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番外編
赤い目(父親視点)
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ヴィルとティナちゃんの婚約式と婚姻式も無事終わり、ようやく城内も落ち着いて来たある日の夜、ヴィルが私の部屋を訪ねてきた。
「……お呼びでしょうか、父さん」
正確には、私が呼んだのだが。
王都から帰った夜、ヴィルに詰め寄られた私の『目』の話をする為だ。
「座りなさい」
「はい」
ヴィクトールは静かにソファに腰掛けると、真っ直ぐに私を見つめてきた。
その藍色の瞳はナディアを思い出す。彼女の色だ。
私の瞳は、元は茶色だった。
それが今は………
カチャ…
「!」
畏怖の対象としてみられる、赤色だ。
人族の中では、赤は魔力の色。かつての人族は、体内魔力が高い者は髪や眼が紅かったという。
しかし魔法という概念すら風化しつつある現代においては、赤みがかった眼や髪を持って生まれることすら稀であり、赤い眼は畏怖の対象ですらある。
だからずっと、隠し続けて来た。
この目のことは、今は亡き妻と長命族の仲間達、そして執事長のコンラート、親友であるベルしか知らない。
「……父さん、その、眼鏡は………」
ヴィルは私の目を見ても驚くどころか眼鏡に興味を示した。
私に気を使っているのか、私の目が赤い事を知っていたからなのか、平然としたものだった。
「……………ああ、これは『魔法具』だ」
「『魔法具』………。叔父上が仰っていましたが、それは竜族が作ったものだと…」
竜族。
そうだ、これはあの方からいただいた私の鎧。
「あの方………?」
「ああ、これは竜族の高位貴族であらせる、黒竜公様より賜ったものでね。硝子に『幻影』を、縁に『偏光』と『魔法阻害』の『魔法』が付与されたれっきとした『魔法具』だ」
ヴィルが手を出したので、そっと眼鏡を掌に乗せてやった。
「うわ………。やっぱり軽い……」
確かに、軽い。
時々かけていることを忘れる位だ。
材質は正直分からない。
伝説の魔法銀かもしれないが、自分以外に触らせたのはこれが初めてなので確かめたことはない。
「さて………どこから話そうか……」
興味津々に眼鏡を眺め回していたヴィルが顔を上げた。
「………そうだな……」
言葉が喉にひっかかる。
声が、無意識に震える。
「…………結論から言おう……。私のこの目は、二十年程前に、『竜族の血』を摂取したことによるものだ」
「!」
私はやっとのことで、そう言葉を吐いた。
とたんに、あの瞬間が脳内に甦り、心音が跳ね上がるのを感じた。
「ッ……………!!」
ザワリと背筋が粟立つ。
思い出したくもない感覚だ。自分が死んだ感覚など………。
「父さん…………?」
「………ヴィクトール、私はね、一度死んだ筈の人間なんだ……」
「えっ………」
そう、あれは二十年ほど前になるか………、ベルが狩人を引退し私は一人で旅を続けていた。
ベルと一緒に国に帰っても良かったんだが、いかんせん狩人の方が性に合っていたので、なかなか帰る決心がつかなかった。
どうせ私は次男だから、とも思っていたのも事実だ。
そんな旅の途中で、私は彼に出会った。
「………ふう。一人旅は楽じゃないな……」
あてもなく、北へ向かいながら各地の自由組合で仕事を受けてのその日暮らしだった。
そんなある日、私は川で水浴びをした後、捕った魚を焼きながら体を乾かしていた。
そこへ現れたのが、彼だった。
「ッ!!?」
最初は茂みの向こうから感じた視線に警戒し、弓を構えた。
しかし、
ぐううぅぅぅぅ………
獣のうなり声にも似たそれは、彼の腹の音だった。
そのなんとも間抜けな音と共に茂みから這い出して来た人影に、一瞬で警戒も緩んでしまった私は、頃合いよく焼き上がった串焼きの魚を、彼に差し出した。
「ほら、食うか?」
「……………!」
格好からしてどうやら同業者らしい彼は、半ば奪い取る様にして魚を受けとると、無我夢中で食べだした。
しばらくして……
「はーっ!助かったーー!恩にきるぜ!」
結局焼いていた全ての魚を平らげた彼はやはり私と同じ、狩人だった。
「オレはジェンセン。ジェンと呼んでくれ!」
「俺はバルトルト。バルトと呼んでくれて構わない」
「バルト?!バルトってあのバルトか!?」
『あの』って何ですか。
私はただの狩人ですよ?
