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記憶を持たぬ大魔法使い
26、怖がりな樺色の話をしよう
しおりを挟むしばらくすると、何事もなかったかのように給士がサイドワゴンを押し、おずおずと部屋へとやって来た。
「{コンマン様。ご夕食をお持ち致しました······}」
「こっこんにちは。先ほどは失礼しました」
「{改めてご挨拶をさせて頂きます。本日よりコンマン様のお世話を担当させて頂きます。メルリアと申します。どうぞよろしくお願い致します}」
「ありがとうございます」
先程とは違い、か細く弱々しいソプラノ。深々とお辞儀をされ、再び釣られて頭を下げる。数刻の沈黙、視線を上げると、目の前には俺が理想とするりんごほっぺが、そこにはあった。
「りんご師匠」
一向に動く気配がないまま、頑なに目を伏せる給仕。床目を数え続ける紫水晶は、なんとかして俺から逃れようとしているように思える。
あのすみません、あの、何度声を掛けても樺色のツムジしか見えない。それはいくら凝視しても変わらなかった。
久しぶりに会った甥っ子に他人同然の対応をされたような、一入の寂しさを感じる。
「センチメンタルだな」
給士の視界は、下半分ほどしか見えていない筈なのに、作業は滞りなくこなされていく。物音ひとつ立てない滑らかな所作とは対照的に、樺色の肩ほどの髪は踊るように跳ねていた。隠れてよくは見えないが、その様はどこか楽しそうにも見えた。あまりの手際の良さに、数刻前まで斜に構えていた自身が急にアホらしくなる。俺は力んでいた全身を緩め、背もたれにしていた厚めの枕に半身を預けた。
あれか、身体が覚えているというヤツか、小さく呟いた言葉が意中の相手に届く事はない。俺は黙って郷に従うことにした。
「{お待たせしていまい申し訳ありませんっ}」
「おぉ」
惚けた俺をよそに、膝の上にはいつの間にか『あとは食べるだけ』の状態が出来上がっていた。
「ありがとうございます、りんご師匠」
給仕はやりきった顔を覗かせる。俺は再び樺色のツムジを見つめた。ベッドに腰掛けた俺より、少し高いくらいの身長しかない給士。アカギレ目立つ小さな手は絶えず動き続け、必死にやることを探しているようにも見える。
「あぁ、大丈夫??」
「{失礼致しましたっ}」
重いのか、ふらつきながら両手でクローシュを持ち上げる小さな手。重量感のある銀細工に添えられた人色が、ほんのり熱に染まる。手伝う間も無く持ち上がったそれは、途端にもくもくと視界を曇らせ、俺を唸らせた。
「{すみません、すみませんっ}」
「おおっ!」
ハーブ入りのパン粥だっ。
膝の上に銀細工眩しいお盆と共に置かれたそれは、優しい湯気と共にミルクの香りを漂わせ、なんとも食欲を誘う。ギュルギュルと動きだす胃。口は真一文字にキツく結んではいるが、さっきから涎が止まらない。
「俺、腹減ってたのか」
匂いを嗅いだ瞬間、腹の虫が騒ぎだす。思えばここ数日『見つけたら食べる!傷む前に食べる!食べられるだけ食べる!』生活をしてきた。
「温かい料理だとぉーっ」
感動しすぎて、ろくな感想が出てこない。
「ありがとうございます」
「{どうぞ、お召し上がりください}」
俺の実家では、パンをスープに浸す文化は無かったが、ディップしたものが胃に入った状態となんら変わりないだろう。実際は違うだろうが、ほのかに胡椒やローリエ、タイムの香りがする。なんて優しい香りなんだ。何よりも温かいという事に対しての感動が隠しきれない。お盆と揃いの銀食器から手のひらにゆっくりと熱が伝わる喜びは、眠気を伴う涙を誘った。
「っあれだわ。金目の煮魚に箸入れた時のほわほわだわ」
案の定、膝の上から漂う湯気を顔に浴びると、猛烈な眠気が襲ってきた。溢れ出そうとする欠伸を口の中で噛み砕く。
