悪徳貴族の、イメージ改善、慈善事業

18話︰四面楚歌

【ミッドガル帝国・ラスティ・ヴェスパー大臣の執務室】

　良識派の貴族や役人が集う部屋に、静寂が重く垂れ込める。まるで帝国そのものの腐敗と疲弊を映し出すかのように、空気は冷たく、淀んでいた。

　デスクの前で、ラスティは一人、ペンを握り、事件の記録を綴る。紙に擦れる音だけが、冷えた空気を切り裂く。監視用マジックアイテムや警備ゴーレムの映像から、事件の輪郭が浮かび上がっていた。

　あの場で何が起きたのか、断片的な真実が、徐々に形を成す。だが、その真実は、深淵の底から這い上がる亡魂のように、彼の心を締め付ける。事件の裏に潜む闇は、帝国の病巣そのものを映し出す鏡だった。

　扉が軋む音。ラスティが顔を上げると、エクシアが憔悴した面持ちで部屋に入る。彼女の瞳には、疲弊と不安が滲み、戦場の硝煙に燻された兵士のような影を宿していた。

　彼女の存在は、ラスティにとって唯一の光であると同時に、彼の背負う重圧を映す鏡でもあった。

「デュナメスとシャルトルーズの容態は？」
「現在は安定しているわ、現場での処置も適切。しかし世界封鎖機構が身柄を拘束している」
「……そうか」  

　予想通りとはいえ、ラスティの胸に重い溜息が落ちる。その声は、帝国の未来を背負う重荷に押し潰されそうになるかのようだった。エクシアは彼の隣に無造作に腰を下ろし、椅子が軋む。

　らしくもなく足を投げ出し、右手で顔を覆いながら天井を仰ぐ。その仕草には、彼女の心を蝕む疲労と、押し殺した恐怖が滲んでいた。
　ラスティは努めて冷静に言葉を紡ぐが、その声には微かな震えが宿る。

「崩落した慈善活動組織アーキバスの拠点は……一先ず崩落した外壁の撤去と破損した歩道の修繕、爆発した箇所には大型のリペアプレートと固定ジェルで簡易的な修繕を命令して来た、外壁周辺はゴーレムで何とかなるし、瓦礫撤去も明日までには終わる筈だ」
「――そうなると、本格的な外壁修繕は明日以降になるわね」
「ああ。メインルームは一時的に封鎖、周囲に大きな怪我人が出なかったのは幸いだ――……が、腐敗派に付け入る口実を当ててしまったのは事実だ」  

　ラスティの言葉は、冷たく重い。彼自身の心に突き刺さる刃のようだった。エクシアは、その裏に潜む危機を察する。


　彼女の疲れた表情には、気が気でない心情が刻まれていた。腐敗派の暗躍、外部の脅威、そして事件の余波――すべてが、帝国を飲み込む濁流のように、彼らを押し潰そうとしていた。無言の時間が流れ、彼女は真っ暗な端末を叩きながら呟く。

　その声は、闇に呑まれる寸前の灯火のように、微かに震える。

「テロという評判が広がっている。腐敗派はこれを口実に防衛力の欠如、腐敗貴族による勢力増強を主張してきている。そしてそれはそれとして事件を防げなかった良識派へのバッシングもひどい」 

　 エクシアの声に、ラスティは口を閉ざす。
　調査で腐敗派の関与は否定された。事件後の情報操作や、シャルトルーズという遺産を持ち帰ったことへの批判は、腐敗派の便乗に過ぎない。主犯ではない。

　だが、その事実が状況の重さを変えることはなかった。帝国の内部は、まるで腐敗した臓器のように、自らを食い潰す毒に侵されていた。腐敗派の陰謀は、ラスティの心を締め上げる毒蛇のように、執拗にその牙を剥く。

「今は外部からの襲撃に対して心配する必要まある。この混乱に乗じてダイモス細胞を持った子達を狙う『ロイヤルダークソサエティ』、引き続きこちらの領地の遺産を狙う『世界封鎖機構』、国家転覆を企む『革命軍』、ミッドガル帝国を憎む『異民族』への警戒もだ」
「今回の騒動、もう外に？」
「……こちらの事に関しては、何処も敏感ですから」
「……世話をかける。すまない。ありがとう。助かる」
「いいえ。大丈夫よ。貴方は私が支える。何があっても見捨てない。死ぬなら貴方より先に死ぬ」  

　エクシアの言葉は、静かだが揺るぎない。彼女の手が、ラスティの肩をそっと包む。その感触は、この冷たい執務室に差し込む唯一の温もりだった。

　彼はその手に自分の手を重ね、僅かな温もりを返す。だが、執務室の空気は、なおも重く冷たい。

　窓の外では、ミッドガル帝国の空が、灰色の雲に覆われていた。まるで、帝国の未来そのものを象徴するかのように、暗く、重い雲が垂れ込める。

　その空の下、ラスティとエクシアは、嵐の前の静けさに身を置く戦士のように、互いの存在を支えに立ち続ける