その大魔法使いは美しい髪を切り落とす

しもたんでんがな

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己を知らぬ大魔法使い

34、巧みにおはようを使いこなす俺の話をしよう

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「{おはよう、メルリア}」

「{おはようございます、コ、ペテン様}」

屋敷で世話になってから既に二日が経っていた。

おはよう、ありがとう、ごめん、すき、きらい、いただきます、ごちそうさま、おやすみを給士のメルリアから教わり、紆余曲折を経て習得した俺は一種の無双状態に入っていた。

今もほら、脳内では忙しなく文明開化の音がする。

婦人と執事の名前も知ることが出来たが、目を覚まして以降、会う機会がないので未だに披露は叶わない。

すっかり異分子の俺に慣れてくれたメルリア。今日の微笑みは、とびきり眩しく感じる。

与えられた朝食のバターロールを一口摘むと、しっとりとした食感がバターの香りと共にふわりと広がる。されるがままの生活をして周囲の観察を続けると、この世界は朝と夜の二食で合間に菓子を摘むのが主流なのだと知った。

「かわいいね」

「{からあいれ?}」

「うん、かわいい」

「{??}」

伝わらない事を良い事にセクハラ紛いな言葉を繰り返す。しかし、今は······っ

「伝わらない!」

「{????}」

毎日代えられるシーツ。ふかふかの寝床に、バリエーション豊富な美味しいご飯。可愛い給仕には身体を拭かれ、食べ物を与えられ続ける数日。忙しなく働くメルリアを前に、方やただ寝ているだけの俺。飢えも疲労とも縁のない、なんて快適な生活なのだろう。

いやっ。

「耐えられないっ!!!!」

何をしてしまっているのだろうか、究極的な疑問に襲われた。本来なら村を探していた筈の俺。あと一日気が付くのが遅かったら恐らく寄生虫の完全体が出来上がっていただろう。

「危なかった」

本当に危なかった。ホテルだったら星が5つ付く場所。老人ホームだったらプレミアムクラスのサービス。食費、人件費、医療費、サービス料、滞在費、チップ。ざっくり計算しただけでも血の気が引くばかり。何故なら俺は今、一銭も持っていない。それどころか、この世界の通貨や物流さえ分かっていない現状。全く、無銭飲食どころの話ではない。

「中世ってすぐ痛い事起こるよな」

医療を施されておいて、なんとも本末転倒だが、下手したらいつ首が飛んでも不思議ではない状態だと思い知る。

「帰ろ」

よし、帰ろう。

「{いかがされました?}」

キョトンとした表情を見せるメルリアに無理矢理つくった笑みを向ける。貼られていた湿布や包帯はすっかり取り除かれ、傷もほぼほぼ癒えていた。痣も後少しで目立たなくなるだろう。

あの包帯は一巻き幾らだったのだろう、考えないようにしていたパンドラが完全に開いてしまった。

「あっいや、描くよ」

昨日から始まったメルリアとの交換日記。

渡された羊皮紙擬きをペラペラと捲る。

渡されてすぐ、一番気になっていた此処が何処で今がいつかを尋ねたが、いまいち分からなかった。

分からないと言うのも、早々に文字が読めない問題にぶち当たったからだ。恐らく書いてある答えを前に、俺は肩を落とすしかなかった。どうしても俺には、この世界の文字がもにょもにょとした塊にしか見えない。

改めて文字が読めない、読む糸口を掴めないというのは何とも心細いものなのだと感じる。

「外国人まじリスペクトっす」

一つ一つ根気よく絵で説明をしてくれたメルリア。俺は見捨てられないよう、それらを読み解くことで精一杯だった。人が書いた文字や絵には感情がのる。メルリアとの絵日記も例外ではなかった。