「まさか、こんなところでS級狩人に会えるたぁ思わなかった!!」
ジェンセン、もといジェンは、そう言って私の手を掴むと、乱暴に腕を振り回された。
S級なんて、私以外にもいるだろうに、大袈裟な人だと思った。
「ってことはアンタもセルディア山脈を目指してるのか?」
「は?」
そう言われて、はたと思い出したのは、確か数日前に立ち寄った街の自由組合で、セルディア山脈の麓に、魔獣化した灰色狼が出没しているという話だった。
「まさかお前………、魔獣化した灰色狼を狩りに行くのか………?」
「そうだぜ?アンタもだろ?」
「いや俺は……」
正直、情報があまりにも不確かで、わざわざあんな北端まで行くつもりはなかった。
我が国と極北の地との境界にそびえるセルディア山脈の周辺は、ニ千年前の人魔大戦における最大の激戦地だった。伝説によれば、セルディア山脈を挟んで竜王の治める地があった為に最前線だったかららしいが……。
とにかくその余波が未だに残り、周囲の自然魔力がほぼ枯渇した状態から中々回復していない。そのため、自然が瘴気を帯びており、未だに魔獣化する野生動物が稀に出るという。
魔獣化した野生動物の駆除は本来高ランクの狩人が最優先すべき案件。しかし私は今独りだ。相棒のベルが居ない今の私では、魔獣化した灰色狼を狩るのは難しいだろう。
「俺は行くぜ!!麓の村には知り合いがいるんでな!」
「ま、待て!お前独りで狩るつもりか!?」
「おう!」
「馬鹿かお前は!死にに行くようなものだぞ!」
「じゃあ一緒に来てくれるか?」
「なんでそうなる!」
「袖振り合うのも多生の縁って言うだろ!」
「そんな古語どこで覚えた!学者かお前は!」
「やだなー。おれはしがない狩人だってー」
「知ってるよ!」
しかしいつの間にか上手いこと丸め込まれた私は、一週間後にはジェンに付いて、北の果ての村、ギーセンに足を踏み入れていた。
「おうじっちゃん!元気だったかー!」
「おう、生きてやがったかクソガキ」
村に着くや、ジェンの知り合いの家を訪ね、そこで改めて、例の話が真実味を帯びてきた。
三日ほど前に、血まみれの靴だけを残して、若い村娘が行方不明になったというのだ。
「まずいな………。その娘が灰色狼に襲われたんだとしたら、魔獣化してようがしてまいが、一刻も早く狩らなければ………」
「ああ、人の味を覚えた奴は必ずまた人を襲うからな」
そのとおりだ。
人を襲った野生動物は最優先で狩らねばならない。
しかし………、やはり私たち二人だけというのは無理がある。
「ジェン……」
「よっしゃ行くぜバルト!」
「ま、待てジェン!早まるな!」
私が一瞬感じた不安をまるごと吹き飛ばすジェンの行き当たりばったり加減にはこの一週間で慣れたつもりだったが……。
コイツがなんでA級のくせに独りか分かった!
このいい加減さと行き当たりばったり加減に付いていける奴なんかいない!
かくいう私ももう匙を投げかけてる!
