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番外編
傍らに咲く華(アーヴィン視点)
しおりを挟む「ナタリア!」
ヴィクトール殿との挨拶の最中に飛び出してしまったナタリアを、とるもとりあえず追ってきたが、彼女は混乱しているのか、私の声にも立ち止まろうとさえしない。
いつも冷静なナタリアらしくない。
そういう私も、常にない事態に混乱していた。
「ナタリア!」
「っ!」
私がやっと追い付いて彼女の腕を掴んでようやく、私達は足を止めた。
ナタリアは、掴んだ腕からも鼓動が伝わってくるほど息があがっていた。
「ナタリア。一体どうしたというのだ」
振り向いてもくれないが、耳の端まで紅くなっているのだけは見てとれた。
「ナタリア」
「っ………、も、申し訳ございません……」
顔を背けたまま口を開いたナタリアの声は震えていた。
瞬間、ザワリと背中を嫌な感じがはしった。
表情が見えなくともわかる。彼女は、泣いている。
泣いている?
彼女が?
「ナタリア!?」
ガバッ!!
私は咄嗟に、ナタリアを抱き締めていた。
あの気位の高いナタリアが、私の前で泣くなどはじめてのことで、正直どうしたらいいかわからなかった。
「アーヴィン様…………申し訳ございません……」
私の胸に額を押しあて俯くナタリアは、泣きながら謝ってくる。
「何を謝ることがある!?落ち着けナタリア!」
「わ……私………、皇太子妃失格ですわ………!あのような公の場で………取り乱して………」
「ナタリア……」
私は私で混乱していたが、なんとか冷静になろうと、震える彼女を抱えるように強く抱き締めた。
彼女は皇太子妃として、私の妻として、公人であることを常に考えていたのだろう。
実際、彼女は公の場はおろか、私と二人の時でさえその気高い仮面を脱ごうとすらしなかった。
それが、いつものそっけない態度に表れていたのだが、それが、こんな簡単に崩れてしまうなんて……。
「ナタリア。泣くな、そんなに私が贈ったものが嫌だったのか?」
そうではないことは分かっていたが、わざと私はそう言った。
すると、
「そ、そんなことありません!アーヴィン様からいただいたものはとても大事なものなのです……!ですから……身につける事すら躊躇ってしまって……!」
泣きながら、ナタリアは顔をあげて必死に弁明してきた。
「ああ、分かっているともナタリア。意地の悪い事を言ってしまったな、許してくれ」
混乱していた頭が冴えて、目の前でぼろぼろに泣くナタリアを見下ろして、思わずその頬を撫でていた。
「ナタリア。お前がそんなに泣く必要はない。失敗はだれにでもあることだ、いくらでも、挽回すれば良い」
「殿下……」
「そう言って幼い私を慰めてくれただろう?ナタリア」
私は静かにそう言った。
ナタリアは常に気を張りすぎだ。これを機にもう少し肩の力を抜いてくれれば良いのだが……。
昔から、彼女はこうだったからな。
「アーヴィン様!下を向いてばかりではいけませんわ!その美しい顏がもったいのうございます!」
幼少のみぎりにそう言って私の背中を叩いてくれたナタリア。
あの頃の私は、武に優れ将来を嘱望されていた弟から逃げる様にして暮らしていた。
剣を握れば弟と比べられ、勉学に励めば武をないがしろにしているとみられ、次第に私は、周囲の反応が恐くて何も出来なくなってしまっていた。
そこへ、父上からのお情けであてがわれた婚約者が、ナタリアだった。
「アーヴィン様。私、ナタリア・セラフィナ・フォン・ハミルトンと申します。末永く、宜しくお願い致しますわ」
こんな落ち目の皇子の婚約者など、すぐに嫌になって離れていくに違いない。
そう、思っていた。
しかし、彼女は
「アーヴィン様一緒にお茶をいただきましょう」
「アーヴィン様、珍しいお菓子を手にいれましたの。一緒にいただきましょう」
「アーヴィン様」
私が逆に嫌になるほど、私の側に侍ってきた。
「アーヴィン様はいつも難しい本を読んでいらっしゃいますのね。今日は何の本を?」
「静かにしてくれ」
「あら、失礼致しました。どうぞご存分に。私はここで静かにしております」
「………………好きにしろ」
私は本に夢中な振りをして、彼女にわざとそっけない態度をとった。
そうしていれば、自然と私から離れて行ってくれるだろうと思っていた。
私などと一緒に居るより、その方が彼女の為だと、思っていた。
「どうしてですのお父様!」
「だから言っているだろう。陛下のご下命とはいえ、お前にアーヴィン殿下は相応しくない。お前を皇太子妃にさせるべく教育してきたというのに、それをあんな引きこもりの皇子に……!」
ある日、たまたま書庫の帰りにナタリアと、ナタリアの父である宰相殿が言い争う場に出くわした。
「我が帝国は武を尊ぶというのにあのような軟弱な皇子ではすぐに廃嫡されるだろう。早急にお前との婚約を破棄させる」
ああ、そうだな。
宰相殿の言うとおりだ。
私はかつて弟に模擬戦で大敗し、武の大国である我が帝国の皇子に相応しくないと烙印を押された。
それまで、神童ともてはやされ高くしていた鼻をへし折られた私は、顔をあげ、前を向く事が出来なくなってしまった。
父上は、底抜けに前向きなナタリアを私の側に侍らせれば、私がまた前を向くと思ったのだろう。
だが、婚約して二年、私は何も変わらなかった。そろそろ、そういう話が出る頃だと思っていたところだ。
ナタリアには、私などより弟の妃になったほうが幸せに……
「アーヴィン様が皇太子になられるに決まってますわ!!」
二人に背を向けた私の耳に響いたのは、ナタリアの力強い声。
思わず、私は振り向いていた。
「アーヴィン様は武も智も修められた立派なお方です!そういうお方こそ、これからの我が帝国には必要なのです!アーヴィン様こそ、皇太子に相応しいのですわ!」
瞬間、私は今までにない強い力で背中を押された気がした。
「……お前が居なければ、私は皇太子にはなれなかった。隣で凛と立つお前に、私はいつも知らず知らず背中を押されているのだ。感謝する、ナタリア」
「アーヴィン様ぁっ………」
「ああもう……。好きなだけ泣くがいい。今は私以外誰も居らぬからな」
本当は分かっていたさ。
お前が照れ隠しで私にそっけなくしていたことも、私の見ていないところでは、侍女や友人に私が贈った物を自慢していたのも。
そんな可愛いところも、強く気高いところも、全部まとめて私のナタリアだ。
「アーヴィン様……」
「ナタリア、お前はいつまでも、私の傍らで咲く華であれ」
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