【完結】親

MIA

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〈弁護士side・3〉

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「テレビは、なるべく見ない方が良いよ。」

施設に行くと、愛奈はワイドショーを眺めていた。

「生田さん。私わからないんです。どうして父は何も教えてくれないんでしょう。心が、気持ちが揺れるんです。不安でたまらない…。」

あれから三ヶ月。
聡はまだ、口を閉ざしている。
相変わらず、真実は闇に葬られたまま。

愛奈は今。
『もしかしたら』を考えている。
自分は幸せな家庭にいたのに、聡によって壊されたのではないか。
本当は、あの両親に愛情を注いでもらっていたのではないか。
悪いのは…、全部聡だったのではないか。

(あなたの、筋書き通りになろうとしてますよ…。)

でも、迷っている。
本能が、経験が、違うと叫んでいる。
だから心を揺さぶられているのだ。

愛奈は続ける。

「テレビでみんな、好き勝手言うんです。父が悪い。あの殺人も何もかもが全部父のせいだって。自分の子どもを殺した人たちの肩まで持つ人もいる。仕方がない、と。でも、一番嫌なのは。私が『可哀想な子』と言われること。…私には、父が正解だったんです。それなのに…。」

同じだ。
この子も、自分が生きていた場所に満足していたんだ。
ちゃんと満たされていた。
納得もしていた。
幸せが、そこにあった。

蒼士は歯を食いしばる。
つくづく、自分の不甲斐なさを噛み締める。

「ごめんね。僕が聞き出せないばかりに。」

愛奈は頭を振る。

「生田さんのせいじゃないです。ただ。私が最近、何を信じて良いのかが、わからなくなっちゃっただけなんです。」

蒼士は頷く。
それは、あまりにも当然なことだった。

「フリースクールにいた頃に。親友が死んじゃったんです。お母さんに殺されたんです。彼女はずっと信じていました。いつか、幸せだった時の家族に。元の家族に戻れるって。…でも、叶わなかった。」

蒼士はじっと、耳を傾ける。

「私、その時は許せなくて。今でもやっぱり許せないけど。でも、美咲…、彼女にしかわからない現実があったんだ。そう思うようになってきた。どうして彼女は自分を傷付けるお母さんを、信じ続けていたのか。きっと、そこには信じられるものがあったんだって。私には。実の両親に、どうしてもそう思えるものがない。会って尚更、信じられなくなった。」

愛奈は蒼士を見つめて、心の声を上げる。

「お父さんは、本当にただの気まぐれで私を誘拐したの?あの毎日は、全てが嘘だったの?」

これは。
蒼士を通して、聡に向けられた、愛奈の叫びだ。
たった14歳の子は、今も戦い続けているのだ。
その身が、心が、四方から攻撃されようとも。
崩れ落ちないように、必死に踏ん張っているのだ。

支えになる言葉も、拠り所になる真実もないままに…。

「…僕は、軽はずみな発言はできないけど。美咲ちゃんの気持ちはわかるつもりだよ。今、君が迷う気持ちもね。テレビの人たちは所詮、他人事なんだ。当事者じゃないと理解できない関係だってある。僕はそれを良く知っている。間違ってるなんて、誰にも言われる筋合いないんだ。本人にしかわからない正解なんて、この世には沢山あるよ。だから愛菜ちゃん、今は自分を信じてあげてほしい。」

愛奈は救いを求めるように声を絞り出す。

「その…、自分すらも…信じられない…。」

蒼士の心がズキッと痛む。

(香川さん…。本当に、これで良いんですか?)

犯してしまった罪は償うのは当然だ。
愛奈には真実くらいを知る権利がある。

この子が何に今以上傷付くのか、なぜわからないのだ。
守り方が違うと、なぜ気付かないのだ。

ずっと側にいたはずなのに…。

蒼士は心を固める。
もっと彼の声を引き出さなくてはならない。



「テレビで、彼女が何と言われているか、わかりますか?」

聡は顔を上げる。

「あなただけが好き勝手に言われているだけじゃない。同様に彼女も言われているんです。ネットなんかもっと酷い。一部の専門家は今回の事例を『ストックホルム症候群』だと声を上げている。何かわかります?誘拐犯に長く監禁されると相手に対して、次第に好意を抱くようになる、という心理状態です。」

蒼士は聡を見据え、話を続ける。

「なぜこんな話をしたか。私には、そう思えないからです。あなたには親としての愛情がちゃんとあった。そう思えて仕方ない。そして、彼女も…。だから辛いと、なぜわからないんです。今、あの子は世間からの様々な攻撃に耐えている。必死に戦っているんだ。あなたとの思い出だけを頼りにね。真実がわからない、それが今一番、あの子を苦しめているんですよ。あなたが愛した、なぜそれじゃ駄目なんです!」

思わず声が大きくなる。
自分が肩入れしている事をわかっていた。
それでも、冷静になれずにいる。

「本当の親だとか、赤の他人だとか…。そんなに重要な事でしょうか…。」

聡が小さく呟く。

「親に愛されない事が、どれだけ悲しい事か、わかりますか?」

聡は目を逸らさずに、しっかりと蒼士を捕らえる。

「自分を産んだはずの人間に、自分を否定される。望まれて、喜ばれて、この世に産まれてきたんじゃない。そう思わされることが、どれだけ苦しいかわかりますか?彼女にそう思ってほしくない、それの何がいけないんですか!」

「だから!愛はあったんでしょう?!あなたの元に!それの何が駄目なんですか!!」

「俺は本当の親じゃない!犯罪者だ!!こんな人間と過ごしていた時間なんて忘れるべきなんだ!俺が愛だとか幸せだとか語る資格も権利もない!!」

どうして、こんなにもすれ違ってしまうんだ。
きっと聡も、自分自身を信じられない。
ずっと否定されて生きてきたのだろう。

「俺はこの罪を背負って生きていく、そう決めたんです。あの子が幸せになってくれれば、俺がどうなろうがどうでも良い。もうこれ以上、あの子を縛りたくない。不幸にさせたくないんです。」

なんて、悲しい。
二人の思いが交差していく。

「彼女の幸せは彼女が決めることだ。そして、あなたを選んだ。これ以上不幸にしたくない、そう思うなら。お願いです。本当の事を教えてあげて下さい。あの子の願いはたった一つ。誘拐した理由を知りたい、それだけなんです。」

蒼士は頭を下げる。
どうか、伝わってくれ、と。

「あなたとの時間が家族であった。あなたに守られて育ってきた。そう信じられる拠り所が欲しいんだ。母親に会ったんですよ、彼女は。そこで、全てがわかってしまった。自分は愛されてなんかいなかったと。もう良いでしょう。あの子はもう、十分傷付いた。苦しんだ。解放してあげられるのは、あなたの真実の証言だけなんです。」

聡の顔色が変わっていく。

「母親に…会った…?」

蒼士は自分が弁護士として、あるまじきことを伝えている自覚があった。
本当は、自分が話していいことじゃない。
だけど、これ以上。
不毛な思いを黙って見ていられなかった。

聡はまるで、観念したかのように呆然としている。
母親に会わなければ、きっと、彼の描いた筋書きは完成していたのだろう。

「助けたかった…。俺は、ただあの子を。…助けたかった。今でも、ずっと…彼女を守っていたつもりだった…。」

声を押し殺して泣く聡。

真実はこうして語られた。

それ以上を語ることはなかったが。
それでも。
これ以上ないほどの。

重く、深く、意味のある言葉だった。
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