その大魔法使いは美しい髪を切り落とす

しもたんでんがな

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記憶を持たぬ大魔法使い

20、美しい鉄色の話をしよう

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心臓がバクバクと絶えず不安を刻んでいる。

数日の出来事を振り返る。俺は他人の身体で目を覚まし、奇妙な生物達に出会い、強そうな猪に追いかけられて、物凄く怒った少女と出会い、変わらなかった世界を知った。そして、あの時と同じように気を失ったんだ。

震える両の手で酷く歪んだ顔を覆う。

「ま、た···なの·····か。またなんだな」

『諦めたい諦めたい諦めたい諦めたくない諦めたい』楽になりたかったから前の世界を諦めた。その時はそれが最善だと心の底から思っていたんだ。しかし別の世界で生きると分かっていれば当然、話は変わってくる。

「楽に、なれると思った····のに」

現実は諦めるどころか、対して変わらない世界が続いている。しかも少し複雑になって。なんて無慈悲なんだろう。奥底の諦めたくなかった俺が、俺をこの世界に連れてきたのだろうか。

「諦めたくないのか·····」

深く長い息をひとつ吐く。

「君はどんな人なんだい」

どんな性格で、どんな癖を持って、本当はどんな風に笑うのだろう。

何を思って最後を迎えたのだろうか。

自分の事でいっぱいいっぱいだった数日。思えば、この身体の元の持ち主について考えもしなかった。抜け落ちた魂は何処にいってしまったんだろう。初めてアゴヨワに会った時、彼の目は確かに俺を透かして遠くを見ていた。『もう存在しない』言葉がなくても、感情が分からなくても。きっとアゴヨワの憂は誰にでも寄り添えるものだろう。その気持ちさえあれば。

「ごめんな」

胸に手を当てると当然のようにドクドクと鼓動がする。しかし、この一つしかない心臓を動かしているのは俺なのか、はたまた元の持ち主なのか。それを知ることは出来ない。

この身体の元の持ち主が生きていた世界。見知った人もいれば、大切な人もきっと沢山いただろう。

改めて見渡した部屋。何度見てもその風景は変わらない。やはり可笑しい。気を失う前の俺は浮浪者と何ら遜色がなかった筈だ。身寄りのない人間に対して不自然な程に手厚い歓迎。『善意』で片付けるにはいささか納得が出来ない。百歩譲って得体のしれない行倒れた人間に、ここまでの施しをする人物は一体何者なのだろう。俺に払える対価など当然ない。

自ずと答えは絞られた。

今の施しはきっとこの身体に対してだ。

この身体の知り合いか············思考をぐるぐると巡らせていると部屋の向こうから規則的な音がした。

コンコンコンッ

「{失礼致します}」

音のした方へ視線を向ける。俺の返答を待たずして、金縁眩しい重量感のある戸がゆっくりと開かれた。

「{お目覚めになられたのですね。只今、奥様をお呼び致します}」

開かれた僅かな隙間から、紫黒のワンピースを着た給仕らしき人物が何かを発したかと思うと頭を深く下げ、ろくに挨拶もせず立ち去ってしまった。

「······」

小走りに遠ざかっていく足音。明らかに警戒されている。陰鬱の中、モヤがかかったように晴れない思考に『驚き』が挿す。彼女は恐らく人間なのだろう。

「あれ?」

身なりを整えようと胸元を見ると、ある筈の首飾りがなかった。何処かで落としてしまったのだろうか。

薄地の掛け布団を引っペがす。途端に逃げていく熱を掻き分け探すも、やはり何処にも見当たらない。おまけに服も着ていたものではなくなっていた。

代わりに肌を撫でるのは見慣れぬ上等な肌着。生成のレースがかったネグリジェのようなそれは、到底男物には見えない。以前の姿なら堪らず脱ぎ捨てていただろうその代物。しかし窓に写る自分の姿は一瞬、洋人形かと錯覚させるほど現実味のないものだった。

「·····中世かよ」

いつか見た映画であった貴族のお辞儀をやってみる。窓越しに薄ら写る俺は、うろ覚えの所作の筈なのに容姿のせいで何処ぞの貴族に見えた。しかしそれも一瞬。余りある容姿も中身は所詮、俺だ。情けなく歪めた顔がそれをすぐに台無しにする。

「シルクかっ??シルクなのか!?」

なんとまぁ掴んだ裾の手触りの良いことやら。

改めて味わう身に纏うサラサラと肌触りの良い質感は、永遠に撫でていたいとさえ思える。密に織られた生地はほんわりと身体を暖め、優しく全身を包み込む。

「{あら、寒いのかしら}」

目覚めてから感じていたネガティブに勝った肌着。その証拠に俺の頬はだらしなく緩んでいる。スリスリと両腕を撫でていると、優しく穏やかな声が降ってくる。視線を上げた先、絵画でしか見た事のない美しい貴婦人が、鉄紺のダブルを纏った執事を連れ、部屋へと入ってきた。いつの間にか開かれていた重量感のある扉。吹き込む風と共に、ふわりと植物の青々とした香りが鼻を掠める。それは額の濡れタオルとは違い思い出を連れた香りだった。

