9 / 46
記憶を持たぬ大魔法使い
6、忘れたいこと程忘れられない話をしよう
しおりを挟む「ノイエ······」
ノイエ・ピナコテーク。俺がまだ俺だった頃。あの時の俺は自暴自棄になり、人の惨さを知り尽くせば心の平穏が訪れると思い込んでいた。黒の国。思い立って訪れた暗黒。一方で様々な芸術を産んだその場所は、余りにも対極的で俺の脳を途端にくらませた。そんな時だった。あの絵画に出会ったのは。
無になり目的もなく辿り着いた美術館が連なった空間。様々な肌の色。建物自体が途方もない歴史を示す産物。その中に並ぶ、あまりにも有名な絵画達。
その絵画は、白い壁にぽつりと掛けられていた。ひんやりとした湿気を帯びた空気が肌を撫でる。自身も充分有名な筈なのにどこか虚しさを感じさせるその絵画。故にそれを観ても誰も足をとめる事はなく、俺はただその対照的な光景を遠く離れた廊下から眺めていた。
何故なら、それはそれであってそれでは無いから。
1915 睡蓮 クロード・モネ
睡蓮と名付けられたその絵画は、静かに見物客を見守っていた。あまりにも有名な睡蓮。美術の教養として当たり前に学ぶそれは、芸術に興味を持たない人間でも知っている。万人が瞳を閉じて思い浮かべる睡蓮に、きっと大差はないだろう。どこか、どんよりとしていて美しい。自身が美しいと知っていてそれを体現してくれる美しさ。
しかしノイエ・ピナコテークの睡蓮は、万人が想像する睡蓮より遥かに彩やかで若々しい。それはまるで空元気を撒き散らしているようで、そこに存在しない睡蓮を引き立てようとしているようで、大衆に同調して前を通り過ぎようとしていた俺を安易に捕らえてしまった。そして俺は即座に後悔する。
『悲しみ』『恐怖』『容認』
突如、臓を握られたような感情で胸がいっぱいになってしまう。静寂の中、立ち竦む俺の周囲を通り過ぎる人々が、振り返りギョッとした視線をおくる。不審がる警備員。囁かれる分からない言葉。その中で声をかける者は誰もいない。しかし視線の数は増していくばかりだった。すると、呼吸をする間もなく追い打ちをかけるように様々な感情が流れ込む。
『警戒』『不安』『軽蔑』
どんよりとした感情が大粒の涙にかわる。どうしようもなく止められなかった。人は俺をおかしいと言う。
俺はエンパス持ちだ。他人の感情がすぐ伝染する。しかし、他人の気持ちが分からない。謎かけのようだが簡単な話、鏡なのだ。人を慮る事が出来ず、協調性が欠落した人間。それが俺。
薬がなければ、複数人と居ると人格が変わったかのように、ころころと言っている事や、やっている事が変わる。そこに一貫性はなく無意識に周囲を不快にさせた。そして同時に、無意識に気づき行動している。
人と関わる程に埋もれていく俺自身。
歳を重ねる度に周囲との溝は深くなった。自分でも分かっている。生きている限り人の数だけ感情はあり、とめどなく変化していく事。そして人が交わるだけ感情は増え、その姿を孵る事。十人十色の話ではない。顔も覚えていないかつての主治医は、オーロラがアメーバのように増殖し続けていると例えていた気がする。
誰に成り代わっているのか分からない日々。
自分ではまるで制御が効かない。街中を歩こうものならパニックですぐショートした。いくら悩んでもすぐに俺は自分を見失う。ひょっとしたらまだ出逢えていないのかもしれない。誰よりも俺が一番、自分を知れなかった。
「八方美人」
よく言われた言葉だ。悪い意味で使われるらしいが、俺は不快に思わなかった。それはきっと、俺自身が他人と関係を築けると思っていないからだろう。良い顔をしたい訳でも、仲良くなりたいからでもない。ただ分かってしまうだけ。相手が言わなくても大概の事は分かってしまう。ただ、それだけだ。
そのうち、無意識に他人の行動の先を補助する事が当たり前になってしまった。当然、気味悪がられ避けられる。今思えば逃げていただけだと分かるが、ぬるま湯のような静かな『絶望』が心地良すぎて、結局俺は抜け出せなかった。
弱い俺、卑怯な俺、邪悪な俺。
目も当てられないそれらを全て『他人の感情』のせいにできた。『生まれつきカワイソウな俺』に浸りたかっただけの人生。
環境のせい、世間のせい、運がなかったせい、親のせい。
全てから目を背け、逃げて逃げて逃げて逃げて。歳を重ね、どれだけ生きてもシンデレラの最初の3ページを繰り返す日々。
堪らなく心地よかった。
そして俺は俺を殺した。
しかし最早後の祭りだ。
よくよく考えれば、自分でも気味が悪いとは思う。否定できない。だが、俺にはそれでしか他人との関わり方が分からなかった。会話が必要ない。雑談ができない。しかし知っている。
「何で私の好きな物知ってるんですか?」
もう何度言われたか分からない。そして、その言葉を言われた時は必ず『不安』が俺の中を埋め尽くす。
「俺だって気持ち悪いと思うよ」
貴方に興味が無いのに、貴方の好きな物を知っている俺は。
「「気持ち悪い」」
それは物心ついた時から。テレビを観ていてもドラマに出ている俳優の感情が伝染した。液晶が泣いていれば泣き、笑っていれば笑った。怒っているシーンで俺が欠伸をしていれば、その女優は相当な大根だ。だが、そんな珍品は、年に一人いるかいないか。不思議な事にアニメではその現象は起こらなかった。恐らく生身ではないからだろう。
風邪を引き、精神が不安定な時は番組をつくった見知らぬ人間の感情までも入ってきた。本当に自分でも冗談だと思うが堪らず電源を消せば、無音の中にテレビを作った見知らぬ人間の感情が入ってきた。目まぐるしく変化する俺の中身。子供の時は、両親に助けを求める間もなく二人の顔を見ただけで幸福感でいっぱいになった。何も伝えられない。得体がしれない。
不意にフラッシュバックした苦い記憶。この湖はあの睡蓮にそっくりだ。小屋を囲むように何処までも続く湖は何処までも美しく、キラキラと水面を輝かせている。俺の足元では見た事のない魚が泳ぎ、水草を揺らしていた。この世界の生物はまるで警戒心を持ち合わせていないらしい。きっとここでは俺が底辺なのだ。
静かな筈なのに、頭の中は騒がしい。エンパスを言い訳に捨ててきた様々。今更拾えるのだろうか。その資格が俺にあるのだろうか。
数え切れない程の鮮やかな色が視界を覆い、永遠と子守唄を聴かされているような安心感を抱く。
青に蒼に碧に藍。
「······だから人間は同じ音の異なる文字を生み出したのか」
ポエミーすぎた。ほんのり頬が熱くなる。
