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記憶を持たぬ大魔法使い

19、持ってきてしまったモノの話をしよう

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目を覚ますと、見慣れぬ部屋の中にいた。

「こ、こは···どこだ······」

広い部屋に天蓋付きのベッド。視界に捉える到底値段の分からない家具達。装飾に装飾を重ねたその過度な様相は、どこか美しい皮を被った邪悪にも見えた。

「えっぐいな······」

数刻の時間停止の後、我に返って目を見開く。

「文明だっ文明だぞっ」

部屋の隅々まで見渡す。様相は違えど、慣れ親しんだ家具や寝具で囲まれた空間。どれもこれも用途が分かるものばかり。まるで夢の中で夢を見ているようだ。身体が浮き上がりそうな感覚に襲われる。しかし思考は何処か冷めていて、小屋で目を覚ました時よりも強い違和感を感じた。俺はなぜ此処に居るのだろう。ふと疑問に思い、無意識に天井を見上げた。

「すっげ」

そこには、大空と共に羽の生えた老略男女が大胆に描かれていた。色で塗られた天井を見慣れていたせいか、さほど驚きはしなかったものの既視感に戸惑う。何処かで見た事のあるような中世を思わせる写実的な画風に構図。様々な色が重ねられた風合い。油絵だろうか。

「神か?周りにいるのは天使?」

しかし俺の知っている姿ではない。見る角度を変えれば笑っているようにも、怒っているようにも見える。逆さ絵だろうか。彼らは恐らくこの世界の象徴なのだろう。

「家電はない、か」

やはり電子機器の類は見当たらない。時を刻む音さえ聞こえない広々とした室内。見たところ文化の発展度合いも中世くらいだろうか。昼間だからか部屋はとても明るく、孤島の小屋とは比べるまでもなく落ち着かない。

「凄いな、これは」

身体を支えるマットの寝心地は、以前の世界となんら変わらなかった。キングサイズよりも広いマットの中心に大人しく寝転がる俺。光沢眩しい生成色のシーツに長い髪が散らばる。

「何だこのデカい硝子···」

差し込まれる光に導かれるように、視界の端を見る。曇りひとつない大きなガラス戸。磨きあげられたその先には、恐らく大理石であろう艶やかな光沢を放つデッキが永遠と続いていた。

「····バナナと相性悪そー。それにしても今日もからっからに晴れてるなー」

まだこの世界に来て晴れの日しか体験していない。雲ひとつない真っ青な空に、デッキの白が目をくらませる。サンサンと降り注ぐ日光に、熱を持っていそうなデッキ。滑ったら確実に即死だろう。

苦笑いを浮かべ辺りを見回すと、薬草の香りがほのかに漂り、その根源が頭の上の濡れタオルだと悟る。よく見れば全身の至る所に湿布のような貼り物がされていた。腕を回すと引っかかりなくスムーズに動き、今までで一番調子が良い。回す度、薬草の香りが強くなる。数日抱えていた筋肉痛が綺麗さっぱり治っていた。

「この世界の医療か?」

世界観がさっぱり分からない。部屋の豪華さと俺に施された原始的な医療処置がまるでチグハグのように感じる。布団の中でもごもごと腕を動かすと、サテンのように光沢のあるシーツがひんやりと全身の体温を優しく下げた。

「傷が、ない·····」

確か坂から転げ落ちて傷だらけだった筈だ。しかし両の腕を見ても切り傷一つなく、ただ不健康そうな白い肌を晒しているだけだった。

「うおっ下着履いてるよっ俺!!」

紐パンだっ!?信じられるかっ紐パンだぞっ!?

この世界はじめましての下着。フンドシ味の強いフォルムは時代劇を思い出させる。しかし感じる揺るぎない安心感。やはり有るのと無いのとでは雲泥の差がある。うん、心強い。

「やっぱり俺はパンツ履く派だわ」

指先で腰紐を弄んでいると、突如どんよりと気分が重くなる。

「······ッ··」

不規則になる呼吸、身体がずしりと重くなる。シワだらけになったシーツは、握りしめる程に無数の影をつくった。

噴き出す冷や汗。乱れる髪。同時に途方もない疲労を感じた。俺にとってそれは、慣れ親しんだ感覚。それはこの部屋に置かれたそのどれもが、人間の手によって作られた事を意味している。

「まぁそう上手くはいかないよな」

労働奴隷にでも作らせたのだろうか。服従心の中に恐怖と微かな喜び。なんだかとても気が重い。全く、せっかく治まった筋肉疲労が水の泡だ。例えるならば子泣き爺がちょっと大きくなって帰ってきた感覚。どの世界でも労働に対する感情には大差がないのだと思い知る。

「くっ」

一人きりの筈なのに、無数の人間に囲まれているかのような圧迫感。意識がはっきりする程に、たくさんの手で身体を押さえ付けられたように、まるで身動きが取れなくなった。

「痛たいんだよな~これが全く」

しかし皮肉な事に苦しさの中に懐かしさを感じた。

これが俺の本来の世界だ。今までが奇跡みたいなものだったんだ。心の奥底で『この世界には人類は存在しないのでは』と期待していた。しかし、それはとんだ見当違いだった。ちゃんと思考を伴った文明が築かれ、俺の知りえない営みがなされている。

何も変わらない。

ここは得体の知れない生物と人間がいる世界だ。

「あぁ」

苦しい。とても苦しい。それでもなお、度々安らぎを感じられるのは俺の身体を癒してくれたり、身なりを整えてくれた人間が居てくれたお陰なのだろう。

沸き立つ鳥肌をおさめようと腕をさすっていると突如、漠然とした疑問に襲われた。歪む視界。まつ毛が微かに揺れる。果たして俺は俺なのだろうか。

「他人の身体で生きている俺は·········お、れと言えるのか····」

俺は俺として別の世界で生きた数十年の記憶も意識もある。最後の最後に思った気持ちだってちゃんと覚えている。現在進行形で感じている感覚も俺が長年付き添ってきたエンパスで間違いないだろう。正直、あんなにダル絡みをする性格だとは思わなかったが、数日の晴れた思考で出会えた本来の俺自身の性格。恐らく人格も俺だと思いたい。しかし今この世界で息をしている俺と以前の俺は果たして同一人物だと言えるだろうか。

「これからどうすれば良いんだ·····」

この世界で俺として生きた数日。訳の分からない中でも楽しかったし、苦しさも感じた。こんなにも俺は俺なのに、この世界で俺を知っている生物は存在しない。本当に誰も居ないんだ。

ネガティブになっているからか途方もない不安感に襲われる。元の世界に帰る以外に俺は俺として生きる事は出来ないのではないか。この夢から醒める可能性はもう捨てたほうがいいのだろうか。もしそうなったら、俺はこの世界でどう生きるべきなのだろうか。仮に俺として生きるとして、この身体の元の持ち主はそれを良しとするだろうか。

「········俺は俺じゃないのか」

他人の身体でしか生命維持が出来ない自身に、途方もない気色悪さを感じた。

「寄生虫かよ」

思考のない自傷が俺を傷つける。静まり返った室内。苦しさを感じ、無意識に忘れていた呼吸を再開する。

「····」


俺は呼吸をしても良いのだろうか。






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