「懐かしいな」

家の庭をテムオに監視される中、汗だくで雑草むしりをしたあの頃。額の汗をよれたTシャツの裾で拭いながらドクダミとダンゴムシに出会った戻れないあの頃。自分から手放した筈なのに図々しくも目頭が熱くなる。きっと俺は何度もこの後悔を繰り返すのだろう。しかし不思議と嫌な気分はしなかった。

数刻前までモニャモニャとした金塊にしか見えていなかった金縁。注視すれば様々な植物を模しているように見えた。ベットから扉まではだいたい3メートル程の距離がある。よく考えてみれば本来の俺に見える筈がない。乱視用の分厚いコンタクトレンズを思い出す。この身体はどうやら顔面だけじゃなく視力まで良いらしい。

両扉の前には霞色と灰青の制服を纏った騎士らしき人間が左右前に立ち、ドアストッパーをかって出ているようだ。あぁ、また。いつかのアゴヨワを思い出す。

「あいつら大丈夫かな」

目の前にアゴヨワがいたらきっと『余計なお世話だ』とでも言いたげな視線を送られるだろう。

開かれたままの両扉。先には深紅のカーペットが永遠と続いていた。どうやらこの部屋は最奥らしい。歓迎と警戒。施しの矛盾に相反する言葉が脳裏をちらつく。前の世界では奥間はその家の主人が使う部屋とされていた。しかしその可能性は当然ない。となると奥室は、俺を逃さないよう。扉が開いたままなのは、俺が危害を加える恐れを拭いきれないから。

「中世だな」

そっと息を呑む。途端に扉を遮る騎士達の懐が気になりだした。ピストルなんて出されてしまったら溜まったものじゃない。物々しさ含め、時代背景は中世で間違い無いだろう。沈黙の中、小さな独り言を執事が拾い、婦人に耳打ちをする。

「{体調はいかがかしら?}」

葡萄色のフレアドレスがふわりと舞う。毛足のあるベルベットのような素材が滑らかな光沢を放ち、婦人を包み込む。きらりと光る胸元のペンダントと揃いの瞳。見上げた先、グレーヘアからチラリと見えた純銀のあしらわれた髪飾りが婦人にそっと華を添え、鉄色の両の眼が伏せる俺を優しく捉えていた。

「{治癒士に傷は塞がせたのだけれど}」

小鳥の囀りのような高めの声音。いつまでも聴いていたいとさえ思える柔らかいソプラノ。何処か曲のようにも思えた。酔いしれ呆けた数刻の沈黙の後、我に返り頭を下げると、木目の細かい床にゆらゆらと長い髪が擦れる。

「······あ、の···助けてくださってありがとうございます」

場違いな俺が高貴そうな婦人を見上げる妙な現状。今度こそ本気で我に返る。しかし急いで立ち上がろうとすると婦人によって制止された。

口角を上げる婦人の表情に安堵するも、不安がつのる。美しい装飾品に美しい人々。その中で俺だけが異質だ。中腰のまま見上げた先にとらえる着飾った二人。対して寝癖パジャマの俺。おまけにそれも借り物ときた。あまりの自分の無防備さに若干焦るも、完全に後の祭りだ。

「{よく眠れたかしら?}」

「あれ?」

「{どうかしら?}」

俺に話しかけていたのかっ。

曲のように思っていた声音。視線を上げれば鉄色の目が合い、微笑みが返ってくる。考えてみれば当然か。

「失礼しました。でもどうしよう、言葉が、分からないです」

「{······あら?}」

何度互いに声を出してみても全く聞き取れない。それはあちらも同様のようで、明らかに困惑した表情を浮かべている。しかし揺れるドレスはどこか楽しそうだ。

「{······これは、奥様}」

眉を顰める執事。数歩前に立つ婦人に至っては頭上にハテナを浮かべているように見える。

「あれ??」

脳裏に浮かぶかつての取引先。笑っていない笑顔。思っていない言葉。それらを全て武器にする。俺でさえそうしてきた。しかし目の前の二人はどうだろう。貴族ならば態度でもって、心の内を隠すものだと思うのだが、その兆候が全く見受けられない。この身なりでこの人達は貴族ではないのだろうか。

「ありがとう、ござ、います」

半ばヤケになり同じ言葉を繰り返す。この際、感謝している事が伝われば万々歳だろう。

「{····どうしましょう}」

鉄色の瞳を揺らした婦人が口に手を当て、執事と顔を見合わせている。執事に関しては、得体の知れない俺から婦人を守ろうと必死なようだ。

手本のような怪訝な表情。正に怪訝な表情と言えるだろう。しかし不思議な事に以前だったら感じていた『警戒』や『怒り』が俺自身から沸き起こる事はなく、感じるのは『驚き』や『期待』ばかりで、いつまでも心は穏やかだ。白と黒程に正反対な二人の表情。察するに恐らく婦人の感情なのだろう。

「{······奥様}」

「本当に助けてくださってありがとうございます。あの、ここはどこでしょうか?」

「{······やっぱり異国の方なのかしら。でも、そのお姿は···}」

「{奥様、これは由々しき事態かと}」

「{····カルドネ、話は後よ}」

ヒソヒソと囁かれる声はやはり俺には鳥が囀っているようにしか聞こえなかった。






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