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記憶を持たぬ大魔法使い
6、忘れたいこと程忘れられない話をしよう
しおりを挟む「ノイエ······」
ノイエ・ピナコテーク。俺がまだ俺だった頃。あの時の俺は自暴自棄になり、人の惨さを知り尽くせば心の平穏が訪れると思い込んでいた。黒の国。思い立って訪れた暗黒。一方で様々な芸術を産んだその場所は、余りにも対極的で俺の脳を途端にくらませた。そんな時だった。あの絵画に出会ったのは。
無になり目的もなく辿り着いた美術館が連なった空間。様々な肌の色。建物自体が途方もない歴史を示す産物。その中に並ぶ、あまりにも有名な絵画達。
その絵画は、白い壁にぽつりと掛けられていた。ひんやりとした湿気を帯びた空気が肌を撫でる。自身も充分有名な筈なのにどこか虚しさを感じさせるその絵画。故にそれを観ても誰も足をとめる事はなく、俺はただその対照的な光景を遠く離れた廊下から眺めていた。
何故なら、それはそれであってそれでは無いから。
1915 睡蓮 クロード・モネ
睡蓮と名付けられたその絵画は、静かに見物客を見守っていた。あまりにも有名な睡蓮。美術の教養として当たり前に学ぶそれは、芸術に興味を持たない人間でも知っている。万人が瞳を閉じて思い浮かべる睡蓮に、きっと大差はないだろう。どこか、どんよりとしていて美しい。自身が美しいと知っていてそれを体現してくれる美しさ。
しかしノイエ・ピナコテークの睡蓮は、万人が想像する睡蓮より遥かに彩やかで若々しい。それはまるで空元気を撒き散らしているようで、そこに存在しない睡蓮を引き立てようとしているようで、大衆に同調して前を通り過ぎようとしていた俺を安易に捕らえてしまった。そして俺は即座に後悔する。
『悲しみ』『恐怖』『容認』
突如、臓を握られたような感情で胸がいっぱいになってしまう。静寂の中、立ち竦む俺の周囲を通り過ぎる人々が、振り返りギョッとした視線をおくる。不審がる警備員。囁かれる分からない言葉。その中で声をかける者は誰もいない。しかし視線の数は増していくばかりだった。すると、呼吸をする間もなく追い打ちをかけるように様々な感情が流れ込む。
『警戒』『不安』『軽蔑』
どんよりとした感情が大粒の涙にかわる。どうしようもなく止められなかった。人は俺をおかしいと言う。
俺はエンパス持ちだ。他人の感情がすぐ伝染する。しかし、他人の気持ちが分からない。謎かけのようだが簡単な話、鏡なのだ。人を慮る事が出来ず、協調性が欠落した人間。それが俺。
薬がなければ、複数人と居ると人格が変わったかのように、ころころと言っている事や、やっている事が変わる。そこに一貫性はなく無意識に周囲を不快にさせた。そして同時に、無意識に気づき行動している。
人と関わる程に埋もれていく俺自身。
歳を重ねる度に周囲との溝は深くなった。自分でも分かっている。生きている限り人の数だけ感情はあり、とめどなく変化していく事。そして人が交わるだけ感情は増え、その姿を孵る事。十人十色の話ではない。顔も覚えていないかつての主治医は、オーロラがアメーバのように増殖し続けていると例えていた気がする。
誰に成り代わっているのか分からない日々。
自分ではまるで制御が効かない。街中を歩こうものならパニックですぐショートした。いくら悩んでもすぐに俺は自分を見失う。ひょっとしたらまだ出逢えていないのかもしれない。誰よりも俺が一番、自分を知れなかった。
「八方美人」
よく言われた言葉だ。悪い意味で使われるらしいが、俺は不快に思わなかった。それはきっと、俺自身が他人と関係を築けると思っていないからだろう。良い顔をしたい訳でも、仲良くなりたいからでもない。ただ分かってしまうだけ。相手が言わなくても大概の事は分かってしまう。ただ、それだけだ。
