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己を知らぬ大魔法使い
35、一歩踏み出した日の話をしよう
しおりを挟むメルリアが部屋から去っていくのを見届け、大きく伸びをするとゴキゴキと骨の軋む音が響く。そよぐ風が俺を解放的にさせようと誘惑する。秒で負けた俺。目一杯、息を吸い込み出せる限りの声を吐き出した。
「あぁーっ!!」
「{今、何か吼えた?}」
「{魔物!?誰か騎士団に連絡してっ}」
案の定、屋敷の外に居た見慣れない使用人達がキョロキョロと奇声の根源を探している。目が合ってしまった数人に挨拶をすると途端に『不安』が顔を覗かせた。
「あぁすいません。煩かったよね。じゃなくて{おはよう。ごめんなさい、ごめんなさい}」
「{コンマ···ぺ、テン様}」
ペコペコと頭を下げていると、何処からか名前を呼ばれた気がした。
「すいません、本っ当にすいません。一息つきたかっただけなんです。えっあっ左の扉に居た{おっおはよう}」
手摺りの隙間からデッキ下を覗き込むと、日差しを手で遮りこちらを見上げるいつぞやの騎士がいた。
「{おはようございます}」
「えっと、お名前、んーあー{おはよう}私は{ペテン}です。貴方のお名前は?」
「{·····?}」
「やっばい、何このもどかしさ。ロミジュリかよ。ロマンチックかましすぎだろ俺。私は{ペテン}です!!左扉の騎士さん、恐れ入りますが、お名前を伺ってもよろしいでしょうかー!?」
「{····!ウォーカーです!クレイン=ウォーカーと申しますっ}」
「{ウォ、クラ、クレ、ク}すいませんっあと5回言って頂けませんかー?申し訳なーい!」
「{クレイン!クレインです!}」
「{クリ、クロ、ク、クレヨン!}舌、筋肉痛になるぞこれ」
「{あぁー惜しい}」
大袈裟に頭を抱える左扉の騎士、改めクレヨン。白赤橡が無造作に崩れ、軽快に跳ねる。以前見かけた時は、穏やかそうなイメージだったが、今のリアクションは、まんま米国のホームドラマのワンシーンだ。
どうやら、ちゃんと言えていないらしい。『苛立ち』『関心』くしゃみが出そうで出ない時のようなもどかしさが俺を襲う。
「あ、い、う、あいう{クレ、ク、クレヨ}」
「{何やってんの、お前?}」
すると、灰青の制服を纏った騎士がテラスの下からひょっこりとツムジを覗かせる。馴染みのある黒鳶の短髪。以前の俺と似た髪色に親近感を抱く。同じ色の制服を纏った二人。どうやら気心知れた仲のようだ。
「{···ク、クレ、クレヨ、クレ}」
「{え?あぁペテン様に名前をお伝えしていた}」
「うわぁ、凄い青い眼だなぁ」
「{ぺ?あれ?コンマンって伝令で····あぁ本当だ。本当に女人のようなお姿だな、なんか恐れ多いっていうか。何であんな所にお一人で。メイドも護衛もいないじゃないか、大丈夫か?}」
「{どうやら、言い方が間違っていたらしい。私も奥様の護衛であの場に居たんだが、どうも聞き取れなかった。地方の訛りの可能性もあるが····待てっ明朝、再度伝令が回ってきた筈だぞ?さてはまた、ギリギリに起きたんだろう?いつも言っているじゃないか}」
「{いや、ごめん。実は昨日まで休暇を頂いてな。久しぶりに実家に帰ったら羽目を外しすぎた}」
「{兎に角、中に隠した寝癖をなんとかしろ、全然隠れていないぞ。それにお前が心配しなくても部屋の外に交代制で護衛を着けている。今はー、チャンドレとコーネリアスだな}」
「{相変わらずまめだな、派生部隊のスケジュールまで把握してんのかよ}」
「{あぁ、今回は特にな。性分ってやつだ}」
「もう明日は表情筋、筋肉痛確定だな{おはよう!}」
談笑が薄ら俺の耳元まで届く。すると、綺麗な納戸色の瞳に見つめられ、急激に親近感が薄れた。あうあう口を動かしながら手を振ると突如『畏怖』が立ち込める。
「{なぁこれ。俺が挨拶しても大丈夫なのか?不敬にならないか?}」
「···あれ?挨拶しちゃ不味かったかな?}」
「{お前が不敬になるなら、ルルタージュはとっくに首を刎ねられてるぞ}」
「{もう···やらかしたのか}」
「「{はぁ~~}」」
真下であからさまに肩を落とす二人。唐突に差し込めた湿り気の多い『拒絶』に思わずたじろぐ。気持ち悪がられただろうか。何か不敬をやらかしただろうか。掌に滲む粘り気のある冷や汗。馴染み深い拒絶。以前の俺なら、完全にフェードアウトしている事案だ。
「いや、諦めないって決めたし{···お、おはようー!!}」
震えを隠し腹から声を出す。
「{あっ···え?おっおはようございます!えっえ?なんか凄い嬉しいんだけど、どうしようクレイン}」
『関心』『喜び』予想もしていなかった感情に思わず後ずさる。勇気を出し再びデッキ下を覗き込むと、何事もなかったように談笑が続いていた。
あれ、何だろうこの気持ちは、戸惑いを隠せない俺をよそに楽しそうな笑い声が足元から聞こえる。取り残され、ほんのり苦い寂しさを感じる。身体に纏わりついた他人には見えない枷が少し緩むのを感じた。
「なんだ、この気持ちは······分からない」
困惑する俺をよそに、見えない枷がまた少し緩む。
「{お前は初対面か。私は先日、一足先に奥様と共にお会いした。だが、かく言う私もとても嬉しい。誰かと目を合わせてちゃんと挨拶したのなんていつぶりだろうか。どうやら専属の給士が少しずつお教えしてるらしいぞ}」
「{よっぽど嬉しかったんだな}」
あぁ、つぶやく声に嬉しさが滲み出る。無意識に同じ言葉を繰り返し、目を細め物思いに耽る鶯色を横目に、黒鳶はそっと寝癖を撫でた。
挨拶かぁ確かに、納戸色の瞳に少しの緊張が漂う。
「{あっおお、おはよお!!クレイン}」
噛んだ上に間違えたダミアンを前に、クレインは静かに微笑む。
「{おっおはよう、ダミアン。ふふっ何で私たちの方が挨拶が下手なんだ}」
「{確かにっははっ}」
数メートル先、足元で楽しそうに話す二人のツムジに安堵する。『楽観』が『関心』が『平穏』が。そして、俺には理解できないあたたかな『信頼』が挿した。
突如、訳も分からない何かが込み上げ、涙腺を刺激する。
「お二人さーん{おはようー}お名前を教えてくださーい」
「{初めまして、ペテン様。こちらがク、レ、イ、ン。私はダ、ミ、ア、ンと申します}」
「{おはよう、クレイン、ダ、ダニアン}」
「{やったー、そうですっクレインです、素晴らしいっ}」
「{うぉ惜しい~~}」
「{ふっ、さっきの私だな。ペテンさまー、こちらはダミアンですダ、ミ、ア、ン}」
「ちょっ、ちょっと待って。いける今ならいける気がする{だ、ダ、ダミアン!}」
「「{やったー!}」」
胴の前で小さく両手ガッツポーズをし、嬉しそうに笑うクレヨン、改めクレイン。対照的に、目を細め屈託のない笑顔をこちらに向けるダニアン、改めダミアンは両腕を天に掲げ、大きく手を振っている。
「やったー!{クレイン、ダミアン、ありがとう}」
「{と、ても喜ばしい}」
「{うぁすっげぇ嬉しい。今日ぜってぇほくほくして寝れるわ俺}」
ダミアンから大型犬の尻尾が見える。
「{いたっ痛いぞ}」
「{うわぁ~もう一回俺の事呼んでくださーい}」
「{いたい、痛いってばっ。いつも言ってるだろダミアンっ周囲確認、周囲確認だっ}」
クレインお得意の四字熟語攻撃が始まる。クソ真面目を拗らせた同僚を前に、慣れた様子で言葉を躱していくダミアンはそっと頭上の俺に視線を飛ばした。
「{安全第一だよな}」
「{そうだ、分かっているじゃないか。だがいつも注意散漫なんだよ。お前は図体がデカいんだから、威力も強いんだ。大体、もし私が傲慢な貴族だったらどうしてたんだ、今頃大変な事になっていたぞ}」
「{ごめん、つい}」
「{言っているだろ、質実剛健。いつも心にメイビーを。シュドじゃ駄目なんだよ、シュドじゃ}」
「{···あっまずい}」
ダミアンの脳内に警告音が鳴り響く。四字熟語にカタカナが混じり始めたら、いよいよ歯止めが効かなくなる合図だ。
「{う、うん。そうだな、メイビーだよな}」
「{あらゆる状況を想定し策を練るんだ。いいか、お前に足りないのは洞察力と注意力だ。いや、だからってこん詰める必要はない。全ては慣れだ、日頃の心がけだ。だからこそメイビーが大事なんだよ。日常にメイビーを溶け込ませるんだ。ほら、先月の月例大会だって。敵に斬り込む時もお前は斬り込みすぎて、抜くまでに数秒をロスしていた。訓練でも死角を突かれる事が多いだろ?やっぱりメイビーなんだよ、メイビー}」
「{そう、かもしれないな}」
「{そうだっ。お前の称賛すべき点は、潔くて言い訳をしないところだ。ルルタージュと違って······ん?あ、すまん。人に指摘したそばからシュドを使ってしまった}」
「{いや、そうだな。いやでも平民の俺にちゃんと謝ってくれるクレインこそ称賛されるべきだ······あっ}」
「{ほら、シュドは手放すべきなんだよ······あっ}」
「{うん、あんまりメイビーに囚われ過ぎるのは良くないかもしれないよ、クレイン}」
『退屈』『後悔』『哀愁』足元から立ち込める不穏な感情の波が気になり下を覗き込むも、デッキの影が俺の視界を塞ぎよく見えない。
「{そう···かもしれない······}」
「{はいはい、落ち込まないでっ俺の母ちゃんより姑らしいウォーカー卿。もう勤務時間はとうに過ぎてますよ。ウォーカー卿はもっと臨機応変に行きましょう。ペテン様も呆れておられるかもしれないですよ。じゃあっペテン様!!俺たちこれから警邏なので失礼しますねっ}」
「{おっ早速、メイビーの使い手になってるじゃないかダミアン。おい、だから力がっ···}」
「頑張って~~~~」
背を押され、渋々歩き出すクレイン。陽だまりの中、手を振り去って行く二人を見送りながら、かつての自分を振り返る。どこからか漂う花の香りがそっと鼻先をく擽った。
挨拶が返ってこなかった時。思っていた反応が得られなかった時。
もしかしたら俺は常に拡大解釈をしてしまっていたのかもしれない。自分が避けられるべき対象なんだと思い込み、他人との接触を控えてきた過去。しかし、数刻前の出来事はどうだろうか。思い切って合っているかもいまいち分からない異世界の挨拶を腹の底から叫んでみても『恥辱』を感じる事も、ましてや『絶望』に襲われる事もなかった。
「俺は、誰も·····不快にさせてなかった」
クレインとダミアン、居合わせていた名も知らぬ使用人達。沢山の人が居る屋敷内で、俺が話していたあの一瞬は、誰一人としてネガティブな感情を抱いていなかった。
自分が思っている程、俺は気持ち悪くないのかもしれない。
もしかしたら、俺はとんでもなく果てなき拡大解釈を繰り返していたのかもしれない。
「あぁ~~取り敢えず笑っとこ」
思わず口を覆った掌から、ほのかに甘い残り香が漂う。
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