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⑰目覚め
しおりを挟むシルティが目を覚ましたのは、エドガー来訪の翌日だった。
夢か現か、終わりの見えない広い庭園を彷徨い歩いていると、不意にラベンダーの香りが鼻先を掠め、懐かしいその香りを追って、ひたすらに走り続けた。
そうしてたどり着いたのは自分の部屋で、そのうえベッドの上で目覚めたことに、シルティは酷く混乱した。
状況把握もまともにできていない状況で、今度は、診察に駆けつけた医師から「お嬢様は一週間以上昏睡状態だったのですよ」と告げられて、「はぁ、そうなんですか」と他人事のように答えた。
その後、あらためて診察をしてくれた医師によれば、命に別状はないが、昏睡状態が長く続いたために身体が衰弱しているとのことだった。いきなり固形物を食べるのではなく、まずは味の薄いスープからと言われ、それには素直にうなずいた。
シルティが目覚めたことで大騒ぎだったのだが、「まだ安静が必要です!」と医師が注意して帰ってくれたお陰で、シルティの自室は静かな空間を取り戻すことができていた。
ちなみに今、この部屋に立ち入れるのは、医師とノナリアの2人だけとなっている。
「それではシルティ様、おやすみなさいませ」
「ええ、おやすみなさい、ノナリア」
ノナリアが退出し、扉が閉まると、室内は真っ暗になった。
ずっと寝たきりだったせいか、全く眠気がこないので、頭の中を整理するのに丁度いい時間になるなと思った。
長い時間眠っていたせいか、あのお茶会の日の記憶は曖昧なものになっていた。そのことに安心したが、エドガーとセドリックに裏切られていたことに変わりはない。
「私はこれからどうすればいいの……」
エドガーをめぐってセドリックと対立するつもりはないし、だからといって、愛しいセディをエドガーのもとに行かせることは絶対にない。
この国の法律上、同性同士の婚姻は認められていないし、恋人関係だと知られることも、貴族としては大変な醜聞であり、愛人関係になるのも同義だ。許されるのは、男娼として侍ることだけ。
自分に性の経験が無いせいで、あの日はかなり動揺してしまったが、昏睡するほど、何に対してショックを受けたのかは、もう理解している。
私の愛しいセディを汚された。それも、信頼していた婚約者に。
もしもセディの相手がエドガーでなければ、どのように考えただろうか。
結局のところシルティは、セディを奪われたことに腹を立て、嫌い、憎むのではないだろうか。汚い欲望をセディで発散するなと、一発ぶちかましてやりたいくらいだ。
「……あら。やるべきことが見つかったわ」
それは、エドガーとの婚約を解消することだった。
*****
食事療法とリハビリを続けて順調に回復したシルティは、久しぶりに家族と夕食の席を囲んでいた。
しかしその場にセドリックの姿はない。
「お父様。セディはどうしたのです? どこか調子が悪いのですか?」
そう問いかけると、沈痛な面持ちをした伯爵は、手にしていたカトラリーを静かに置いた。
「……ああ、お前は臥せっていたから知らなかったのだな。セドリックは今、居室にいるよ。ここ最近、食欲が落ちていたからね。今夜は居室で食事を摂ると言っていた。……あの子はお前が倒れてから毎日部屋の前まで通って、朝から晩までお前の目覚めを待っていたから……疲れが出たのだろう」
そう言って食事を再開した伯爵に、驚きの声をあげる。
「そんな! 医師から面会謝絶の通達があったと聞いております。私に会えないとわかっていて、あの子は身体を壊すまで無理をしたというのですか」
困惑を隠せないでいると、伯爵と伯爵夫人は顔を見合わせ逡巡したのち、躊躇いがちに口を開いた。
「シル。お前がどこまで覚えておるのかわからんが、ここ数ヶ月のエルヴィル小伯爵の態度は褒められたものではなかった。そしてお前が倒れたお茶会の日、セドリックは……性的暴力を受けたのだ。その相手は……エルヴィル小伯爵だ」
あまりの衝撃に顔から血の気が引くのがわかった。
「そんな……! 私は、私はてっきり、合意の上だと……。2人は想い合っていて、私は裏切られたのだと……!」
シルティは勢いよく立ち上がり、テーブルの上を叩いた。
「セディはまだ14歳なのですよ!? そんな……そんなことがあっていいはずがありません……! あんなに良い子がなぜ……。ああ、愛しい私のセドリック…… どんなに怖かったことでしょう。それなのに私は、あの子を助けるどころか逃げ出して……あまつさえ、エドガー様とともに私を裏切ったのだと決めつけて……っ」
「シル……」
むせび泣くシルティの背を伯爵夫人がなだめるようにさすると、伯爵も席を立ち、シルティに寄り添って頭を撫でた。
「シル、シルティよ。悪いのはお前だけじゃない。私とロザリーも、ことが明るみになるまで気付けなかった。それに、お前が見たという茶会の日が最後ではなく、お前が床に臥している間、セドリックの誘拐事件が起こったのだ。そのとき初めて、私とロザリーは、セドリックの身に起こった、口にするのも悍ましい事件を知った」
……悍ましい?
悍ましい事件とは何だ。
(まさか)
シルティは震える両手で口もとを覆うと、一瞬脳裏を掠めたものが間違いであることを願った。
「お父様……まさかセドリックは……セディは……!」
これ以上口にするのがはばかられたのだろう。伯爵は口を閉じたまま、沈鬱な表情で首肯した。
「そ、んな……」
シルティは顔色を無くし、力なく椅子に座った。そうしてしばらくの間、瞬きもせず呆然としていたシルティは、「婚約を破棄してください。いますぐ」と言ってふらりと立ち上がると、「セディの側にいてあげなければ……」とセドリックのもとへ向かったのだった。
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