「相手は魔獣化しているかも知れない灰色狼だぞ!もうちょっと慎重になろうとか思わないのか!」
「大丈夫だって!」
「お前のその自信はどこから来るんだよ!」
結局、私は半ば引きずられるように、ジェンと共にセルディア山脈の麓の森に分けいった。
「おいジェン。探索は日暮までだからな」
「分かってるって!」
本当に分かってるんだろうな。と、思わず疑わずにはいられない食い気味の即答。こんな極北の森林地帯で夜営は御免だぞ。
などと考えていたら………
「おい、ジェン」
「おう、バルト」
森林の西側、集落からさほど離れていない場所で、灰色狼の群れに遭遇した。
まさかとは思ったが………、こんな森の浅いところで………。
私よりニ歩前で、ジェンが腰帯に差していた剣を抜いた。
私は、下げ袋の中から攪乱用の魔導具を取り出し、灰色狼の群れの真上目掛けて投げた。
「目をつぶれジェン!」
「ぐぇ!」
事前に説明はしていたが、絶対に理解していないか忘れていると踏んでいたので、そう言いつつジェンの頭を掴んで地面に伏せさせた。
次の瞬間、魔導具は中空で強い閃光を放った。
「!!」
さすがに十頭もいる灰色狼を真正面から相手する気はなかった。
魔導具で攪乱し、灰色狼が怯んだ隙を狙って私が先制攻撃を仕掛け……
「よっしゃ行くぜバルト!」
「!!?」
る前にジェンが猛然と飛び出してしまった。
慌てて射る角度を変え、ジェンの背中を避ける様にできる限り灰色狼の頭を撃ち抜く。
ドス!
ドス!
ビッ!
ドスッ!
「うおらぁぁぁぁ!」
ザシュッ!
ジェンが一頭の首をはねた。
一見闇雲に振り回している様にしか見えないジェンの剣の恐ろしい切れ味に驚きつつも、群れのど真ん中に突っ込んでいくジェンの周りの灰色狼に狙いを定める。
ビッ!
ドスッ!
ドス!
ドッ!
「どりゃああああ!」
ザシュッ!
相変わらず派手に動きまわっているジェンは二頭目を凪いだ。
動きは無茶苦茶だし、予定と違うが、結果として注意を引き付けてくれているおかげで私ももう三頭仕留められた。
さて、あと二頭……
ギリッ……
「おらぁッ!!」
ザンッ!
ドッ!
ジェンが一頭を仕留め、私がもう一頭を仕留めた。
しめて十頭。
これでひとまず片付いたと、安堵の息を吐いた。
「よっしゃ!やったなバルト!やっぱアンタすげぇぜ!」
「お前も凄いよ。普通あんなに突っ込んでいけないぜ」
パンッ!
俺たちは自然と、手を叩き合わせていた。
なんだか、ベルと二人で狩りをしていた時のような充足感に、心地よい疲労感と高揚感。ジェンとは上手くやっていけるかも知れない。
なんて、呑気なことを考えた、次の瞬間。
ザワッ……
「!!」
「ッ………!?」
ゾクッ
全身が総毛立つような嫌な感覚が襲ってきた。
それはジェンも同じなようで、鞘に仕舞った剣を再び抜いた。
今の今まで情けないことに頭から抜けていた。今狩った十頭の灰色狼は『魔獣化』していなかった。私とジェンの二人だけで狩れてしまったのがなによりの証拠だ。
そう、『魔獣化』した灰色狼は別に居る。そして、これだけの同族の血が流れたことで匂いに反応し、引き寄せられて来る可能性が高いということだ。
一瞬緩んだ警戒心を再び引き締める。
「バルト……」
「ああ、分かってる、ジェン」
私も再び矢をつがえ、木の梢がざわめくように近づいてくるそれを待ち構えた。
ギリリ………
弦を引き絞る音と、生暖かい風が草葉を揺らす音、そして………
ザザザザザ……!
「ッ……!!」
「来やがった!」
森の奥から這い出して来たそれに、私は思わず息をのんだ。
ジェンが剣を構えて一歩前に出る。
それは、明らかに先程屠った灰色狼とは違っていた。赤黒い瞳に通常の倍以上の体躯そして……
グゥオオオオオオ!!
