幸い(さきはひ)

白木 春織

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第九章

第十一話

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 どこにいこうと思ったのではない。ただ、この部屋から離れなくてはと千鶴は思ったのだ。

 進むうち、気づけば庭に出ていた。

 外は雪が降っていた。

 少し歩いて立ちどまり、千鶴はその場に座りこむ。

 視界に入る雪が先に落ちた雪に飲み込まれる様を何の感情もない虚ろな瞳で見つめる。

 雪の降り積もる様は、千鶴と桐秋の恋心のようだと思っていた。

 桐秋に愛をささやかれるたび、ふれあうたびに、無限に降り注ぎ、空気を含んで柔らかに積み上がってゆく。

 冷たいのに温かささえ感じるそれは、天井など知らず、どこまでもどこまでも大きくなっていくものだと千鶴は思っていた。

 しかし、今日、あっけなく崩れ去った。

 大きく見えても、一つ一つは小さな氷のかけら。

 ふんわりとした質量のそれは、熱さを感じれば、たちどころにただの水へと戻ってしまう。

 千鶴の焦がれるほどの重い熱情が、今まで優しく降り積もっていた雪の丘をあっけなく消し去ってしまったのだ。

 千鶴はそぞろに後ろを振り返る。

 自分が歩いてきた道は、いつの間にか新しい雪にのまれなくなっていた。

 溶けて消えても新たな想いは降る。

 時を経るうち、新しく積み重なっていく雪に過去をかき消され、人は人を想っていた気持ちを忘れていくのだろうか。

 そう思うと千鶴のれていたと思っていた涙も自然とせりあがってくる。

 肩に、頭に、雪が重なっていく。

 寒さなどもはや感じない。それほどまでに千鶴の心は冷めていた。

 千鶴は寝転がり、雪に身を埋める。

 自分もいっそ恋心と共に溶け、新たな雪に埋もれてしまいたい。

 そう思い目を閉じる。

 しかし、千鶴の思いもむなしく、あんなにも降っていた雪は段々と止み、千鶴の身体だけを残して消えていく。

 数刻後、冬の澄んだ空気の中、目を覚ました千鶴は、未だこの世にあることの絶望を、冬のにぶい朝日の中で感じるのだった。
  
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