そのうち、無意識に他人の行動の先を補助する事が当たり前になってしまった。当然、気味悪がられ避けられる。今思えば逃げていただけだと分かるが、ぬるま湯のような静かな『絶望』が心地良すぎて、結局俺は抜け出せなかった。
弱い俺、卑怯な俺、邪悪な俺。
目も当てられないそれらを全て『他人の感情』のせいにできた。『生まれつきカワイソウな俺』に浸りたかっただけの人生。
環境のせい、世間のせい、運がなかったせい、親のせい。
全てから目を背け、逃げて逃げて逃げて逃げて。歳を重ね、どれだけ生きてもシンデレラの最初の3ページを繰り返す日々。
堪らなく心地よかった。
そして俺は俺を殺した。
しかし最早後の祭りだ。
よくよく考えれば、自分でも気味が悪いとは思う。否定できない。だが、俺にはそれでしか他人との関わり方が分からなかった。会話が必要ない。雑談ができない。しかし知っている。
「何で私の好きな物知ってるんですか?」
もう何度言われたか分からない。そして、その言葉を言われた時は必ず『不安』が俺の中を埋め尽くす。
「俺だって気持ち悪いと思うよ」
貴方に興味が無いのに、貴方の好きな物を知っている俺は。
「「気持ち悪い」」
それは物心ついた時から。テレビを観ていてもドラマに出ている俳優の感情が伝染した。液晶が泣いていれば泣き、笑っていれば笑った。怒っているシーンで俺が欠伸をしていれば、その女優は相当な大根だ。だが、そんな珍品は、年に一人いるかいないか。不思議な事にアニメではその現象は起こらなかった。恐らく生身ではないからだろう。
風邪を引き、精神が不安定な時は番組をつくった見知らぬ人間の感情までも入ってきた。本当に自分でも冗談だと思うが堪らず電源を消せば、無音の中にテレビを作った見知らぬ人間の感情が入ってきた。目まぐるしく変化する俺の中身。子供の時は、両親に助けを求める間もなく二人の顔を見ただけで幸福感でいっぱいになった。何も伝えられない。得体がしれない。
不意にフラッシュバックした苦い記憶。この湖はあの睡蓮にそっくりだ。小屋を囲むように何処までも続く湖は何処までも美しく、キラキラと水面を輝かせている。俺の足元では見た事のない魚が泳ぎ、水草を揺らしていた。この世界の生物はまるで警戒心を持ち合わせていないらしい。きっとここでは俺が底辺なのだ。
静かな筈なのに、頭の中は騒がしい。エンパスを言い訳に捨ててきた様々。今更拾えるのだろうか。その資格が俺にあるのだろうか。
数え切れない程の鮮やかな色が視界を覆い、永遠と子守唄を聴かされているような安心感を抱く。
青に蒼に碧に藍。
「······だから人間は同じ音の異なる文字を生み出したのか」
ポエミーすぎた。ほんのり頬が熱くなる。
ゆっくりと起き上がり足元を覗き込む。底は深く、水中で立っても足が着くかは分からない。しかし、水の底までが綺麗に見える。この底を永遠と掘りまくったらいつか元の世界に辿り着くだろうか。
「みなさーん、聞こえますかー」
昔流行ったギャグが自然と零れる。当然、大声を上げたところで返答などない。無音の中、ただ足の間を魚がまさぐるだけだった。俺を擽り続ける魚達の鱗が日光に反射してやさしい光を放つ。どこかで綺麗すぎる水はプランクトンが少なく、生物は住めないと聞いた事があるが、この世界は異なるらしい。
「こんなに外に居られるなんていつぶりだろ。俺ってこんなに煩い奴なんだな」
泣いてばっかだな。本当に。
まだ聞き慣れない掠れた声が孤島に響いた。
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