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記憶を持たぬ大魔法使い

25、未来の友人第一号の話をしよう

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扉の向こうに誰かが居る。

時計が無い部屋。人が立ち去った後も、なんだかソワソワと眠ることもできず、かといって監視されている気もして部屋を探索する気にもなれなかった数刻。窓からも扉の外からも話し声はおろか足音一つ聞こえない、無に近い退屈は俺を大いに悩ませた。肩が跳ねたのは、全てを持て余し止まらない欠伸と滲む涙で目がふやけそうになっていた時だった。

『関心』『不安』『恐怖』

馴染み深い感情を前に、正直どうしようかと考える。扉の向こうにいる誰かが俺を恐れている。だが幼い時のように他人から挿された『恐怖』で無闇矢鱈、癇癪を起こす俺はもういない。

やり過ごしてしまおうか。以前の俺は顔に出さなければ感じないも同義だと、自分に適当な言い訳をしていた。気持ち悪がられる事には慣れたが、このまま慣れ続け何も思わなくなってしまって良いのか、とも思う矛盾した自分もいる。

可憐なシンデレラだった俺。憐憫で縫われたドレスに、不憫で出来た馬車、極め付けは慈悲と同情が化けた御者と馬だ。本物はビョウキの俺と虚像だったガラスの靴だけ。俺が大好きだった、可哀想で可愛い俺。

諦めたくない俺が部屋の端で、軽蔑した表情を浮かべる。

「そうだよなぁ決めたんだよなぁ」

天井の老若男女と答え合わせをする。気付けば、もたつく脚が床を鳴らし、ヒラヒラと部屋着を羽ばたかせていた。隙間なく閉ざされた両扉。長い髪を掻き分け、耳を押し付けるも、扉が厚すぎるせいか何も聞こえない。へばりついた半身の熱がじんわりと奪われる。

「自意識過剰か?」

だとしたら潰れる程、耳を扉に擦り付けている自分の衝動説明がつかない。

「ピエロみたいな俺が怖いって事だよな?」

居るのは誰だ。再び婦人がこの部屋に来ることは、まず考えられないだろう。さっきの執事かそれとも騎士か。これだけ広い城とも呼べる家。人物像の見えない、あからさまな恐怖心に疑問が湧いた。いっそ開けてしまおうかとも考えたが、武器を持って構えていたらどうしよう、隠れて様子見という手も有りかもしれない、段々と脳が武装を始める。

「俺だってピエロは怖いけどさぁ~」

コミュニケーションの糸口になる笑顔。笑顔に恐怖心を抱かせるピエロ。ピエロみたいな俺。俺の苦手なコミュニケーション。あぁ、円になってしまった。深くなる眉間のシワと共に、頭の上には悩み抜いた痕跡を垣間見せる立派な鳥の巣が出来上がる。脳裏に浮かぶフリー画像のピエロは、やはりどれもこれも少し怖い。

「喜びと嫌悪はよく混ざるからな」

せめて、ピエロを熊のぬいぐるみに見せられないだろうか。

「感情が無さそうなのに平気で動くから怖いんだろうな。ニヤニヤじゃなくて、ニコニコかな、だな」

目尻を下げて、口角を上げてを繰り返す。俺は可愛いくて無害な柴犬だ、何度も呟き、信じた事もない言霊を信じ込んだ。対人関係を改善する方法。子供に好かれる方法。動物に好かれる方法。無数に読んだ本の文章を記憶の奥底から引っ張り出した。

「あれっもう全然分かんなくなってきた」

目尻と口角を摘んで、強制的に表情筋を鍛える。肉の少ない頬が上下に引っ張られ、視界の端に揉まれた白い頬肉が桃色に染まっているのがチラリと見えた。端正な顔も形なしだ。血行が巡るとポカポカと上半身が温かくなってきた。

「え”」

すると決心がついたとでも言いたげに、重々しい扉が開かれた。

「{失礼いたしま···うぎゃああッ}」

「あ”だっ」

自分でも考えすぎて訳が分からなくなっていたんだと思う。

扉が開くタイミングは分かっていた。きっとギリギリまで備えようとしたのが仇になったんだ。だって青白い顔よりりんごほっぺの方が、絶対可愛いもの。伝わらない言い訳を咄嗟に飲み込む。

お陰様で身構えていたにも関わらず、鼻先を派手にぶつけた。初めて体験した衝撃は、わさびで感じる辛味に似ていた。立派な鼻骨がジンジンと軋む。当然、痛みの元凶を摘んだところで、その辛味は抜けやしない。

あぁ鼻が高すぎるのかこの男、言葉にすると何だか可笑しくもあり、虚しくもある。

奇声と共にひりつく先端が桃色に染まる。扉の隙間から絡む紫水晶。見開かれた瞳に、白銀の髪だけ映った。気付けば意図せずフェードアウトしていた俺。それが最初に見かけた女性の給仕だと分かった時には、既に追撃を受けていた。

「い”ったぁ」

「{えっえ?コ、コッコッコッ、コン!?}」

「待って!?こゆび!小指がっ!」

「{コン、マン様!?もう、し、申し訳ありませんっ}」

「そういえば押し扉だったなぁ」

勢い良く閉じようとした扉に、生成りの裾が巻き込まれる。痛みを超えた衝撃が途端に俺を弱らせ、いとも簡単にシンデレラのシの字を呼び戻す。力が抜けへなへなとその場にしゃがみ込むと、途切れ途切れのソプラノが多色の『不安』を響かせた。

