山下町は福楽日和

真山マロウ

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山下町ライフはじめました

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 現実逃避にいそしみながらひとしきり海を眺めたあと、公園を端まで歩くことにした。耳心地のいい音をあびて中央広場の噴水そばを通ると、ふと寂しさがよぎる。港の見える丘公園に負けず劣らずここもバラの名所だけれど、ちょうど春バラと秋バラの見頃の狭間。今月末にアパートを引払う身としては、もう満開を拝めないのが残念でならない。

 記念撮影に興じる人びとを邪魔しないよう、なおも進む。新しい水音が先のほうから聞こえ、石のステージが見えてきた。文字どおり、石でできた半円のステージ。その奥、蛙にも魚にも見える顔の上から、どしゃぶりのように水が落ちている。このあたりは芝生ゾーンや噴水まわりほど人がおらず、それはそれでほっと安らぐ。

 脇にある階段をのぼって歩道橋をわたれば港の見える丘公園方面だけれど、そこまでの気力体力はないので折りかえし、噴水まで戻る。中央口のとこから出てまっすぐいけば、青龍神を守護神とする青い柱の朝陽門ちょうようもん。お腹もすいたことだし、ひさびさに中華街で腹ごしらえしていこうか。と、公園前の道路をこえて少し歩いたところで、衝動的に横道にそれた。これまでお決まりのルートしか知らなかったのを、急にもったいなく思った。どうせ最後だからと冒険心もうずいた。

 いくつか道を曲がったりし、あてもなくうろついていたら、とあるビルの軒下の看板が目にとまった。木板に焼きつけられた円の内側、沿うように三日月のマーク。中央には〈ヒヅキヤ〉の文字もある。窓にはロールスクリーンがかかっていて中の様子がわからないけれど、なにかしらのショップではあるのだろう。

 木製ドアにはめこまれたガラス部分に近づき、そっとのぞき見る。カウンター、テーブル、ソファー。雰囲気からしてカフェのようだ。幸い、お客さんはいない。人間苦手病をこじらせている今の私にはうってつけ。よし、これもなにかの縁だ。せっかくだからここにしよう。

 扉を押しひらく。喫茶店然としたドアベルが、からころんと響く。
「……あれ?」
 思わず小さく声がでた。店内は無人。来客を告げる合図がしたのに、店員さんの現れる気配もない。

 カフェだというのは私の思い違いだったのかな、と不安にかられながらも、あたりを見まわす。漆喰の壁と板張りの床。オフホワイトとダークブラウンを基調とした、ナチュラルテイストなしつらえだ。入ってすぐの左手、ウォールシェルフに並べられたのは、ぐい呑みや小瓶、硝子の人形など。どれも少し古びていてディスプレイにも見えるけれど、それにしては和風、中国風、欧州風と統一感がない。もしかして古道具屋さんだったりするのかな、カフェ併設の雑貨屋さんみたいな形態の。

 近づいてじっくり見る。値札はない。売りものだとしたら相場はどのくらいだろう。アンティーク(製造されて百年以上)ほどの古めかしさはなさげだから、そんなにお高くない気はするけれど……。

「こんにちは」
 鍛えられてもいない審美眼で睨めっこしていたら突然、声をかけられた。奥の扉から現れたのは同世代らしき男性。詰め襟バンドカラーのホワイトシャツにベージュのパンツ、ブラックエプロン。ということは、やはりここはお店で、この人は店員さんなのだろう。

 だが、思い違いじゃなくてよかったと安心したのは一瞬で。不自然なところはないはずなのに、なにか特殊な引力が働きでもしたかのように、私の目は彼から離れなくなってしまった。なぜだろう。整った顔はしているけれど、好きな系統でもない。どちらかといえば、こういう穏やかオーラのある美形より、きりっとした男前のほうが好みだし。

「どうかしましたか」
 瞬きもせず見入っていたら、その人が首を傾げた。ハニーベージュの髪がふわりと連動する。やばい、どうやってごまかそう。「なんでか店員さんが気になって」なんて言えるはずもない。

 答えを探しあぐね目線をさまよわせていると、ふいに嗅いだことのある香りをとらえた。くんくんと動物っぽく鼻を動かす私に、店員さんが納得顔になる。
「ああ、これですか。ケーキを作ったんです。お鍋で」
「お鍋?」
 ケーキってオーブンで焼くものだと思っていたけれど、そんなことできるのか。知らなかった。どんなのだろう。普通のスポンジケーキかな。というか、この香りは……。

 頭の中がケーキに支配されたのが、ありありと顔にでたらしい。
「よかったら食べていかれますか」
 店員さんの表情がふっと崩れる。好みのタイプではないとはいえ、とろけるような笑顔を見せられたら、それなりにどぎまぎしてしまう。しかもケーキ。お鍋のケーキ。お腹も限界。断る理由がない。
「はい、喜んで!」
「じゃあ、お好きな席へどうぞ」

 扉のむこうに消えていく店員さんを見届け、座席を吟味する。フロアの奥半分には、ゆったり四人は座れそうなソファー席と、カウンターが四席。あとから別のお客さんが来るかもしれないのを考え、カウンター席を選ぶ。

 キッチンはカウンター内ではなく、その隣、翡翠色のビーズのれんで仕切られた先にあるらしい。店員さんが出入りしていた扉と奥で繋がっていて、のれん越しに私の居場所を確認した彼は、今度はカウンターのほうから登場した。

 お待たせしました、と運ばれてきたのは、青磁のお皿に乗せられた紅茶のシフォンケーキ。ざっくりとした厚切りにホイップとミントの葉が添えられ、思わず喜びの声をあげてしまう。
「わあ、美味しそう! いただきます!」

 まずは、そのままひとくち。ベルガモットがほわっと香る。アールグレイの茶葉を使っているらしい。しかも、ふんわりしっとり。幸せの食感だ。
 お次はホイップクリームとともに。増幅された甘さが口いっぱいに広がり、頭の芯までジーン。思わず恍惚のため息がもれる。

 おおお、なんてこった! この期におよんで当たりのお店に出会ってしまうとは。もっと早く、このエリアを探索していれば。これが最後なんて後悔しかない。

「こちらもどうぞ。カモミールティーです」
 黄金色を閉じこめた、ガラスのカップが置かれる。ほんのり林檎のようなフレーバーを流しこめば、あたたかさがお腹に落ちつき、心がほどけていく。
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