ビリビリと肌を刺すような咆哮。
「よっしゃいくぜ!!」
その恐ろしい咆哮に一瞬臆した私とは裏腹に、ジェンは間髪入れずに突っ込んで行った。
灰色狼がジェンに気付き、真っ直ぐ向かってきた…………かに見えた。
「うぉ!?」
灰色狼の瞳はジェンを映していないかのように、彼の横をすり抜けて真っ直ぐ私に向かってきたのだ。
ヒュンッ…
私は咄嗟に引き絞った弦を離したが、目の前にせまりくる灰色狼にはかすりもしなかった。
「しまっ……」
瞬間、灰色狼の目が真っ直ぐに私を捉えた。
そして……
「バルト!!!」
そのまま、構えた弓ごと私の腕を大きく開いた顋が飲み込んだ。
「ッああああああああ!!?」
グシャッと、腕が噛み砕かれた感覚、激痛、そして、
「バルトぉおおおおお!!」
閃光
私の意識はそこで途絶えた。
「…………そう、私はその瞬間息絶えたはずだった」
ため息と共に私がそう口にすると、ヴィルは目を見開いた。
「え…………、でも…………、父さんは生きて………ますよね………」
震える声で、そう絞り出すヴィル。
「私は一度死に『竜族の血』を飲まされ生き返った」
「えっ………」
「ヴィルは知っているかい?『竜族の血』というのはね、かつては『賢者の秘薬』と呼ばれ、死人に浴びせれば息を吹き返すとまで言われた代物なんだ。……まさかこの身でそれを体感することになるとは思っていなかったけどね……」
ヴィルが息をのんだのが分かった。
「…………『賢者の秘薬』については、文献を読んだ事がありますが………。でもどうやって摂取したんですか?竜族は二千年も前から姿を見た者はいないのですよ?」
「………そうだね。さすがヴィルだ。良く識っているね」
竜族は、人族の間ではすでに伝説の存在、出会うことはおろか、ましてその血を摂取するなど信じがたいだろう。
しかしまぎれもなく私は『竜族の血』により生き返ったのだ。
「……お呼びでしょうか、父さん」
正確には、私が呼んだのだが。
王都から帰った夜、ヴィルに詰め寄られた私の『目』の話をする為だ。
「座りなさい」
「はい」
ヴィクトールは静かにソファに腰掛けると、真っ直ぐに私を見つめてきた。
その藍色の瞳はナディアを思い出す。彼女の色だ。
私の瞳は、元は茶色だった。
それが今は………
カチャ…
「!」
畏怖の対象としてみられる、赤色だ。
人族の中では、赤は魔力の色。かつての人族は、体内魔力が高い者は髪や眼が紅かったという。
しかし魔法という概念すら風化しつつある現代においては、赤みがかった眼や髪を持って生まれることすら稀であり、赤い眼は畏怖の対象ですらある。
だからずっと、隠し続けて来た。
この目のことは、今は亡き妻と長命族の仲間達、そして執事長のコンラート、親友であるベルしか知らない。
「……父さん、その、眼鏡は………」
ヴィルは私の目を見ても驚くどころか眼鏡に興味を示した。
私に気を使っているのか、私の目が赤い事を知っていたからなのか、平然としたものだった。
「……………ああ、これは『魔法具』だ」
「『魔法具』………。叔父上が仰っていましたが、それは竜族が作ったものだと…」
竜族。
そうだ、これはあの方からいただいた私の鎧。
「あの方………?」
「ああ、これは竜族の高位貴族であらせる、黒竜公様より賜ったものでね。硝子に『幻影』を、縁に『偏光』と『魔法阻害』の『魔法』が付与されたれっきとした『魔法具』だ」
ヴィルが手を出したので、そっと眼鏡を掌に乗せてやった。
「うわ………。やっぱり軽い……」
確かに、軽い。
時々かけていることを忘れる位だ。
材質は正直分からない。
