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記憶を持たぬ大魔法使い
7、忘れたくない日の話をしよう
しおりを挟むジャブジャブと水面が揺れる。泡を含んだ飛沫が日の光を携え、白い肌をキラキラと照らす。
何者にも届かない切なる思いが自分の中でゆっくりと溶けていくのが分かった。
「やっと人間になれ······た····ッ·······」
もうドラマや映画を観て勉強なんてしなくて良いんだ。よく分からないビジネス書なんて読まなくたって良い。カウンセリングも薬も、もう必要ないんだ。
「もう俺は俺でい···て····良いんだな········」
苦しくなるほど深く呼吸をすると、芝の青い匂いが肺いっぱいに入り込む。風が畑の植物を揺らす音が耳を掠め、脚は寒いのに上半身は日に当たりすぎてポカポカとあったかい。
人間ってなんて忙しいんだ。
若干芝のチクチクが気になる。アゴヨワが帰ってこなくて少し寂しい。それなのに、よくも分からない期待にも似たドキドキが止まらない。そのうち、自分の心音が聞こえてきそうだ。
みんなはこんな色々を体感しつつ、学んで仕事をして友達をつくって恋をしているのか。
なっなんて忙しいんだっ。
今までいっぱいいっぱいで麻痺していた五感を噛み締める。沢山の感情が混ざり合い、23年目にしてやっと俺の『普通』が構築される。『何で分からないの』『普通にやってよ』『当たり前じゃん』言われ続けた言葉の意味にほんの少し触れられた気がした。
せめて醒めるまで、俺はこの世界に期待しても良いだろうか。
「············ッ····」
しっしちゃうからね??
「良いよっ!良いともっ!!」
まだ慣れない自分の声が水面を微かに揺らす。思いがけなく大きく響いた自分へ向けた掛け声が、こだまとなって返ってきた。たまらず照れを隠すようにぐしゃぐしゃと自分の頭を撫でる。ドラマの見様見真似のそれは、乱雑に白銀の長い髪を乱し、たちまち頭上に鳥の巣が出来上がる。
「はははっ」
水面と戯れる満面の笑み。慣れない長髪をガシガシと手ぐしで梳かした。枝毛一つない綺麗な髪。髪を乾かす習慣がない俺には、この髪はいささかハードルが高い。ひとしきり自分に酔いしれると、我に返ったように大事な事に気が付いた。
いや、俺まだこの世界で人間に会ってないじゃん。そもそもこの身体でまだ人が怖いかなんて分からないわ。
「まっ」
ままならない。
ひとつ気がかりが出来ると、ポンポンと同種のモヤが顔を出す。もしかしたらアゴヨワ達剥製は、厳密に言うと剥製ではないのかもしれない。もしそうだったら、狩った人間や作った人間の感情が俺に入ってくる筈だ。大抵の作者がいるモノからは『自責』や『憂い』が流れ込んでくる。しかし、アゴヨワ達からは何も感じない。これも単に俺が気付いていないだけかもしれないが。
俺には動物の感情は分からない。
つまり俺の尺度では剥製達は動物で、あいつ等が動かなくさせているのは人智を越えたナニカという事か?いやでも、あいつらを作ったのがもし人間以外だったら、いよいよ分からない。
「考えねばっ」
あたふたと立ち上がると、芝の艶めきに足を掬われる。すっ転びながらも小屋に戻ると無我夢中でペンと紙を探した。
しかし血眼で目的のそれを探すも、床に散らばる紙切れ以外まるで分からない。
ならばと、部屋の隅のスス汚れをマグに掻き集め、湖の水を混ぜ合わせ即席の汚いインクを作り上げた。制作時間3分のそれは、なんや蜘蛛のような虫が浮いているが、俺にはこれが剥製で無い事を祈る事しか出来なかった。
ペンはキッチンにあったフォークの三股の左側で代用する。食器はどれも一つずつしかないが、背に腹はかえられない。綺麗に洗えば問題ないだろう。
床に落ちていた適当な紙の裏面にゲームで居そうな人型で話せそうな生物を書き出した。水気の多いインクが淡いグレーとなってゆっくりと紙に滲む。血脈を辿るように分離した水が俺の溜息に助長され紙の上でじわりと広がっていった。
・ドワーフ
・エルフ
・獣人
・妖精
・鬼
・ゴブリン??
・ゾンビ???
・ロボット????
