔力を調整しながら、わたしは床石を網状に組んでいった。
 強度から言えば、厚い岩壁で囲むのがいいのだろう。しかしそれではリンドールの様子がわからない。正気を失い、なにをしてくるのかわからない今、視界を塞ぐ行為は危険すぎる。
 半球状に組んだ石網の上に風を巡らせる。びしゃりびしゃりと音を立てて、影の蛇の群れが盾に衝突しては崩れていった。

 何故リンドールはここまで激怒しているのだろうか。倒された仲間を心配して、という性格にはみえない。最初に倒れた長剣の男を気に掛ける素振りすらなかったのだ。

 ということは、わたしが他人から魔力を吸収したからか。
 どんな実験を行っても、魔法士たちが完璧に成しえなかったこと。
 自分でもうまくいくとは思っていなかったが、リンドールにとっても予想外のことだったのだろう。矜持が無駄に高そうな男だ、その事実が許せなかったのかもしれない。
 だからといって、完全なる嫉妬に付き合わされる気はさらさらない。

 一瞬でも隙をついて、ホールから脱出できれば――。

 そのとき、足元に僅かな魔力を感じた。身体中が危険だと叫ぶ。

「きゃぁ!!」
「エセル様!」

 黒い影が床を突き破り、盾の中まで入ってきた。周囲の蛇は囮。下からの侵入が目的だったのだ。
 エセル様に絡みつこうとするそれを風の刃で斬りつける。一瞬怯んだ影は動きを止め、その隙にエセル様を抱え、僅かに開けた石網の隙間から盾ごと飛び退った。
 だが、わたしたちが出てくることを狙っていたのか、無数の細い影が襲いかかってくる。
 漆黒に染まった蛇のようにうねりながら迫ってくる影は、圧倒的な量と力でわたしの盾を無理やり叩き壊した。
 黒い海に飲み込まれたと感じたときには、すでに蛇の群れに絡め取られてしまっていた。

「いやぁ! はなして……っ!」
「エセル様!」

 黒蛇に締めつけられたエセル様が悲鳴を上げた。長い間刻まれていた呪いを思い出したのだろう。身体が固まり顔面蒼白となっている。
 手を伸ばそうにも、視界が影で覆われていてはそれも叶わない。リンドールの元へ引きずられていく音を、ただ聞くことしかできなかった。

「アハハハヒヒハハァ! 返して欲しけりゃ魔法をすべて解きな! そうすりゃお嬢様だけでも助けてやるぜぇ!」
「…………っ」

 エセル様を抱え込み小さな顎を無理やり掴んだリンドールの目は、充血し真っ赤に染まっている。完全に正気ではない。
 エセル様はかたかたと奥歯を鳴らし、恐怖で視線すら動かせない状態だ。
 おとなしく魔法をすべて解いた瞬間、黒い蛇が襲い掛かってきた。ぬらりと動きながら身体を縛り上げ、骨を軋ませていく。

「さぁてこのまま縛り殺しちまおうか、それとも四肢を一本ずつ折っていこうか、あー、どうやって魔力を奪ったのか細かく分解して探るのもいいなぁ、アハハハ、ァヒッ、ヒヒヒヒッヒィ!!」

 眼球をぐるりと回しながら狂い笑うリンドールは、黒い蛇を更に増やし、背後から足元まで覆っていった。裾や首元から蠢く影が侵入してくる。生理的な嫌悪感が一気に身体中を駆け巡った。

「やめて……! お願いやめて……!!」

 エセル様がか細く震えた悲鳴を上げる。このまま目の前で殺されたら、エセル様の心にどれほどの傷を負わせてしまうのかわからない。

 どうしよう、どうすれば……!

 恐怖、痛み、嫌悪感、反抗心、ありとあらゆる感情が渦巻く。

 こんなところで諦めたくないのに――――!!

 突如、目の前が紅に染まった。
 なにが起こったのかわからず、目を見開きその紅を見つめる。大きなものを断つ鈍い音がその向こうから聞こえた。
 身体の中へ新鮮な空気が一気に流れ込んでくる。黒い蛇から解放されたのだ。
 だがすぐに、強い力で後方へと引っ張られる。

「きゃあ!!」

 硬いものにぶつかった衝撃で思わず悲鳴を上げてしまった。

「大丈夫か?」

 こんな状況に似つかわしくないほど穏やかな低音が、すぐ傍で聞こえた。聞き覚えのある声。
 はっとして顔を上げれば、兜の眉庇まびさしの影から鮮やかな緑の光が放たれていた。薄闇の中でも輝く木漏れ日の光。一度見たら忘れられない緑の瞳。

「は……、はい……」
「君は先日会ったルディ様の弟子だな?」
「はい、シャルティーナ・グランツと申します、こちらで家庭教師をしております」
「そうか。ここは危ない。下がっているんだ」

 ふわりと床に降ろされ、ようやく自分が騎士様に抱き止められていたことに気づいた。一瞬、声にならない悲鳴を上げそうになる。だが、こちらへ向かってくる魔力を察知し、慌てて身構えた。防御壁を展開しようとするが間に合わない。

 ところがそれは、こちらへ届く寸前で消えた。
 騎士様が、襲いかかる黒蛇の群れをひと振りで切り裂いたのだ。
 深紅のマントがひるがえった大きな背中を呆然と見上げる。

 以前、夢で見た光景と同じ――。だがそれは血などではなく、王国騎士団赤竜隊せきりゅうたいの証。
 先程と同じように拡がる紅。わたしを拘束していた黒い蛇を断ち斬ってくれたのは、この騎士様だった。

「王国騎士団、赤竜隊だ。王命により賊を捕えにきた。令嬢を離し、おとなしく投降しろ」

 状況に相応しくないほど穏やかな、しかし芯のある低い声がホール内に凛と響いた。
 同時に、大きく開かれた南扉から武装した騎士たちがホール内へなだれ込んでくる。彼らが持つ魔法光カンテラで照らされ、周囲の状況がよくわかるようになった。
 扉の向こうでは大粒の雨が降っているが、加護を付与されている騎士の鎧は一切濡れていない。王国騎士団の旗も、外から吹き込む風に美しくはためいている。
 王国騎士団は、他国の侵略を防ぐ役割もあるが、平時は国内の事件や事故を処理する組織だ。特に魔法を使う者たちが係わる事件は、彼ら以外対抗できない。

「賊は魔法を使う! 総員、心してかかれ!」
「了解!」

 困惑しているわたしを下がらせた騎士様が、朗々と響く声で命令を伝える。大きな盾を持った騎士たちが、更に前へと進み出た。先ほどから的確に指示を出しているあの方――騎士様が隊長なのだと、そこで初めて気づく。

魔法盾まほうじゅん、五方向、三段まで展開! 破られた者は速やかに下がり、再度展開準備に入れ!」

 前方の騎士たちが大きな金属盾を床に突き立てた瞬間、天井まで届くほどの魔法の壁が構築された。三重になった五枚の壁がリンドールを囲み、大群の蛇のように襲いかかってくる影を弾いている。
 騎士たちはみな同じ深紅のマント。赤竜隊は騎兵隊のはず。通常なら馬に乗って剣を振るう。
 それなのに、これほどの対魔法戦術を行えるなんて。魔法士隊と様々な面で連携が取れている証なのだろう。
 兜で覆われた隊長騎士様の横顔を見つめる。眉庇を跳ね上げ露わになっている場所に、魔法光カンテラの明るい光に反射した緑の瞳が輝いていた。
 命令の鋭さとは反対に、やはり垂れた目尻のせいか表情は物柔らかだ。兜の端で大雑把に結われた髪が、魔法の余波でマントとともになびいている。

 この方が『王国の剣』と名高い赤竜隊隊長、キース・バーノン様。

 三年前、北から来襲した魔物の群勢と戦い、十六歳という若さで武功を上げた騎士。その働きを認められ下級男爵位を賜り、更に今年の初め、赤竜隊隊長に歴代最年少で就任した方。
 噂に聞く数々の武勇に反し、とても穏やかで、泰然とした雰囲気の方だ。
 外見だけでは、彼の『王国の剣』だと気づく者は少ないだろう。

 思わぬことに一瞬呆けてしまったが、ある違和感に気づいた。
 騎士様が持つ剣や防具には加護がついているから、ある程度の攻撃は防ぐことができる。
 しかしあの剣に、魔法の蛇を断ち斬るほどの力は感じられない。なのに何故斬れたのだろう。

「人命優先だ、包囲固めろ」
「はっ!!」

 わたしの思考を中断するよう、低めながらよくとおる声で、バーノン様が的確に指揮をとっていく。その声に余計な感情は乗っていない。ただ作戦を遂行するため、淡々と紡がれていくだけだ。

「隊長、黒鷹隊こくようたい第三部隊、白烏隊はくうたい第二部隊到着しました」
「わかった、黒鷹隊を賊に気づかれないよう盾の後ろへ誘導しろ。白烏隊は外で待機だ」
「了解」

 部下の連絡にバーノン様が声を潜めて指示を出す。
 魔法士隊がきたということは、リンドールたちの魔法に対抗するためなのだろう。だが敵の情報を知らなければ、魔法に対抗することは難しい。
 わたしは慌ててバーノン様の傍へ駆け寄り顔を見上げた。

「あの……!」
「どうした」
「エセル様を人質に取っている男は無数の魔法を使います。特に蛇状の魔法は、壁の中や床下などにも潜めるものかと。呪いも構築できる相手です。お気をつけください」
「わかった。――黒鷹隊へ伝言。賊の頭は多数の魔法を使用。蛇状の魔法は屋内潜行の可能性あり。呪術も扱うため用心するよう」
「伝言了解!」

 短い応答を終え、部下が素早い足取りでホールの外へと向かっていく。
 わたしのつたない言葉を、きちんと汲み取ってくれた。こんな状況だからこそ、騎士たちは冷静であらねばならないのだろう。魔法士も同じはず。
 冷静であれ。もう一度しっかりと己に言い聞かせた。
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