今日は人に会いすぎた、いや、よく考えれば初めて人類に触れたんだ、つぶやく言葉に最早、生気はない。
ゆっくりと息を吐くと、全身の筋肉がほぐれ余計に眠気が漂った。自分でも気付かないうちに肩に力が入っていたのかもしれない、回らない思考でそう結論付けた。
「{すみません}」
「·····」
対照的に、俺の緊張を全て引き取ってくれた給士。その差は豆腐とダイヤモンドほどだろうか。カチコチに硬直した様は、小屋で散々見た剥製を思わせる。ちょうど大きさも伸びきったポンタくらいかもしれない。幼女趣味などないが、途端に給士が愛くるしく見えてくる。同時に、女性と獣を比べる自分はなんて失礼な奴なんだろうと、真面な俺もちゃんと居た。支度をしてくれたことも含め、なんだか申し訳なさが募る。
「なんだこれ、幸せかよ。ありがとうっ」
食器からはあいも変わらず『服従』『恐怖』を感じる。しかしその中にある微かな『喜び』が椀の中の温かさを保っている。そう思えてならなかった。
「{すみませんっ}」
俺のくだらない独り言に一つ一つ反応する目の前の給仕が、小さく喉を上下させる。凝視するような視線感じ、目線を合わせると、あからさまに肩が跳ね上がった。こぼれ落ちそうな紫水晶。大きく揺れる紫黒のワンピース。そして突如、湧き上がる既視感。
あぁ、鶏擬きと出会った時の俺だ。
「いや、流石に傷つくのだけれども···」
見たら岩になる訳でもあるまいし何故そんなにビクついているんだろう、と思ったが温かい食事を前に自身がピエロだった事を完全に忘れかけていた。怖い筈の俺を前に、献身的に尽くしてくれた給士。せめて『平穏』であってくれと、なんの足しにもならない渾身の微笑みをつくって見せた。
「ペカーーーーッ」
貴女の気持ちは痛いほど分かる、俺も婆ちゃん家の仏壇の横にいた洋人形が怖かった。
「{······ッ···}」
「りんご師匠、どうよこれっこっんな笑顔する奴に悪い奴なんて居ないだろ?」
数刻前の愛想笑いとは比べ物にならない、ペッカペカの笑顔をお見舞いした。
「{·····すみ}」
途端、真一文字に小刻みな波ができる。『不安』『悔辱』挿す感情はどれも穏やかではない。怒っているのか笑っているのか、よく分からない表情を浮かべ、微かに口元を震わせる給士。その顔色は読み取れなかった。
「そっそろそろ、表情筋がやばいんだけど。この人思ったより軟弱だな」
片手で数えるまでもなく引くつく口角。軟弱な身体には、今のシラけた空気は些か堪えた。
恐怖する対象を前に立ち止まったまま、一向に帰る気配を見せない給仕。彼女達は用を終えたらすぐ捌けるイメージがあったが。映画は所詮フィクションなのだろうか。よもや、あの怖い執事に食べるのを見届けろとでも言われているのではあるまいな。紫水晶が揺れる度、俺の不安も容易く煽られた。
「酷な野郎だな」
「{すみません}」
「い、いただきますね?」
声を掛けると、再び肩が跳ね上がる。どうやら彼女は俺が怖くて仕方がないらしい。『恐れ』『畏怖』『感傷』感情が変わるたびに肩身が狭くなる。髪の間から垣間見れる表情は、無表情そのものだ。まごう事なき無表情。その様は、数刻前訪ねてきた誰よりも装えているように思う。
「·····ッ···」
「{······ッ···}」
「お互い様なのよね、本当」
逸る気持ちを抑え、パン粥を手のひらで冷ます。持て余した僅かな時間でひっそりと観察を続けた。数歩離れた先で視線が合い、逸らされる。そんな意味のない事を繰り返す。
とても緩い時間。正直、嫌いじゃない。
以前の世界では染めなければ表現できない、印象的な燃えるような樺色の髪。そして良く見れば気付けないくらいの薄いレンズ。縁なしの眼鏡は、この世界初めましてだ。華奢な銀が彼女の樺色に良く映えている。
