19 / 131
第三章
第五話
しおりを挟む
南山家本邸の洋間の一室。
部屋の各所には舶来品と思われる彫刻や絵画が飾られ、横の壁一面には多様な言語で書かれた分厚い洋書や医学の専門書が並ぶ。
本棚の間には飾りではない暖炉もあり、春の冷える夜に薪を爆ぜさせながら煌々と、燃え盛る。
何もかもが千鶴を威圧しているかのような空間。それでも千鶴は深く頭を下げ、この部屋の主人たる男性に願い出る。
「どうか、桐秋様の研究を続けることを許可していただけませんでしょうか」
書斎の主、南山は革張りの書斎椅子に深く座り、パイプ型の煙草に口を付けている。
火をつけては煙を吸って吐き、少し置いては再びマッチで火をつけ、煙をくゆらせる。
近所の洒落たこの型の煙草を嗜む老人は、パイプ煙草は火種を消さないように、吸っていない時も定期的に空気を送り込むのだと言っていた。
ところが南山は一度吸っては、何かを考える面持ちで長く煙草から口を離す。
その間にも火種は消えてしまうため、火は何度も付け直されている。
その動作が何度か続いた後、南山は最後にことさら煙を長く吐くと、千鶴に険しい目を向け、問いかける。
「なぜ君は、桐秋の研究を続けさせたい。
桐秋の研究内容は、本人の病気である桜病そのものだ。
その危険性はわかっているね。
ここに来てもらう時にも話したが、桐秋は桜病の研究過程で病気になってしまったかもしれないんだ。
そんな研究を続けさせられるわけないだろう」
南山からの重い言葉を受け止めながらも、負けず千鶴は南山に自身の想いを伝える。
「はい、桜病が重篤な病であるということは重々承知しております。
私がこちらに来る際も、その危うさゆえに最初は父に反対されました。
ですが、私はそれにとらわれるあまり、大事なことを忘れておりました」
「大事なこと」
訝しげに南山は千鶴を見る。
「確かに、桜病は有効な治療法も確立されていない、恐ろしい病です。
だんだんと桐秋様の体を蝕んでいくでしょう。
ですが、今の桐秋様はまだ多くのことを望める体なのです。
病人は、病気にかかっている人間ですが、病気以外、普通の人間と変わりません。
普通の心で、普通の望みをもっているのです。
しかし、病を得ているばかりに、行動は制限され、自由はありません。
誰かにうつる感染症ならなおさらです。
健康な人たちは、病人が自由を奪われることを、仕方がないと言うでしょう。
病気だからと。治すためだと。
所詮は他人事です。
でもそれが万が一、自分に降りかかるとなるとどうでしょうか。
自分はまだ動けるのに、普通のものを食べることできるのに、何もかもが制限される。
少しの望みさえ叶えられない。
それはとてもはがゆく、恐ろしいことなのではないでしょうか。
また、その制限は、患者により一層、死を感じさせることにもつながるのではないでしょうか。
私を含め、今までの看護婦達はその胸中を察して、だれよりも桐秋様のお気持ちに寄り添わなければならなかったのに、そのお心を無視して行動し、桐秋様をひどく傷つけてきました」
千鶴の言葉に南山は何も言わず、次の言葉を待つ。
「だからこそ、わが身に降りかかったつもりで、あらためて自分が桐秋様に何ができるか考えました。
桐秋様に対する看護の改善はもちろん、制限はありますが、願うことをできるだけ叶えて差し上げたい。
中でも一番に望まれていることが、桜病の研究ではないかと思ったのです。
桐秋様が、桜病の研究を続けていらっしゃるのに気づいたのは、今日のことです。
しかし、あの部屋の様子から察するに、桐秋様は、桜病と診断され、自由を奪われてなお、研究を続けていらっしゃったのではないでしょうか。
この一月、桐秋様のご様子を伺って参りましたが、あのように真剣に何かに打ち込まれている姿を見たことはありません」
部屋の各所には舶来品と思われる彫刻や絵画が飾られ、横の壁一面には多様な言語で書かれた分厚い洋書や医学の専門書が並ぶ。
本棚の間には飾りではない暖炉もあり、春の冷える夜に薪を爆ぜさせながら煌々と、燃え盛る。
何もかもが千鶴を威圧しているかのような空間。それでも千鶴は深く頭を下げ、この部屋の主人たる男性に願い出る。
「どうか、桐秋様の研究を続けることを許可していただけませんでしょうか」
書斎の主、南山は革張りの書斎椅子に深く座り、パイプ型の煙草に口を付けている。
火をつけては煙を吸って吐き、少し置いては再びマッチで火をつけ、煙をくゆらせる。
近所の洒落たこの型の煙草を嗜む老人は、パイプ煙草は火種を消さないように、吸っていない時も定期的に空気を送り込むのだと言っていた。
ところが南山は一度吸っては、何かを考える面持ちで長く煙草から口を離す。
その間にも火種は消えてしまうため、火は何度も付け直されている。
その動作が何度か続いた後、南山は最後にことさら煙を長く吐くと、千鶴に険しい目を向け、問いかける。
「なぜ君は、桐秋の研究を続けさせたい。
桐秋の研究内容は、本人の病気である桜病そのものだ。
その危険性はわかっているね。
ここに来てもらう時にも話したが、桐秋は桜病の研究過程で病気になってしまったかもしれないんだ。
そんな研究を続けさせられるわけないだろう」
南山からの重い言葉を受け止めながらも、負けず千鶴は南山に自身の想いを伝える。
「はい、桜病が重篤な病であるということは重々承知しております。
私がこちらに来る際も、その危うさゆえに最初は父に反対されました。
ですが、私はそれにとらわれるあまり、大事なことを忘れておりました」
「大事なこと」
訝しげに南山は千鶴を見る。
「確かに、桜病は有効な治療法も確立されていない、恐ろしい病です。
だんだんと桐秋様の体を蝕んでいくでしょう。
ですが、今の桐秋様はまだ多くのことを望める体なのです。
病人は、病気にかかっている人間ですが、病気以外、普通の人間と変わりません。
普通の心で、普通の望みをもっているのです。
しかし、病を得ているばかりに、行動は制限され、自由はありません。
誰かにうつる感染症ならなおさらです。
健康な人たちは、病人が自由を奪われることを、仕方がないと言うでしょう。
病気だからと。治すためだと。
所詮は他人事です。
でもそれが万が一、自分に降りかかるとなるとどうでしょうか。
自分はまだ動けるのに、普通のものを食べることできるのに、何もかもが制限される。
少しの望みさえ叶えられない。
それはとてもはがゆく、恐ろしいことなのではないでしょうか。
また、その制限は、患者により一層、死を感じさせることにもつながるのではないでしょうか。
私を含め、今までの看護婦達はその胸中を察して、だれよりも桐秋様のお気持ちに寄り添わなければならなかったのに、そのお心を無視して行動し、桐秋様をひどく傷つけてきました」
千鶴の言葉に南山は何も言わず、次の言葉を待つ。
「だからこそ、わが身に降りかかったつもりで、あらためて自分が桐秋様に何ができるか考えました。
桐秋様に対する看護の改善はもちろん、制限はありますが、願うことをできるだけ叶えて差し上げたい。
中でも一番に望まれていることが、桜病の研究ではないかと思ったのです。
桐秋様が、桜病の研究を続けていらっしゃるのに気づいたのは、今日のことです。
しかし、あの部屋の様子から察するに、桐秋様は、桜病と診断され、自由を奪われてなお、研究を続けていらっしゃったのではないでしょうか。
この一月、桐秋様のご様子を伺って参りましたが、あのように真剣に何かに打ち込まれている姿を見たことはありません」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
届かぬ温もり
HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった·····
◆◇◆◇◆◇◆
読んでくださり感謝いたします。
すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。
ゆっくり更新していきます。
誤字脱字も見つけ次第直していきます。
よろしくお願いします。
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる