53 / 131
第六章
第三話
しおりを挟む
だがしかし、誰の目にも明らかな清廉な関係性を考えの落としどころにするたびに、桐秋の心はすさまじい感情の反発を起こす。
――千鶴は何が好きで、どんな人生を歩んできたのか知りたい。
何気なく聞きだそうともするが、千鶴はその気配を感じとると、さっと薄い膜を貼る。
桐秋を強く拒絶する強固なものではなく、傷つけずに優しく跳ね返す軟らかいゴムのようなもの。
でもそれは固い壁よりもずっと壊しがたいのだ。
――何か事情があるのか、親しくなれたと思っていたのは自分だけなのか。
人のことを自ら知ろうとすることが、こうも難しいことかと桐秋はこの齢にして初めて知る。
ただでさえ桐秋自身口下手である。
これまであまり人と多く喋ることの必要性を感じず、話すことの技能を磨いてこなかった。
そもそも、そうするほどに他人に興味を持てなかった。
ところが今は、その人生の有り様を覆すほどに千鶴に感心を寄せている。
こうして思い悩み、昔交わした大切な約束に支障を与えてしまうほどだ。
一方で、知ってどうするのかという気持ちもある。
この先長い千鶴の人生に関わることのできない桐秋が、千鶴のことを知りたいというのは、千鶴を想うが故の桐秋の勝手な欲。
一時の感情で、自分のことを話すことを是としない千鶴を困らせることにならないか。
相反する想いを心の中でしきりにせめぎ合わせながら、桐秋が栞を見つめていると、部屋の外から声が掛かる。
「桐秋様。入ってもよろしいでしょうか」
桐秋が千鶴の入室を求める声に答えると、千鶴は湯飲みを乗せた盆を持って部屋に入ってくる。
「先ほどアイスクリームを召し上がっていらしたので、熱いお茶でもと思いお持ちしたのですが。いかがですか」
千鶴の心遣いに桐秋は頷く。
千鶴は机に湯飲みを置こうとして、桐秋の手元にある栞に気づき、顔をふわっと明るくする。
「栞、使っていただいているのですね。
その花はコスモスという花です。種をいただいたので春に蒔いてみたのですが、とても可愛らしい花が咲きました。
まるで秋に咲く桜の花のようではありませんか」
嬉しそうに告げる千鶴の言葉に、桐秋は秋に咲く桜か、言い得て妙だなと思う。
確かに花弁の形といい、色合いといい、似ているかもしれない。
そういえば、千鶴は出会った時も桜の話をしていたなと思いだす。
これくらいなら知ることが許されるだろうかと桐秋は千鶴に尋ねる。
「君は、桜が好きか」
千鶴は、桐秋からの唐突な質問に驚いたのか、きょとんと目を見開く。
そして桐秋の手元にある花に視線を落とし、優しいまなざしを向けながら
「はい、好きです」
と明確に肯定した。
静かで慈愛に満ちた表情。
桐秋はそんな千鶴の面持ちにしばし見とれた。
彼女と半年生活を共にしているが、こんな顔を見たのは初めてだ。
彼女は常に明るい表情を見せていることが多い。
が、ここまで何かを、心の底から愛おしそうに、しっとりと見つめているということはなかった。
前に少し覗かせた素の表情に似ているだろうか。
似ているというより、これがあの時見せた表情よりも、彼女のずっと奥にある本当の素の顔なのだと思う。
そんな何かを愛でる千鶴の心ゆかしい姿に、桐秋の中のパンパンにはった薄い心の膜が、針で突いたように一瞬でプツンと弾け、中身がころんとまろびでる音がした。
――千鶴は何が好きで、どんな人生を歩んできたのか知りたい。
何気なく聞きだそうともするが、千鶴はその気配を感じとると、さっと薄い膜を貼る。
桐秋を強く拒絶する強固なものではなく、傷つけずに優しく跳ね返す軟らかいゴムのようなもの。
でもそれは固い壁よりもずっと壊しがたいのだ。
――何か事情があるのか、親しくなれたと思っていたのは自分だけなのか。
人のことを自ら知ろうとすることが、こうも難しいことかと桐秋はこの齢にして初めて知る。
ただでさえ桐秋自身口下手である。
これまであまり人と多く喋ることの必要性を感じず、話すことの技能を磨いてこなかった。
そもそも、そうするほどに他人に興味を持てなかった。
ところが今は、その人生の有り様を覆すほどに千鶴に感心を寄せている。
こうして思い悩み、昔交わした大切な約束に支障を与えてしまうほどだ。
一方で、知ってどうするのかという気持ちもある。
この先長い千鶴の人生に関わることのできない桐秋が、千鶴のことを知りたいというのは、千鶴を想うが故の桐秋の勝手な欲。
一時の感情で、自分のことを話すことを是としない千鶴を困らせることにならないか。
相反する想いを心の中でしきりにせめぎ合わせながら、桐秋が栞を見つめていると、部屋の外から声が掛かる。
「桐秋様。入ってもよろしいでしょうか」
桐秋が千鶴の入室を求める声に答えると、千鶴は湯飲みを乗せた盆を持って部屋に入ってくる。
「先ほどアイスクリームを召し上がっていらしたので、熱いお茶でもと思いお持ちしたのですが。いかがですか」
千鶴の心遣いに桐秋は頷く。
千鶴は机に湯飲みを置こうとして、桐秋の手元にある栞に気づき、顔をふわっと明るくする。
「栞、使っていただいているのですね。
その花はコスモスという花です。種をいただいたので春に蒔いてみたのですが、とても可愛らしい花が咲きました。
まるで秋に咲く桜の花のようではありませんか」
嬉しそうに告げる千鶴の言葉に、桐秋は秋に咲く桜か、言い得て妙だなと思う。
確かに花弁の形といい、色合いといい、似ているかもしれない。
そういえば、千鶴は出会った時も桜の話をしていたなと思いだす。
これくらいなら知ることが許されるだろうかと桐秋は千鶴に尋ねる。
「君は、桜が好きか」
千鶴は、桐秋からの唐突な質問に驚いたのか、きょとんと目を見開く。
そして桐秋の手元にある花に視線を落とし、優しいまなざしを向けながら
「はい、好きです」
と明確に肯定した。
静かで慈愛に満ちた表情。
桐秋はそんな千鶴の面持ちにしばし見とれた。
彼女と半年生活を共にしているが、こんな顔を見たのは初めてだ。
彼女は常に明るい表情を見せていることが多い。
が、ここまで何かを、心の底から愛おしそうに、しっとりと見つめているということはなかった。
前に少し覗かせた素の表情に似ているだろうか。
似ているというより、これがあの時見せた表情よりも、彼女のずっと奥にある本当の素の顔なのだと思う。
そんな何かを愛でる千鶴の心ゆかしい姿に、桐秋の中のパンパンにはった薄い心の膜が、針で突いたように一瞬でプツンと弾け、中身がころんとまろびでる音がした。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
届かぬ温もり
HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった·····
◆◇◆◇◆◇◆
読んでくださり感謝いたします。
すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。
ゆっくり更新していきます。
誤字脱字も見つけ次第直していきます。
よろしくお願いします。
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる