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記憶を持たぬ大魔法使い

9、そうそう上手くはいかない話をしよう

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「一寸法師感、半端ないな」

かれこれ一時間は漕いでるのではないだろうか。永遠と景色が変わらない。当然、目を凝らしても見えるのは青くぼやける水平線のみ。風ひとつ感じない無音の中。なのに、何故か迷路に迷い込んだような酔いを伴う錯覚を覚える。

「これは、詰みだな」

緩んだ口元からこぼれた戯言が現状に目を背けていた俺の頬を殴る。ここは湖。海ではないので波が起たない。つまり全く進まない。永遠と漕ぎ続けなければならない現実。引き替えそうにも孤島も見えない。まさに八方塞がりだ。アゴヨワの機嫌が悪くなさそうなのがせめてもの救いだった。

「詰みだぁー」

逃れるように重い頭をアゴヨワの硬い毛に突っ伏し項垂れる。これを泳いで行こうとした朝の俺は余りにも無謀すぎた。もう腕がパンパンだ。暫く毛で体力を充電する。

「兄さん、不思議なパワーとか持ってないの?」

見てくれは全く変わらない重い腕を摩ると、ほんのり赤く色づいた。

『ガルルッ』

アゴヨワが、釈然としないとでも言いたげに短い髭を上下に動かす。

「え?まじで?」

『ガルッ』

「もっと早く教えてよー」

勿論、俺の願望の話だ。

「ほら、兄さんの為にちんまい葉っぱも持ってきたんだよー」

『············』

「はい、あーーん」

アゴヨワが冷めた目で、もそもそと口を開ける。俺は僅かに開いた口の隙間から小さな葉を潜り込ませた。さながら接待葉っぱだ。

「ほーら、まだお弁当葉っぱたーくさんあるよー?」

何も知らない人間が見れば、小汚い布に雑草を包んだだけのそれ。

『ガルルッ』

アゴヨワは怪訝そうに瞼を閉じた。

「ははっなんか青春っぽいな」

乾いた笑い声が青い空に漂う。

『············』

静寂の中、一人と一匹でぷかぷかと湖に浮かぶ。圧倒的に美しい空間に、今にも沈みそうな手製の筏。天と地ほどのコントラストがあまりにもシュールで、堪らず堪えていた笑みを吹き出した。アゴヨワは相も変わらずすました顔で俺を見下す。

「ぶっははっ」

すると視界が山を描くように、規則的なリズムを刻みだす。微かな水音。軋む筏擬き。目をこらすと辺りを覆う一面の青が揺れている事に気が付いた。どうやら、こびりついていた微かな酔いは錯覚ではなかったようだ。

硝子板のように水平を保っていた水面が、微かに震え始める。

「はぁ」

呑気に笑っていると、俺の笑い声をかき消すようにどこからか妙な音が近付いてくるのが分かった。嫌な予感に上げた口角が引き攣る。

素知らぬ顔で突っ伏すアゴヨワ。次第に振動も加わり、段々と雪崩にも似た音が大きく、そして近づいてくるのを感じる。こんなのまるで波のよ·····。

「···え?········嘘だろ?」

音の根源を探すように振り向くと、驚く間もなく、背後から天災のような大波が襲いかかる。『猶予は与えない』飛沫が激しく水面を打ち付ける音が確かにそう俺に告げていた。

「フルパワーすぎだろおおおおおぉぉッ」

『············』

魚や水草を巻き込みながら近づいてくる大波は、容赦なく筏擬きに覆い被さり、死にものぐるいでオールを漕ぎ続ける俺を嘲笑うかのようにぺろりと飲み込んでしまう。ガプガプと溺れかけながら、迫ってくる魚達の切羽詰まった表情が脳裏にこびりつき、大虎に振り回され続ける互いをしんみりと労った。




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