メルリアが描いてくれた絵を俺語で訳すとこうなる。

ここは昔、混乱していた。大きく退屈した大陸の中の、一つの悲しい大国で、おっかない王様が統率を取っている国だそうだ。俺が今厄介になっているこの冷たいけどあったかい家は、代々傷付いているが誇り高い家柄で、どうやら先日の穏やかな婦人は相当位の高い位置にいる人物らしい。メルリアは少し怖い俺が、このお気に入りの家に居るまでの間、専属で対応してくれるそうだ。メルリアはこの家の広すぎて大変疲れる敷地内にある温室の花が好きで、特にサルビアが甘いから好きなのだそうだ。また、婦人や一緒に働く人達を誇りにも思っているメルリアは、どうも「ペテン」と言った俺の発音がさっぱり分からなかったらしい。それは家中に当てはまり、誰一人として俺の言葉が聞き取れていなかったそうだ。でも俺の事は今では37%程、克服してくれたらしい。

これを読んだ後、改めて俺は仮名の発音を懇切丁寧に教わった。

数刻、部屋の中は「ぺ」「{ぺ}」が響き渡り、外に控えていた騎士達の腹を大いに捩らせていた珍事が人知れず起きていたことを俺は知らない。

メルリアによって新たに描かれた羊皮紙には、たくさんの色とりどりの花が、グラデーションのようにお腹を空かせていた。最後尾の花に至っては、空腹を拗らせて具合が悪くなっている。

「····大変だ」

サイドテーブルを見ると、最後の楽しみに取っておいたレーズンパンが一つ。

数歩先で待機するメルリアを見ても、いつも通り何を考えているのか分からない表情をしている。とても朝食を食べ損ねた様には見えない。

「俺、お腹いっぱいなんだけど、一つ食べてくれない?」

腹をさすりながら金縁の皿をメルリアに手渡すと、一瞬の『不安』の後『平穏』が挿した。

「{よろしいのでしょうか?}」

「そこ座って、はい」

テラス前の椅子を羊皮紙の角で指す。彫刻の施された豪勢な椅子にちょこんと腰掛け、嬉しそうに両手でパンを摘むメルリアは小動物にしか見えない。朝日に晒された樺色が、透けて鮮やかなピンクを放った。

「ハムスターだな」

俺は鼻歌まじりに、再び絵日記に手を付けた。

描かれた数字はどれも見慣れたものだが、時間と曜日は色を使って表現するらしい。やはり孤島の小屋は大きな時計だったようだ。窓辺に居るメルリアに細かい時間はどうやって分かるのかを絵で問うと途端に『不安』が募った。どうやら時間の考え方が俺の感覚とは異なるようだ。分や秒はあまり気にならないらしい。恐らく『ウチナータイム』に近いのだろう。

最初は互いに四苦八苦しながら文字を書いていた。特に俺が、この世界の文字を書く事に固執していたからだ。伝えたいメルリアと兎に角情報が欲しい俺。慣れないガラスペンで出来たペンダコを摩りながら、ようやくこれは一日や二日でどうにか出来るものではないと悟った後は、幾分気が楽になった。そして、俺たちはいつの間にか絵を描くようになっていた。

俺に合わせてくれたメルリアは字だけでなく、とても絵も上手く、手を軽く動かしたかと思うと、ものの数分で写真のような絵を描いてしまう。それが分かった後は、絵での筆談が俺とメルリアの意思疎通の主流になっていた。

紙を撫でる音だけが響く室内、集中し無防備になったメルリアに、一人取り残される時間が好きだった。当然そこには、メルリアの絵を見たいという俺の蛇足が含まれる。

「仕事探せないかな」

今日も羊皮紙擬きに、近くに街がないか、この世界の通貨を教えてくれないかを絵で尋ねる。空色のインクが生成りがかった紙によく伸び、鮮やかな色を放った。

「我ながら良く描けた」

まるで海外から家族へ絵葉書を贈っている気分だ。だが、実際は客間から使用人室までのほんの僅かな距離でしかない事は分かっている。もしかしたら、メルリア以外も見ているかもしれない。