眼鏡を付けられるという事は良いとこのお嬢さんなのだろうか。貴族の爵位を思い出してみても、どれもあべこべで、ピンとこなかった。
「男爵芋ってあったよな、確か」
あの芋はどのくらい偉いのだろうか、何よりも食い気が勝る自身に若干呆れる。どうりで俺を捉えたレンズ奥の紫水晶が、若干曇っているわけだ。鳴り止まない腹の虫が、居た堪れなさを助長する。数刻しか時間を共有していないが、きっちりと結ばれた胸元のリボンは、彼女の性格をそのまま表しているように思えた。フリルの先までシワ一つない生成のエプロン。どこを見ても丁寧にアイロン掛けされている。
「{すみませんっ}」
「そうだよね、冷めちゃいますよね」
「{·····}」
「いただきまーーっと見せかけていただきま千利休、過呼吸」
「{·····}」
「うっわ滑った。やっべ」
頬に熱を感じる。言葉が通じれば、今の俺のりんご味を総評で頂きたかったところだ。和ませようとした空間が、数刻前より凍りついた。二択を見事に間違えた俺。今更、テレフォンを使いたくなる。きっと早く食べ終えて彼女の仕事をとっとと終わらせてあげるのがファイナルアンサーだ。
「あわわっわわわっ」
無意識に口がよく回る。
「{すみませんっ}」
『不安』『哀愁』無言の圧が広い部屋に充満する。紫水晶の視線が容赦無く降り注ぐ中、豆腐とダイヤモンドが入れ替わるのを感じた。数刻前とはまるで逆転する立場。焦りで塞がらなくなった口からは、言葉になれなかった情けない声が溢れ続ける。時より給仕のソプラノが、合いの手のように俺の喚きに加わった。
全く掴める気がしない。
不器用なの、なんなの指紋ないの、沸騰3秒前の小心。
いつまでも俺を困らせる掴み慣れない柄の細いスプーンは、捕まるまいと確固たる意志さえ感じさせる。焦る手が派手な音を立て、パスタ程しかないそれを永遠と逃した。すると、俺に味方した長い髪が羞恥を覆い隠すように、忽ち視界を塞いでくれた。半ばやけになった俺は、今も見つめているだろう紫水晶に、ご助力願えないかと視線でお伺いをたてた。
「{·····}」
「·····」
「{「ぐふっ」}」
あまりの不器用さに声にならない笑いが噴き出る。
「ぶっ、はは···ごめんなさい、自分がこんなにノミの心臓だとは思わなくて、はははっ格好つかね~」
「{ふふふっ}」
意思疎通もまともにままならない空間が、忽ち異なる笑い声で溢れた。
「いただきます、本当に今度こそいただきますね」
手を合わせ久方ぶりに腹から声を出すと、途端にぺったんこになる。最後に食事をしたのは···あれは食事と言っていいのだろうか。思い出されるのは、おっさんの残り湯に浮かんでいた、ふやけたオレンジ擬きだった。
「いただきます」
三度、視線の端に捉えた肩が跳ね上がる。しかし先程のような『恐怖』は感じない。それに····これは恐らく『関心』だ。もしや食レポをご所望なのだろうか。俺は息を呑み、気合を入れ直した。
よしっとっとと食べて返してあげよう。
視界の端、あいも変わらず瞳は小刻みに揺れている。そういう性分なのだろうか。まるで小動物だ。以前の世界も含め太々しい動物とばかりに触れてきたからか、なんとも新鮮だ。アレとかあれとかアレとか。思い出そうとしなくても憎たらしい顔が無数に浮かぶ。
「最早、そういう玩具だね」
すったもんだで適温になったパン粥。純銀のスプーンを顔に近づけると、ハーブの香りが益々食欲を掻き立てる。一口食べると、トロトロのパンにコンソメ風味のミルクが染み出し········。
「あっつうっ!!」
普通に火傷した。
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