ゆっくりと起き上がり足元を覗き込む。底は深く、水中で立っても足が着くかは分からない。しかし、水の底までが綺麗に見える。この底を永遠と掘りまくったらいつか元の世界に辿り着くだろうか。
「みなさーん、聞こえますかー」
昔流行ったギャグが自然と零れる。当然、大声を上げたところで返答などない。無音の中、ただ足の間を魚がまさぐるだけだった。俺を擽り続ける魚達の鱗が日光に反射してやさしい光を放つ。どこかで綺麗すぎる水はプランクトンが少なく、生物は住めないと聞いた事があるが、この世界は異なるらしい。
「こんなに外に居られるなんていつぶりだろ。俺ってこんなに煩い奴なんだな」
泣いてばっかだな。本当に。
まだ聞き慣れない掠れた声が孤島に響いた。
0
あなたにおすすめの小説
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
拝啓、目が覚めたらBLゲームの主人公だった件
碧月 晶
BL
さっきまでコンビニに向かっていたはずだったのに、何故か目が覚めたら病院にいた『俺』。
状況が分からず戸惑う『俺』は窓に映った自分の顔を見て驚いた。
「これ…俺、なのか?」
何故ならそこには、恐ろしく整った顔立ちの男が映っていたのだから。
《これは、現代魔法社会系BLゲームの主人公『石留 椿【いしどめ つばき】(16)』に転生しちゃった元平凡男子(享年18)が攻略対象たちと出会い、様々なイベントを経て『運命の相手』を見つけるまでの物語である──。》
────────────
~お知らせ~
※第3話を少し修正しました。
※第5話を少し修正しました。
※第6話を少し修正しました。
※第11話を少し修正しました。
※第19話を少し修正しました。
※第22話を少し修正しました。
※第24話を少し修正しました。
※第25話を少し修正しました。
※第26話を少し修正しました。
※第31話を少し修正しました。
※第32話を少し修正しました。
────────────
※感想(一言だけでも構いません!)、いいね、お気に入り、近況ボードへのコメント、大歓迎です!!
※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。
拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました
星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎
王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝――
路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。
熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。
「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」
甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。
よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、
気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて――
しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!?
「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」
年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。
ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない
砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。
自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。
ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。
とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。
恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。
ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。
落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!?
最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。
12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生
贖罪公爵長男とのんきな俺
侑希
BL
異世界転生したら子爵家に生まれたけれど自分以外一家全滅という惨事に見舞われたレオン。
貴族生活に恐れ慄いたレオンは自分を死んだことにして平民のリオとして生きることにした。
一方公爵家の長男であるフレドリックは当時流行っていた児童小説の影響で、公爵家に身を寄せていたレオンにひどい言葉をぶつけてしまう。その後すぐにレオンが死んだと知らされたフレドリックは、以降十年、ひたすらそのことを悔いて生活していた。
そして十年後、二人はフレドリックとリオとして再会することになる。
・フレドリック視点は重め、レオン及びリオ視点は軽め
・異世界転生がちょいちょい発生する世界。色々な世界の色々な時代からの転生者の影響で文明が若干ちぐはぐ。
・世界観ふんわり 細かいことは気にしないで読んでください。
・CP固定・ご都合主義・ハピエン
・他サイト掲載予定あり
竜の生贄になった僕だけど、甘やかされて幸せすぎっ!【完結】
ぬこまる
BL
竜の獣人はスパダリの超絶イケメン!主人公は女の子と間違うほどの美少年。この物語は勘違いから始まるBLです。2人の視点が交互に読めてハラハラドキドキ!面白いと思います。ぜひご覧くださいませ。感想お待ちしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる