世界をとめて

makikasuga

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動き出したギミック

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 麻百合を残して車外に出た柳は、スマートフォンを取り出し、ある番号に電話をかけた。繋がった瞬間、溜め込んでいた怒りをぶちまけた。

「おい、こら、ふざけたことすんな、レイ!」
 一瞬の沈黙の後、電話の相手は小さく笑うと、こんな言葉を吐き出した。
『仕事をこなして報酬を請求することのどこがどうふざけているのか、きちんと説明してくれないか、柳』
 名乗ることなく、互いの名前を言い合う関係。まるで友人のような、深い繋がりがあることが窺える。
「宛先不明の請求書を、浅田の家に送りつけただろうが!」
『送りつけたわけじゃない。俺が直々にポストに投函してやったんだ』
 電話の相手であるレイは、裏社会の人間である。情報操作のプロで、特にコンピューターに関する技術は特出しており、某国の機密情報を簡単に盗めるだけのスキルがあるとかないとか。柳より一つ年下らしいが、態度はこの上なくデカい。
「おかげで喰えねえ執事に嫌味言われたんだよ。あいつ、おまえのことも感づいてるみてえだったぞ」
『浅田花梨の執事は、高橋とかいう無駄に顔のいい男じゃなかったか?』
「そうだよ」
『やっぱりな。そいつ、おそらくヤッサンの息子だ』
「はあ? ヤッサン?」
『俺に情報屋のリーダーを押しつけた喰えねえジイサンだよ。ジイサンの頭の中にある情報だけで、何億って金が動くと言われている』
 裏社会は分業制で、殺し屋、掃除屋、情報屋と役割が別れているらしい。レイは情報屋のリーダーに当たる人物だ。
「あの執事、おまえが寄越したのかよ」
『そんな面倒なこと、誰がするか。おまえが浅田と関わりになる以前から向こうにいただろう。偶然だ』
「おまえらの辞書に、偶然なんて言葉は載ってねえだろ」
 相手は情報操作のプロである。偶然を装うことなど造作もない。
『どうとでも取るがいいさ。金ならおまえの名前で振込の確認が取れているが?』
「それ、俺が払ったんじゃねえぞ」
 請求書のことは、さっき高橋に聞いたばかりである。
『誰が払おうが、金さえ手に入れば問題ない。文句を言うためだけに、俺に連絡してきたわけじゃないのだろう。また鍵を開けてほしいのか?』
 麻百合が住むマンションのオートロックを解除し、鍵を開けたのはレイがやったことだった。
「今回は金払わねえからな」
『こうなることを見越して、ちゃんと二回分請求してある』
 柳からすれば、レイもまた喰えない男である。
『開けてやるのはかまわないが、あのマンション、昼間は管理人が常駐しているから厄介だぞ』
「時間稼ぎしろってか。なら、オプション追加だ」
 柳の要望に呆れたといったように深い息を吐くレイ。
『俺にタダ働きさせて、平気な顔していられることを有り難く思え』
「だったら、可愛い相棒に頼んでバラせばいいだろ」
 軽口を叩いていた柳の表情が劇的に変わった。脳裏に、レイとのファーストコンタクトが蘇る。


(よくここまでたどり着けたな、柳広哲)
 どんな情報でも得ることが出来る男が、裏社会にいるという話を耳にした。レイという名前と、コンタクトを取る方法を手にするまで、大金と無駄な争いを必要とした。本人と顔を合わせることが出来たとき、柳は身も心もズタズタになっていた。
(そんな驚いた顔をするなよ。おまえが俺にすがってきた理由はわかっている。知りたいなら教えてやってもいい。だが、タダというわけにはいかない)
 見た感じは、普通の若者と変わりなかった。上から目線なのがひどく癇に障ったが。
(もう金はねえよ。どうしてもっていうのなら、銀行強盗でもやるしかないが、捕まるリスクの方が高いぜ)
(俺がほしいのは金じゃない。おまえ自身だよ)
 レイは柳の額に銃口を突きつける。だが、柳は怯まなかった。
(その前に、俺が欲しい情報を全て寄越しやがれ。話はそれからだ)
 決して手を出してはいけない領域だとわかっていた。それでも敢えて踏み出したのは、彼らを頼るしか手段がなかったから。
(いいだろう。その心意気に免じて、おまえが望むもの全てを与えてやる。命と引き替えにな)


 こうして柳は死神の手招きを受け入れた。結果として、柳は全てを失ったけれど、そのことに関しては今も後悔していない。
『俺はおまえを気に入った。だから生かしたんだ』
 命と引き替えだといったわりに、柳はまだ生かされていた。気に入ったというレイの言葉が、信用出来るものではないこともよくわかっている。
『忘れるなよ、柳。俺はおまえの全てを知っている。過去も現在も、全てな』
 自信たっぷりに言い放つレイ。言葉通り、彼は柳の全てを知り、全てを握っているのだ。電話越しであっても、その迫力に内心背筋が寒くなる柳であった。
「勝手に言ってろ。これだけ話せば位置情報は把握しただろ。オプション付きで頼むぜ」
 そのまま電話を切る。大きな息をひとつ吐き出せば、まるで電話が切れるのを待っていたかのように、着信音が鳴る。ディスプレイに表示された名前を見て、慌てて柳は通話ボタンを押した。
「花梨に何かあったのか、高橋!?」
『ご心配なく。花梨様はお休みになっておられますよ。麻百合様は見つかりましたか?』
「裏山で遭難しかけてた。とりあえず家に連れて帰るよ。花梨との顔合わせは、あいつの意思を尊重する」
『わかりました。もうすぐ相次郎様もお見えになりますし、うまく取り計らっておきましょう』
「ああ、頼んだ。それから例の請求書の件だけど」
『それなら、柳君の名前でお支払いしておきましたよ。麻百合様の調査をお願いしたのは私ですから』
「つーかさ、あんた、結構ヤバい人間なんだろ?」
『私は花梨様の執事として相次郎様に雇われた身の上です。それ以上でもそれ以下でもありません』
 本当に喰えない男である。柳は大きな溜息をついた。
『柳君、もっと自分を大切にしてください。あなたは前を向いて生きるべき人間ですよ』
「俺は悪魔に魂を売ったんだ。どんな死に方をしようが文句はねえ」
 血に染まったこの手で、誰かを救うことなんて出来ない。ましてや、正義の味方なんてどこにも存在しない。
『あなたは本当に手のかかる人ですね』
「なんとでも言えよ。殺したきゃいつでもやれ」
 通話はそこで強制終了にした。無性に煙草を吸いたくなって、柳はポケットに手を突っ込んだものの、入れてくるのを忘れたことに気づく。
「いつまで俺の側で笑ってくれるんだ、花梨……」
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