「着ていた服はどこにありますか?っと」

小屋で着ていたカフタン風の服と手製の首飾りの絵を描いてみる。

「{お上手ですね。お花でしょうか?}」

「どうここを穏便に退散するかが問題だ」

どこか楽しそうなメルリアを前にやる事を箇条書きで書き出し、無い脳みそを捻る。硝子ペンを使ったのは初めてだったが、氷の上を滑るような滑らかな書き心地。おまけに手が全く疲れないフィット感。どの要素を並べてもボールペンとは比べ物にならなかった。何かを真似て硝子ペンを鼻と口の間に挟んだりもしてみたが、虚しい事に使用人の真似事くらいでしか対価を返せない事実を思い知る。

・服と荷物を返してもらう
・街に行く
・肉屋を探す
・滞在費教えてもらう
・無事に帰る

「それにしても綺麗なペンだなー」

青と蒼と藍が螺旋のマーブルが空のグラデーションをつくる。朝日に導かれるように窓辺の空に硝子ペンを重ねると、メルチアと俺の歪んだ顔が反射した。

こんな事いつかも思った気がする、懐かしいデジャブが顔を出す。

「{テラスに出てみましょうか?}」

「えっあ、はい」

差し出されたほんのりとレーズンの香りのする手。甘い香りが俺に移る。

「あぁ外、出るんですね」

手を引かれ久方ぶりに立ち上がると、改めてメルリアとの身長差を感じた。ちょこちょこと歩く背中が、前を向くと途端に見切れる。

「やっぱりこの身体でかいなぁ」

見下げた樺色のつむじが、俺を導くように歩き出す。

「{ゆっくりですよ、ゆっくりゆーくり}」

「何日ぶりにちゃんと歩いたんだろ」

やはり少しフラつく。

「うわぁーーすっげ」

雲一つない空。白銀の髪を揺らす風が部屋へと入り込み、鮮度の良い空気を部屋中へ運んだ。

「宮殿かよ」

テラスから覗く景色は正しく圧巻だった。此処からでは豆粒程しか見えない正門へと続く、3車線はありそうなきちんと整備されたレンガ造りの道。豪勢な装飾が施された馬車が軽快な音を響かせ道を闊歩している。小さく見える馬車を引く馬が、俺の知っているそれで安堵した。湖の大馬は、やはり亜種なのだろう。

屋敷の前には大きな噴水が勢いよく水を噴き上げ、小さな虹をつくる。噴水を取り囲むように植えられた植物が、屋敷に文字通りの華を添えていた。

その先には剪定された美しい庭園が続いていると、メルリアが羊皮紙を挿しながら嬉しそうに教えてくれる。

視界の先で人々が行き交う。庭師は色とりどりの花を手入れし、使用人は忙しなく仕事をこなしている。このくらいの人数なら耐えられそうだ。フライング気味に街を出た後の期待と不安が膨らむ。俺は楽しそうなメルリアにバレないよう、小さく息を吐いた。

「風が気持ちいなー」

「{公爵夫人様にお許しを頂ければ、お庭をお散歩しても良いかもしれません。今は薔薇が見頃なのですよペテン様}」

「大体、3階くらいかーまぁ首の骨まではいかないだろうな。うわっでも下、砂利だわ。えーっシーツ結んじゃう?やっちゃうの俺?お姫様なっちゃうのー?今ならパンツ履いてるから頑張れる気がするわー」

「{やはりっペテン様はお花がお好きなのですね。早速お伺いをたてて参りますっ}」

「いやーでもなぁ。あれは {メルリア} がやるから可愛いのであってだね」

「{ペテン様?}」

「ね?{メルリア}」

「{はい、お任せ下さいペテン様}」

窓辺に置いた交換日記をメルリアに手渡す。やけに分厚いそれは、ズシリと重みがあり持ち運びには不便をしそうだ。勝手に羊皮紙と呼んでいるが実際は何の皮か分からない。ただ言いたかっただけ。羊皮紙にスラスラと絵を描く自分に少し酔いたかっただけの話だ。

生物の皮を使っているからか、永遠と広がる毛穴を食い入るように見ていると段々とスフを思い出す。やはり木から作る紙は手間が掛かるし、軽く仕上がるから高価なのだろうか。明日にでも聞いてみよう。

「お返事、お待ちしております」

「{ありがとうございます、お預かり致しますね}」

手に同じ香りを共有している事は、俺とメルリアの秘密だ。








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