伝説の魔法銀かもしれないが、自分以外に触らせたのはこれが初めてなので確かめたことはない。
「さて………どこから話そうか……」
興味津々に眼鏡を眺め回していたヴィルが顔を上げた。
「………そうだな……」
言葉が喉にひっかかる。
声が、無意識に震える。
「…………結論から言おう……。私のこの目は、二十年程前に、『竜族の血』を摂取したことによるものだ」
「!」
私はやっとのことで、そう言葉を吐いた。
とたんに、あの瞬間が脳内に甦り、心音が跳ね上がるのを感じた。
「ッ……………!!」
ザワリと背筋が粟立つ。
思い出したくもない感覚だ。自分が死んだ感覚など………。
「父さん…………?」
「………ヴィクトール、私はね、一度死んだ筈の人間なんだ……」
「えっ………」
そう、あれは二十年ほど前になるか………、ベルが狩人を引退し私は一人で旅を続けていた。
ベルと一緒に国に帰っても良かったんだが、いかんせん狩人の方が性に合っていたので、なかなか帰る決心がつかなかった。
どうせ私は次男だから、とも思っていたのも事実だ。
そんな旅の途中で、私は彼に出会った。
「………ふう。一人旅は楽じゃないな……」
あてもなく、北へ向かいながら各地の自由組合で仕事を受けてのその日暮らしだった。
そんなある日、私は川で水浴びをした後、捕った魚を焼きながら体を乾かしていた。
そこへ現れたのが、彼だった。
「ッ!!?」
最初は茂みの向こうから感じた視線に警戒し、弓を構えた。
しかし、
ぐううぅぅぅぅ………
獣のうなり声にも似たそれは、彼の腹の音だった。
そのなんとも間抜けな音と共に茂みから這い出して来た人影に、一瞬で警戒も緩んでしまった私は、頃合いよく焼き上がった串焼きの魚を、彼に差し出した。
「ほら、食うか?」
「……………!」
格好からしてどうやら同業者らしい彼は、半ば奪い取る様にして魚を受けとると、無我夢中で食べだした。
しばらくして……
「はーっ!助かったーー!恩にきるぜ!」
結局焼いていた全ての魚を平らげた彼はやはり私と同じ、狩人だった。
「オレはジェンセン。ジェンと呼んでくれ!」
「俺はバルトルト。バルトと呼んでくれて構わない」
「バルト?!バルトってあのバルトか!?」
『あの』って何ですか。
私はただの狩人ですよ?
「まさか、こんなところでS級狩人に会えるたぁ思わなかった!!」
ジェンセン、もといジェンは、そう言って私の手を掴むと、乱暴に腕を振り回された。
S級なんて、私以外にもいるだろうに、大袈裟な人だと思った。
「ってことはアンタもセルディア山脈を目指してるのか?」
「は?」
そう言われて、はたと思い出したのは、確か数日前に立ち寄った街の自由組合で、セルディア山脈の麓に、魔獣化した灰色狼が出没しているという話だった。
「まさかお前………、魔獣化した灰色狼を狩りに行くのか………?」
「そうだぜ?アンタもだろ?」
「いや俺は……」
正直、情報があまりにも不確かで、わざわざあんな北端まで行くつもりはなかった。
我が国と極北の地との境界にそびえるセルディア山脈の周辺は、ニ千年前の人魔大戦における最大の激戦地だった。伝説によれば、セルディア山脈を挟んで竜王の治める地があった為に最前線だったかららしいが……。
とにかくその余波が未だに残り、周囲の自然魔力がほぼ枯渇した状態から中々回復していない。そのため、自然が瘴気を帯びており、未だに魔獣化する野生動物が稀に出るという。
魔獣化した野生動物の駆除は本来高ランクの狩人が最優先すべき案件。しかし私は今独りだ。相棒のベルが居ない今の私では、魔獣化した灰色狼を狩るのは難しいだろう。
「俺は行くぜ!!麓の村には知り合いがいるんでな!」
