幸い(さきはひ)

白木 春織

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第九章

第七話

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   しかし今の千鶴の行動は、一人の女として桐秋を慕うが故の、己の感情に突き動かされた盲目的な行い。

 南山は以前の自分に既視感きしかんを覚える。

――過ぎる思いは冷静さを欠き、時に正常な判断をできなくさせます。

 そんな女の前で南山ができるのは、医師としてまがいもない現実を伝え、冷静になるようさとすこと。

「できる限り迅速じんそくに実験を進められるよう、研究室で一丸となって桜病研究に取り組んでいる。

 だが、未知の抗毒素血清ゆえに慎重に研究を進める必要がある」
 
 直と逸らさず、千鶴の瞳を見つめ、南山は言う。

 次いで、避けては通れない血清の更なる事実も千鶴に告げる。

「それにもし抗毒素血清ができたとしても、副作用の可能性だってある」

「副作用」

 南山が発した不穏ふおんな気配のある単語に、千鶴は言葉の意味を飲み込むように繰り返す。

「そもそも、抗毒素血清を作るのは馬で、人間ではない。

 血清を打つことは、種の異なるあいだでの体液の受け渡しとなる。

 よって、馬で作られた抗体を人間に取り込む際、人の体はそれを異物として認識し、拒絶反応を起こすこともある。

 それは最悪、死に至る危険性もはらんでいるのだ。

 特に今の弱っている桐秋の体ならば、なおさらその可能性は高い」

 南山から告げられた死を感じさせる言葉に、千鶴は身体のしんが抜け落ちたように口が開き、つと身体が崩れる。

 南山は二人を大きく隔てていた重厚な書斎机を回り込み、深くうなだれる千鶴の肩に優しく手を置く。

「私たちもあきらめずに、抗毒素血清を完成させられるよう努力するつもりだ。

 だからきみはきみのできることで、桐秋の力になってほしい」

「・・・」

 重き真実に顔を伏せていた千鶴だったが、最後の言葉にようやく頷き、光る両の目をゆっくりと南山に合わせるのだ。

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