伯爵令嬢の家庭教師はじめました - 乙女ゲーム世界へ転生したと思ったけれどなにか違う気がする……?

大漁とろ

文字の大きさ
23 / 24
第一章

第二十三話 『事後処理がはじまってました』

しおりを挟む
 目が覚めたとき、『王国の剣』が不安げな表情でわたしを覗き込んでいた。兜も鎧も脱いだ姿は初めて見るかもしれない。

「……バーノン、様……?」
「俺がわかるか」
「はい……、助けていただき、ありがとうございます……」

 屈み込んだせいで、自身の影がバーノン様の顔に落ちる。その中でも輝きを失わない緑の瞳が、わたしを真っ直ぐみつめていた。
 バーノン様の瞳の中で、新緑が太陽を浴びて輝いているのね……。
 知らない天井。治療院独特の薬草の匂い。ここはどこなのだろう。わたしは何故ここで眠っていたの?
 ぼんやりとそう考え、一気に思考が回り始める。

「――そうだわ、エセル様とエリス様は!? おふたりの怪我は!?」

 慌てて起き上がろうとしたが、全身に走る筋肉痛と倦怠感でそれは叶わなかった。僅かに頭が浮き上がった程度で、再び寝台に沈み込んでしまう。
 ままならない身体のまま見上げれば、バーノン様の瞳が緩く細められた。

「令嬢たちなら、王家の治療院で保護されている。姉君は衰弱が激しかったため、しばらくは療養が必要だろう。だが呪術の後遺症もない。医師と魔法士ともに、しっかり養生すれば回復するとの見解を出している」
「では、命の危険はないと……」
「ああ、そうだ。マティアス伯爵邸も、西棟は詳しい調査が入るまで封印、敷地すべてに防御結界を張り直した。騎士団からも警護が派遣されている。ひとまずは安全だろう」
「よかった……」

 心の底から安堵の息を吐く。より沈み込んでいく身体に、思考が引っ張られていった。

「あれから一日半経ったが、君の体力も魔力も完全には戻っていない。ゆっくり眠るといい。ここは騎士団内の治療室だ、安全は確保できている」
「そうですか……」
「ルディ様とご両親はすぐに駆けつけたが、眠っている君を起こさず、今は一時帰宅されているとのことだ」
「なにからなにまで、ありがとうございました……」

 瞼が次第に下がっていく。バーノン様にお礼を、きちんとお礼を言わなければ。でももう意識が保てない。
 ふわりと額に温かなものが触れた。僅かに魔力を感じる。そっと守ってくれるような心地良さが広がっていった。

「気丈な女性だと思ったが、そういった姿は歳相応だな」
 遠くで、低く優しい声が笑った気がした。





 わたしはまた眠り続け、事件から三日後にようやく目が覚めた。
 医師や衛生兵の方々に診てもらい、実家へ戻ることができたのは五日後。
 頻繁に顔を出してくれていた両親も、家へ戻ったわたしを抱き締め回復を喜んでくれた。また心配をかけてしまったが、エセル様の惨たらしい状況を聞かされていたらしく、救出したことは誉めてくれた。二度と危険を冒すなと釘を刺されたけれど。
 御師様は、わたしが襲撃されたあの夜から、騎士団上層部と密かに連携を取り調査にあたっていたのだそうだ。近々マティアス伯爵邸を捜索する予定だったが、わたしの軽率な行動で計画が狂ってしまったらしい。

「君があの家にいた時点で予測すべきことだったな。しかし、師の計算を狂わせるほど弟子が成長したのだと思うと、なにやら感慨深いものがある」

 そう笑ってくださったが、己の行動が無計画すぎたことは事実だ。結果的に御師様や両親の顔に泥を塗るようなことはなかったけれど、今後はもう少し慎重にいこうと猛省した。

「申し訳ありませんでした、御師様」
「構わないさ。むしろ、エセルバート嬢の心身は限界だった。あのとき解呪しなければ命はなかっただろう。君は良くやった、誇りたまえ」

 青年姿の御師様が、穏やかに、だが力強く言葉をかけてくださる。申し訳ない気持ちの隣に、誇らしい気持ちがむくむくと湧いてきた。なんとも単純だと自分でも呆れ、思わず小さく笑ってしまう。

 さて、と前置きをして、御師様は判明した事実を語ってくれた。

「リンドールの父は、魔力吸収の研究を始めた魔法士だった。だがなかなか成果が得られなくてね。私財を投げ打ってまで続けていたが、騎士団や研究所からも見向きもされなくなってしまった」

 ああそうか、とどこか腑に落ちた。あれほど魔力吸収に固執していた理由はこれか、と。
 もしかしたら、今まで読んだ論文の中に彼の父の著があったのかもしれない。

「その後、彼は行方不明となったそうだ。しかしリンドールの生い立ちからすると、非正規の魔法士となり家族を得た後も、諦めきれずに研究を続けていたんだろう。その狂気が息子にまで受け継がれてしまった」

 魔力を吸収した瞬間、リンドールの雰囲気が変わったことを覚えている。
 取り憑かれたように研究を続けた父親。その姿をどんな思いで見ていたのだろう。
 先代マティアス卿がリンドールの生い立ちを知っていたのかはわからないが、非正規の魔法士にしかできないことを秘密裏に依頼していたのだという。エセル様への虐待と洗脳だけではなかったそうだ。
 仕事をやりやすくするため、エセル様付きの侍女数名がリンドールの仲間に魔法をかけられていた。着替え、入浴などで見たエセル様の痩せ細った身体を認識できないよう、定期的に幻惑魔法をかけていたのだ。その上、肌の露出が少ない服を着せるよう仕向け、表面上は異常がないと思わせていた。先代卿が意図的に、魔力を感知できる者を解雇し、新規に雇用しなかったため露見しなかったのだ。

 先代卿は一体なにをしたかったのだろう。
 五十年前から近隣を含めた三国間で緊張状態が続いていた。更に王家の後継ぎ争いもあり、わたしが生まれる前は随分と王国内も荒れていたという。
 そんな中で、伯爵家の地位を盤石にし、エセル様を王家が大公家へ嫁がせるためだけに、リンドールのような者たちを雇うだろうか。
 亡くなった今はもう、推測することしかできない。そして、決して理解することはできないだろう。
 魔物よりもなによりも恐ろしいものは、人の心なのかもしれない。

「魔法士とは、根源に近づきたいという欲求を持ったものたちの総称だ。だからこそ、欲のみに落ちてはならない。我々は人の世で生きている。それを忘れてはならないよ、シャル」

 穏やかな声音で微笑む御師様へ、わたしは力強く頷き返した。



 その後、わたしは十日ほど、伯爵家に泊まり込んで令嬢姉妹の傍にいることとなった。
 家庭教師の仕事ではない。ただそっと寄り添い、時折本を読み聞かせ、他愛もない話をするだけ。心身ともに傷を受けた姉妹には、誰かと穏やかな時間を過ごすことが必要なのだと思う。そしてそれは、赤の他人にしか務められない。ご両親とはまだ、距離が開いてしまっているから。
 あとは単純に、関係者がこの屋敷に集まっていると、騎士団側が警備しやすいという理由もある。姉妹が怯えないよう配慮しながら、彼らは昼夜問わずわたしたちを守ってくれていた。

 そんなとき、姉妹のお昼寝中を見計らって、伯爵夫人がわたしを部屋へ招いてくださった。
 入って早々に頭を下げられ、あまりのことに飛び上がりそうになる。

「伯爵夫人、頭をお上げください、わたしのようなものに……」
「シャルティーナ、礼を言わせてちょうだい。娘たちを助けてくれて本当にありがとう」
「身に余るお言葉光栄ですが、賊を捕らえてくれたのは騎士団の方々です。わたしはエセルバート様とともに逃げることで精一杯でした」

 首を横に振り、わたしは身を縮めた。あのときできたことは、本当に僅かなことでしかない。騎士団が来てくれなかったら、わたしたちの命はなかったかもしれないのだ。

「いいえ、それが一番大切なことだったのよ。わたくしはともに逃げることも庇うこともできなかった。……母親失格だわ。薄々おかしいと気づいていながら、夫や先代になにも言うことができなかったのだもの……」
「伯爵夫人……」

 姉妹とよく似た美しい顔を曇らせ、伯爵夫人はふらつきながら長椅子に腰を下ろし目を伏せた。
 夫人はこの家に嫁いできた身だ。ご実家はマティアス伯爵家より格が低く、家族内での発言権はないに等しい。例え声を上げられたとしても、エセル様を救えたかどうかはわからない。
 でも多分、夫人もそれをよく理解している。だからこそ苦しいのだろう。

「跡取りも産めない妻で、愚かな母……。エセルはわたくしを恨んでいるでしょうね……」

 ぽつりと零された言葉は、後悔と苦しみに満ちた声音をしていた。心配のあまりに泣いてくれた母を思い出し胸が痛む。

「そのようなことはありません。エセルバート様はご両親のために耐えていらしたのです。いずれ何処かの家へ嫁ぐ、そのときご両親の立場を、家名を汚すような振る舞いは許されない。そう考え、あえて口を噤んでいらしたのです」
「ああ……! 優しい子になんてことをさせてしまったの……!」

 肘掛けに顔を伏せ、伯爵夫人は耐え切れずに涙を零した。侍女長が慌てて駆け寄り、肩や背をさする。
 わたしは夫人の前に膝をつき、細い手をそっと握った。

「ご無礼を承知で申し上げます。ご家族でエセルバート様を支え、愛して差し上げてください。それが心の傷を癒す、一番の薬ですもの」
「ええ、そうね、そうね……」

 頬に流れる美しい涙が、夫人の後悔を少しでも和らげてくれますように。祈りながら握った手に力を込めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

捨てられた前世【大賢者】の少年、魔物を食べて世界最強に、そして日本へ

月城 友麻
ファンタジー
辺境伯の三男坊として転生した大賢者は、無能を装ったがために暗黒の森へと捨てられてしまう。次々と魔物に襲われる大賢者だったが、魔物を食べて生き残る。 こうして大賢者は魔物の力を次々と獲得しながら強くなり、最後には暗黒の森の王者、暗黒龍に挑み、手下に従えることに成功した。しかし、この暗黒龍、人化すると人懐っこい銀髪の少女になる。そして、ポーチから出したのはなんとiPhone。明かされる世界の真実に大賢者もビックリ。 そして、ある日、生まれ故郷がスタンピードに襲われる。大賢者は自分を捨てた父に引導を渡し、街の英雄として凱旋を果たすが、それは物語の始まりに過ぎなかった。 太陽系最果ての地で壮絶な戦闘を超え、愛する人を救うために目指したのはなんと日本。 テンプレを超えた壮大なファンタジーが今、始まる。

ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる

街風
ファンタジー
「お前を追放する!」 ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。 しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。

少し冷めた村人少年の冒険記

mizuno sei
ファンタジー
 辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。  トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。  優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします

未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢 十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう 好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ 傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する 今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった

処理中です...