「ま、待て!お前独りで狩るつもりか!?」
「おう!」
「馬鹿かお前は!死にに行くようなものだぞ!」
「じゃあ一緒に来てくれるか?」
「なんでそうなる!」
「袖振り合うのも多生の縁って言うだろ!」
「そんな古語どこで覚えた!学者かお前は!」
「やだなー。おれはしがない狩人だってー」
「知ってるよ!」
しかしいつの間にか上手いこと丸め込まれた私は、一週間後にはジェンに付いて、北の果ての村、ギーセンに足を踏み入れていた。
「おうじっちゃん!元気だったかー!」
「おう、生きてやがったかクソガキ」
村に着くや、ジェンの知り合いの家を訪ね、そこで改めて、例の話が真実味を帯びてきた。
三日ほど前に、血まみれの靴だけを残して、若い村娘が行方不明になったというのだ。
「まずいな………。その娘が灰色狼に襲われたんだとしたら、魔獣化してようがしてまいが、一刻も早く狩らなければ………」
「ああ、人の味を覚えた奴は必ずまた人を襲うからな」
そのとおりだ。
人を襲った野生動物は最優先で狩らねばならない。
しかし………、やはり私たち二人だけというのは無理がある。
「ジェン……」
「よっしゃ行くぜバルト!」
「ま、待てジェン!早まるな!」
私が一瞬感じた不安をまるごと吹き飛ばすジェンの行き当たりばったり加減にはこの一週間で慣れたつもりだったが……。
コイツがなんでA級のくせに独りか分かった!
このいい加減さと行き当たりばったり加減に付いていける奴なんかいない!
かくいう私ももう匙を投げかけてる!
「相手は魔獣化しているかも知れない灰色狼だぞ!もうちょっと慎重になろうとか思わないのか!」
「大丈夫だって!」
「お前のその自信はどこから来るんだよ!」
結局、私は半ば引きずられるように、ジェンと共にセルディア山脈の麓の森に分けいった。
「おいジェン。探索は日暮までだからな」
「分かってるって!」
本当に分かってるんだろうな。と、思わず疑わずにはいられない食い気味の即答。こんな極北の森林地帯で夜営は御免だぞ。
などと考えていたら………
「おい、ジェン」
「おう、バルト」
森林の西側、集落からさほど離れていない場所で、灰色狼の群れに遭遇した。
まさかとは思ったが………、こんな森の浅いところで………。
私よりニ歩前で、ジェンが腰帯に差していた剣を抜いた。
私は、下げ袋の中から攪乱用の魔導具を取り出し、灰色狼の群れの真上目掛けて投げた。
「目をつぶれジェン!」
「ぐぇ!」
事前に説明はしていたが、絶対に理解していないか忘れていると踏んでいたので、そう言いつつジェンの頭を掴んで地面に伏せさせた。
次の瞬間、魔導具は中空で強い閃光を放った。
「!!」
さすがに十頭もいる灰色狼を真正面から相手する気はなかった。
魔導具で攪乱し、灰色狼が怯んだ隙を狙って私が先制攻撃を仕掛け……
「よっしゃ行くぜバルト!」
「!!?」
る前にジェンが猛然と飛び出してしまった。
慌てて射る角度を変え、ジェンの背中を避ける様にできる限り灰色狼の頭を撃ち抜く。
ドス!
ドス!
ビッ!
ドスッ!
「うおらぁぁぁぁ!」
ザシュッ!
ジェンが一頭の首をはねた。
一見闇雲に振り回している様にしか見えないジェンの剣の恐ろしい切れ味に驚きつつも、群れのど真ん中に突っ込んでいくジェンの周りの灰色狼に狙いを定める。
ビッ!
ドスッ!
ドス!
ドッ!
「どりゃああああ!」
ザシュッ!
相変わらず派手に動きまわっているジェンは二頭目を凪いだ。
動きは無茶苦茶だし、予定と違うが、結果として注意を引き付けてくれているおかげで私ももう三頭仕留められた。
さて、あと二頭……
ギリッ……
「おらぁッ!!」
ザンッ!