「なんでこんな鼻高いんだよぉ」

「{申し訳ありません。こちらの呼びかけが足りなかったばかりに。本当に申し訳ありません」

「大丈夫。俺は全然、大丈夫です」

「{もしかして、どこかお怪我をされましたか?}」

案の定、床の暖色が移ったように小指の爪が赤く色づいている。俺は何度同じような怪我を繰り返すんだろうか。肌着をたくし上げ腕や脚を晒すと、癒えたはずの全身にチラホラと痣や擦り傷が見える。どうりで。この身体ではまだ歩幅や動作を見誤ってしまう。孤島を出てから如実にそれを感じるようになった。

「{······コ、ンマン様。そっそのお姿はどうなされましたか?}」

俺を見下げアワアワと焦る給士が突然動きを止める。すると樺色の頭の上で腕いっぱいに円をつくり、何かを俺に伝えようとしていた。

「ご心配をお掛けしました······え?大きな、栗の木の下で?」

給士は繰り返し円をつくる。どうやら俺が言葉を話せない事は事前に知っているらしい。あらかた執事あたりから俺が怖いとでも聞き及んでいたのだろう、脳裏に浮かぶ執事の額にデカデカと肉を描く。薄らぐ『恐怖』が『畏怖』に差し変わろうとする中、彼女に比べれば幾分大きい図体を怖がられないように、出来るだけゆっくり動いた。

「目線を合わせて、なるべく同じテンション。ちょっとおっちょこちょいを演出。白くてデカいから柴犬じゃなくてホッキョクグマのが良いな」

ぶつぶつと反復される対人知識。頭に入れただけのそれを、ようやく実践する時がきた。

「{·····どうしたら、お伝え出来るのでしょう}」

「見よっこれが俺のミラーリングだっ」

「{どうしましょう、どうしたら良いのでしょうか}」

給士を真似て俺も頭上に円を作る。『感傷』漂う中、幼少の手遊びを思い出して、少し懐かしさが込み上げた。二人で円をつくる奇妙な光景は俺のせいで暫く続き、目に見えて困った表情を浮かべる給士と向き合い、俺はやっと本腰を入れる。

「?きのこ?アフロ?あ?あぁ!鳥の巣ね!これ癖なんだ。ありがとう、教えてくれて」

案の定、急いで手櫛を髪を整えると予想通りの『平穏』が挿す。お屋敷では身だしなみが大事なのだろう。扉の隙間に引き込まれたままになっていた肌着を引っ張り出し、あらかた整えると、更に『畏怖』穏やかになった。

「{はぁ、ほっとしましたわ。ピクシーに襲われたわけでは無いのですね}」

「お手間をかけました」

「{お立ちください、コ、ンマン様}」

俺より血色の良い小さな手を差し出され、危うく惚れそうになる。

「あ、ありがとうございます、またお手間かけます」

青白い俺の手が合わさると、その対比は圧倒的だった。手を引かれると、思った以上に力強く、引きも強い。俺の身体はなすすべなく容易く起き上がる。

「{これは、たくさん召し上がって頂かないとなりませんね}」

「うわぁりがとうございますっ」

「{私もこのスクロールを使うのは初めてなのです。緊張しております}」

少々お待ちください、何かを言ったかと思うと給士は自身のベルトループに挿した古びた筒を広げ、徐に破り捨てた。突然のご乱心に面食らう俺。ぽかんと開けたままになってしまった口に、紙切れが入り込む。

「え?これな」

すると代赭の床に、給士と俺を中心に図形が現れた。それは驚く間もなく大きくなり、忽ち二人を取り囲む。腰が引けた俺の手を優しく握る給士。それはあたたかく、頑張っている人の手だった。

「{先ほどは申し訳ありませんでした。後ほど、再びご挨拶をさせて頂きます}」

舌に貼り付いた紙切れが、黄緑の炎を上げる。

「え?燃えてっ!?火傷っ熱くない??」

何かを話す給士への対応が全く追いつかない。破った端から黄緑の炎を上げ燃え上がる残骸が、花吹雪のように舞い散る。床から挿す黄緑の光に包まれる中、深々と頭を下げられ、釣られて頭を下げた。床に散らばる長い髪。意図せず光に近付いてしまい、蛍光色に近い黄緑が容赦なく俺の目を眩ませる。

我ながらミラーリングが板についてきた。チカチカと輝く視界。湧き上がる少しの自信がほくほくと胸を綻ばせる。そんな中、感じ取れた『容認』なんとなく『さよなら』と言われている気がした。

「·······」

「{·······}」

沈黙の中、床にはちょっと焦げ跡の残る紙屑が無数に散らばる。何だったのだろう。目先で分かる変化は見受けられない。その割に大袈裟だった光。薄ら疑問を持つも、俯いたまま両手で顔を覆い立ち尽くしている給士を目の前に、俺は次の動向を静かに見守った。

「{·····失敗してしまいましたぁ、コンマンさぁまぁ}」

『放心』『後悔』どうやら彼女には良くない事が起こっているようだ。怪我をしたのか、具合が悪いのか。様子を伺おうにも、そこには頑なな樺色が、荊のように覆っている。

「{·······}」

手余りだ。しゃがみ込んだ先、俺の肩ほどしかない給士を見上げ、手近な紙屑を拾い集めた。すると人工的に出来た荊の隙間から、ギョッとした紫水晶が顔をだす。

「{おやめくださいっカルドネ様にお叱りを受けてしまう}」

「掃除するの?邪魔だったら廊下に出てようか?なんなら俺、結構掃除得意だけど。松井棒とか量産しちゃうよ」

婆ちゃんが濡らした新聞紙を散らして畳の掃き掃除をしていた事を思い出した。

「ぽたぽた焼き、すげぇな」

異世界に轟く甘じょっぱい豆知識に腹の虫が鳴る。






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