知識があまりないからか段々と怪しくなる。当然、彼ら亜人は種が枝分かれして途方もない種類がいるだろう。人間と彼らのハーフだって、クオーターだってきっといるはずだ。
「まっ····ままならなすぎるっ」
頭を抱えた。せっかく苦労して梳かした髪が再び乱れる。そもそも俺が彼らを人間と判断するのか、はたまた動物と判断するのかも全く分からない。この世界はどんな生物がいて、どんな文化を築いているのだろう。書物で溢れたこの部屋から察するに、まだ見ぬ文明が築かれている事は確かだった。
ぐるぐると期待と不安が忙しなくせめぎ合う。
ひとしきり悩み一周回って無になった頃、部屋をゆっくりと見渡した。
そう言えば、目が醒めてからというもの今まで見たどんなモノからも俺は何も感じていない。おまけに畑に育つ植物からもだ。一体、これらは誰にどうやって作られたのだろうか。全てが杞憂であって欲しいと願いつつ、完全に分離してしまったインクを掻き混ぜる。
まるで堂々巡りだ。
「そもそも、俺が人間じゃなかったらどうなんのこれ?」
書き出した中で、不思議な力が使えそうなのはエルフや妖精っぽいが、俺の身体は耳が長くないし、恐らく飛べない。見てくれは普通の人間だ。いや、恐らく人間?
もう一度、湖に引き返す。
水面に写る男と視線を合った。やはり外見は人間に見える。俺が口角を上げれば男の口角も上がり、俺が変顔をしてみれば男も変な顔で俺をおちょくっている。
「ははっいくら顔歪めても永遠綺麗だよっ」
夢中でにらめっこをしたからか表情筋が痛い。おまけに笑いすぎて腹筋まで痛い。本当に軟弱な身体だ。運動なんて概念もなさそうな薄い腹筋をあやすように摩った。
「くくくっ」
いつまでも思い出したようにしつこく引きずる笑い。不思議といつまでも面白い。確かどっかの国で笑わせ続ける拷問があった筈だ。こんな事を自分で続けてもエンドレス地獄でしかない。
「はぁー」
俺はこの気持ちが俺の中で生まれた『喜び』からくる楽しさだと信じたい。湖に写る男が『喜び』を感じているから俺も楽しんでいるとは思いたくないと切に感じた。
しばし湖との決別を誓い。とぼとぼと小屋へ戻る。
「何かを起こさなければ何も起きないっ」
気を取り直し、自分を奮い立たせようと当面の目標を書き出した。
・筏をつくる
・人か人っぽいものに接触する
・畑以外の食料を探す
・剥製達の好物を調達する
・生態系を知る
・文化を知る
気が付くと、天井が赤紫に染まっている。
えーっと、午前8時か。
それにしても分かりずらい。時間表も早急に作った方が良さそうだ。みんなの動いている時間も書き込まねば。
「ふぅーっと」
その前にまずは、体力があるうちに筏を作らなければ。しかし木材を調達しようにも、この孤島には木など生えていない。まずは泳いで行って湖の先で調達しようか。巻いているシーツの中をそっと覗く。あるのは当然、貧弱な身体だった。
うん、無理。
「何をするにもままならないねー」
ギコギコと背もたれに体重を掛け、絶妙なバランスで辺りを見渡す。よくよく目を凝らすと床穴が微かに光を放っている事に気が付いた。恐らく、俺の身体が最初に着ていた服が光源だろう。衣類は未だに、底で眠っているそれしか見つけられていない。今、身体に巻いているシーツだって、どうせアゴヨワに剥がれる運命に決まっている。
あぁそう言えば俺、寝床も取られてんだった。穴底に敷くマットと新しいシーツが欲しいなー。叶うならば布団も枕も用意したい。
「············」
自分でも目がギラつくのが分かった。変なスイッチが入ったまま、すかさずキッチン棚にあった包丁を手に取る。部屋に指す光に照らされた包丁は、まるで透けたように美しい。
鉄で出来ているのだろうか。物語で聞いた事のある良い感じの鉱物は、アダマンタイトやミスリルか。
握っているそれは丁寧に研がれ、刃こぼれひとつしていない。まるで濡れているようにも見えた。息を飲み、指をゆっくりと刃に這わせるも、水気を感じる事はない。さながら日本刀のような既視感を漂わせる。
「あぁーしのびない、しのびない」
しのびないんだよなー本当に。
「許せっ」
ガコンッ
どうせ穴は空いているのだ。これを使わない手はない。しかし、床穴を中心に生活に支障が出ない程度の床板を包丁で切り取ろうとするも、全く刃が入らない。それもそうだ。包丁は食材を切る為に存在する。この子に罪は全くない。
「ノコギリって本当、凄いんだなー」
いっその事、刃を毀してしまおうか。胸のざらつきを宥めつつ刃元を力いっぱい突き刺し、てこの原理で鈍い音をたてながら少しずつ切れ目を入れていく。さながらカボチャを切っているようだ。
「手が真っ赤っ」
力任せに切っていたせいで、ある程度終わった時には頭に上った血が途端に巡り、達成感とふわふわとした疲労感が残った。
筏を作るには紐も必要だ。しかし再び探し回る気力は今の俺にはない。自ずと選択肢は一つに絞られた。ささくれた手で身体に巻いていたシーツの端を裂き、紐状にした布を強度を強くする為に数本束ねて撚っていく。これで麻紐くらいの強度はできたと信じたい。
若干、広がりすぎた床穴の中を覗く。埃や木屑が舞い、薄暗くて見ずらいが、脱いでそのままにしていた服をそーっと引っ張り出し、穴の底に散らばった床板を掻き集めた。
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