ドッ!
ジェンが一頭を仕留め、私がもう一頭を仕留めた。
しめて十頭。
これでひとまず片付いたと、安堵の息を吐いた。
「よっしゃ!やったなバルト!やっぱアンタすげぇぜ!」
「お前も凄いよ。普通あんなに突っ込んでいけないぜ」
パンッ!
俺たちは自然と、手を叩き合わせていた。
なんだか、ベルと二人で狩りをしていた時のような充足感に、心地よい疲労感と高揚感。ジェンとは上手くやっていけるかも知れない。
なんて、呑気なことを考えた、次の瞬間。
ザワッ……
「!!」
「ッ………!?」
ゾクッ
全身が総毛立つような嫌な感覚が襲ってきた。
それはジェンも同じなようで、鞘に仕舞った剣を再び抜いた。
今の今まで情けないことに頭から抜けていた。今狩った十頭の灰色狼は『魔獣化』していなかった。私とジェンの二人だけで狩れてしまったのがなによりの証拠だ。
そう、『魔獣化』した灰色狼は別に居る。そして、これだけの同族の血が流れたことで匂いに反応し、引き寄せられて来る可能性が高いということだ。
一瞬緩んだ警戒心を再び引き締める。
「バルト……」
「ああ、分かってる、ジェン」
私も再び矢をつがえ、木の梢がざわめくように近づいてくるそれを待ち構えた。
ギリリ………
弦を引き絞る音と、生暖かい風が草葉を揺らす音、そして………
ザザザザザ……!
「ッ……!!」
「来やがった!」
森の奥から這い出して来たそれに、私は思わず息をのんだ。
ジェンが剣を構えて一歩前に出る。
それは、明らかに先程屠った灰色狼とは違っていた。赤黒い瞳に通常の倍以上の体躯そして……
グゥオオオオオオ!!
ビリビリと肌を刺すような咆哮。
「よっしゃいくぜ!!」
その恐ろしい咆哮に一瞬臆した私とは裏腹に、ジェンは間髪入れずに突っ込んで行った。
灰色狼がジェンに気付き、真っ直ぐ向かってきた…………かに見えた。
「うぉ!?」
灰色狼の瞳はジェンを映していないかのように、彼の横をすり抜けて真っ直ぐ私に向かってきたのだ。
ヒュンッ…
私は咄嗟に引き絞った弦を離したが、目の前にせまりくる灰色狼にはかすりもしなかった。
「しまっ……」
瞬間、灰色狼の目が真っ直ぐに私を捉えた。
そして……
「バルト!!!」
そのまま、構えた弓ごと私の腕を大きく開いた顋が飲み込んだ。
「ッああああああああ!!?」
グシャッと、腕が噛み砕かれた感覚、激痛、そして、
「バルトぉおおおおお!!」
閃光
私の意識はそこで途絶えた。
「…………そう、私はその瞬間息絶えたはずだった」
ため息と共に私がそう口にすると、ヴィルは目を見開いた。
「え…………、でも…………、父さんは生きて………ますよね………」
震える声で、そう絞り出すヴィル。
「私は一度死に『竜族の血』を飲まされ生き返った」
「えっ………」
「ヴィルは知っているかい?『竜族の血』というのはね、かつては『賢者の秘薬』と呼ばれ、死人に浴びせれば息を吹き返すとまで言われた代物なんだ。……まさかこの身でそれを体感することになるとは思っていなかったけどね……」
ヴィルが息をのんだのが分かった。
「…………『賢者の秘薬』については、文献を読んだ事がありますが………。でもどうやって摂取したんですか?竜族は二千年も前から姿を見た者はいないのですよ?」
「………そうだね。さすがヴィルだ。良く識っているね」
竜族は、人族の間ではすでに伝説の存在、出会うことはおろか、ましてその血を摂取するなど信じがたいだろう。
しかしまぎれもなく私は『竜族の血』により生き返ったのだ。
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