幸い(さきはひ)

白木 春織

文字の大きさ
89 / 131
第九章

第九話

しおりを挟む
 就寝時間になり、いつものように千鶴は自身の布団を敷く。

 そうすると、部屋の広さと構造上、桐秋の布団の横に千鶴の布団が並ぶようになる。

 千鶴はそのことに少し前、新妻にいづまといわれた時と同じ気恥ずかしさを覚えながら布団に入る。
 
 すると先に布団の中にいた桐秋が、就寝用の絹の手袋をした手を千鶴の方に差し出した。
 
 手と一緒に向けられた桐秋の目線は、千鶴と同じ高さにある。

「こうして手を繋ぎ、君の顔を見て眠りたかったんだ」

 そう言って桐秋は少年のような無垢な笑みを浮かべた。

 千鶴はその笑みの眩さに焦がれるよう、手を布団の外に伸ばす。

 出した瞬間、桐秋に強く握られる手。

 それは病魔に侵されているとは思えないくらい、ちから強い握力。

 少年とはかけ離れた大人の男の力。

 千鶴はその手の強さと、布越しでも伝わる熱いほどの体温に、この人はまだ生きているのだと感じる。

 それでもすぐに、いつまでこんな幸せな日々が続くのだという拭いきれない不安が千鶴を襲う。

 それは桐秋が体調を崩して、血を吐いてからはいちじるしく、千鶴にはりついて消えてくれない黒い影。

 そうなれば独り布団に隠れて、声を殺して泣くしかない。

 けれど、今日の千鶴は桐秋と繋がっている。

 手の震えから異変を感じとったのか、桐秋が

「どうした」

 とことさらやさしい声で千鶴に問いかける。

 千鶴は涙声を抑えて、
 
「なんでもありません」

 と答える。

 しかしそれは桐秋には通用せず、たちどころに千鶴の布団がめくられた。

 そこに隠れていたのは、桐秋が血を吐いてからも、気丈にふるまっていた看護婦の姿ではない。

 肉食獣に今にも食べられんとする小動物もかくやという、恐怖に身を震わせ、涙の粒を目尻いっぱいに貯めた愛おしい女の弱り切った姿。

 その様に桐秋は狂おしいほどに胸を締め付けられる。

 そして、想いのままに女を懐に引き寄せ、強く強く抱きしめた。

 すると、桐秋の自身を抱く手に、決壊寸前でせき止められていた堤防ていぼうが崩れたのか、千鶴は桐秋の胸元を掴み、幼児のように声を上げて泣き始める。

 
千鶴がずっと不安を押し隠していたことを桐秋は知っていた。

 夜半、桐秋が血を吐いて横になった後、泣きそうな顔をして己を見つめていたことも。

 だが千鶴は桐秋の前でそれらを一切見せず、笑顔でいた。

 正の感情を表す時は人前でも目一杯に泣くのに、負の感情、特に自身に辛い想いがあるときは独りで隠そうとする。

 だから、千鶴が独りで泣かないようにと布団を並べた。

 残り少ない桐秋ができることは限られている。

 それでも、最後まで己のすべてを千鶴にささげようと決めたのだ。 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

届かぬ温もり

HARUKA
恋愛
夫には忘れられない人がいた。それを知りながら、私は彼のそばにいたかった。愛することで自分を捨て、夫の隣にいることを選んだ私。だけど、その恋に答えはなかった。すべてを失いかけた私が選んだのは、彼から離れ、自分自身の人生を取り戻す道だった····· ◆◇◆◇◆◇◆ 読んでくださり感謝いたします。 すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。 ゆっくり更新していきます。 誤字脱字も見つけ次第直していきます。 よろしくお願いします。

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

処理中です...