その大魔法使いは美しい髪を切り落とす

しもたんでんがな

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己を知らぬ大魔法使い

37、弱った似せ紫の話をしよう

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何度目を擦って見ても、執事の大きな影にはわざわざと揺れる耳が生えている。しかし未だうずくまる当人の頭には耳らしいものは見当たらない。詐術か何か、化粧をしているのか。

「犬なの?ざわちんの分家なのか{カルディ?}てか具合悪いの?」

今度は影に尻尾まで現れた。大きく逆立った尻尾は、ピンと立ち上がり床伝いに壁まで伸びる。大きな影は小刻みに揺れ、己を更に大きく見せようとしている。

「めちゃくちゃ怒ってるじゃないですか」

あれだ。テムオをテレビの前から退かす時にたまに使われる手だ。

「こんな時にあれだけど。俺、知ってんだぜ。犬ってネコ目なんだぜっ意味わかんないよな···あれ違うか?何で俺、お前のこと犬だと思ってんだろ?もしかしてソマリ系なの?耳と尻尾どうやって隠してんの?」

不思議と執事が人間じゃない事への抵抗は全くなかった。きっと風呂で出会ったおっさんのお陰だろう。

「{···ペテン様、危険で、す···お下が、り}」

微かに震える似せ紫の合間から冷や汗混じりの『不安』『警戒』が顔を出す。

「誰か呼んでこようか?」

「{·····ッ}」

サイドテーブルの飲み水を差し出しても、うんともすんとも言わない執事を前に、一口含むんで見せた俺。

「毒なんて入ってないぞ、そもそも{メルリア}が持って来てくれたやつだし」

「{·····}」

「はいはい、大丈夫だからね。嫌いな奴でも使える時は使っておけよ~」

コップ一杯をゆっくり飲ませると、熱の篭る櫨染に光が宿る。さすさすと岩のように大きな鉄紺の塊を宥めるようにゆっくり摩った。

「良いスーツだなー。でもジャケットとベストじゃ暑いだろ?脱いじゃえば?」

足元に語り掛ける俺。細腕を暗闇へと潜り込ませ、手探りで襟元のタイを緩める。シャツとジャケットのボタンを数個外すと、どこか懐かしい香りが広がった。

「はい、脱いで脱いで~、悪いようにはしないからね~ジャケットだけだから。本当、他にはなんもしないから」

うずくまり『感傷』と『畏怖』に耐えている執事は、似せ紫を逆立たせ絶えず俺を威嚇する。

「野良犬かよ。お前、俺が何年エンパス拗れせてると思ってんだ。具合悪い奴の世話なんて俺の専門分野だぞっ」

言ったそばから、俺の呼吸を乱す『期待』五月蝿い心音。上がる脈拍。ぼやける視界。段々と具合が悪くなる身体。俺は現状を打破する事に躍起になった。

「{····}」

「返事はしような~このままじゃ俺が{カルディ}虐めてるみたいになっちゃうからね~」

「{····ですから、カル、ドッ···}」

チカチカと眩しい視界の中、全身の交感神経が許可なく活発に動き出す。取り上げたジャケットの逆毛を整えると途端に消えるシワ。水分を含みズシりと重量感のあるそれは、持ち主よりも幾分従順だった。

「そうそう、お利口さんですね~」

「{····胸ポ、ケット、に薬が}」

「はい重いからね君、頑張って協力してね~ベッドそこだから~」

「{···頭が、ぐらぐらす····る}」

カフスを緩めると、袖口から鉄色のカフスボタンが力無くだらりと垂れ下がる。俺は、力任せに無理矢理立たせた執事をベッドへと放り込んだ。まだ今日が始まって数刻しか経っていないのに既に疲労困憊の俺。カチャカチャと金属の擦れる音が響く室内。なすがままだった執事は身震いし、かっと目を見開く。パンツのベルトを緩める俺の手は執事によって容易く振り払われた。

「いたっ」

「{····申、し訳っ}」

『攻撃』『期待』『驚嘆』

「あぁ~なるほどね~吊り橋渉かけてるわけね~」

無駄に重いテラスへと続くガラス戸を開けると、ようやくひと段落できた。そよそよと入り込む風が、額に滲んだ汗を乾かす。

「どうしようかね~誰呼ぼう」

扉の向こうに居るであろう『退屈』に目を向ける。

「あの~~」

恐る恐る廊下を覗くと欠伸を噛み殺す鳩羽鼠と視線が合った。クレインと同じ色の制服を纏った騎士達。手には大きな突起槍を抱えている。

「······ヒッ」

「{ペテン様?}」

「{どうされましたか?}」

顔を合わせるのは初めましての騎士達。後ずさると、深紅の絨毯が素足を優しく撫でる。海松茶と薄花色の対照的な髪色が、俺の乱れた自律神経を刺激した。

「あっ初めまして{おはよう、おはよう}あのすみません{···カルデ、カル}中の執事さんが俺にムラムラしちゃったみたいで、ちょっとご助力願えませんか?」

部屋の中心に鎮座する大きな塊を指差すと、異変を察した海松茶の騎士が大きく頷いた。

「{ペテン様?カッ}」

漂う緊張に当てられた俺は、疲労を口から逃し、部屋の隅へと逃げ出した。戸棚と戸棚の間に程よく挟まった俺に構う者は誰も居ない。

「俺が襲ったと思われたらどうしよう、インポテンズなんですけ····そうだ、もう身体違うんだ」

自分が放った言葉に二重で萎えた。

「{カルドネさんっどうされましたか!?}」

鴇浅葱の大きな瞳が歪な円を描く。

「{····偽ヒート、だ}」

弱々しく放たれた執事の言葉は誰にも届かず足元へと漂う。

「{えっカルドネさん!?うわっヒート起こしてんじゃねぇか!?}」

海松茶の騎士は咄嗟に呼吸を止め廊下へと舞い戻り、薄花色の騎士は半開きになったガラス戸を思い切り解き放った。

「{ヒート!?}」

腕で顔を覆い、顔を顰める海松茶の騎士の言葉に、鴇浅葱の瞳がたじろぐ。焦りを隠さない薄花色の騎士は、似せ紫と海松茶を交互に見つめ、状況整理をしているようにも見えた。

「{まず、結界かっ}」

「{あぁ。ブルドーザー卿、すまないがセリアンの俺はこの部屋には入れない。俺は医療班を呼んでくるから、卿は抑制剤を探してくれ。カルドネさんの事だから恐らく持ち歩いているだろう}」

「{わ、分かった}」

「{それが済んだら、急いで二重結界を張ってくれ。下手したら暴れ出す可能性がある}」

「{了解したっ}」

「異世界ってムラムラしただけで、こんな手厚く対処されんだ····福利厚生手厚すぎじゃね??」

埃一つない僅かな隙間。取り残された俺は、以前の世界との違いに打ちひしがれていた。

「赤飯炊く勢いだなっ、しっかりしすぎて逆に引くわ····」

邪魔にならないようテラスに避難した俺は、ガラス戸の先で慌ただしく行き交う人々を静かに見守った。手元には勢いで何となく持ってきてしまった魅惑の塊。

いけないとは思いつつ、一度気になり出したらもう止められない。完全に欲に負けた俺。辺を警戒し、抜き足差し足で鉄紺のジャケット宙に掲げる。薄ら透けて見える用途の異なる様々な芯地。綿よりも密度の高い肩パッド。こだわりを詰め込んだ、もはや作品とも言える服。よく見れば裏地のスレキは、鉄色のドットがあしらわれていた。

「すげっ、ちゃんと毛芯も使ってんだ···肩パッドも収まり良いな」

視界いっぱいに広がる鉄紺は、やはり良い生地だった。間近で見ると以前の世界でも馴染み深い綾織りで織られいる事が分かる。

「リネンウールか??」

リネンウールは、以前の世界では珍しい部類に入る生地だ。着ると、ふんわり柔らかく、やさしい印象を与えられる事から俺が担当していたブランドでも、ナチュラル趣向の主婦層にコアな人気があった。

······もしかしたら、この世界は俺が思っていたよりも遥かに発展しているのかもしれない。青白い手を優しく添えると、鉄紺がより彩やかに活き活きとして見えた。

「メンズのスリーピースは珍しいな、しかもダブル」

天然素材ならではの自然で素朴な雰囲気を最大限に生かしたジャケットに添えられた革のクルミボタン。表情豊かな生地感は、手間暇かけて紡績から織りまでが成された事を物語っている。

「俺が着ると、途端に似合わなくなるんだよなー、ちょっと触って良いかな?ってもう散々触ってるけど」

 ムラなく染められたくすみのある色合いを引き立たせる、糸の性質が出やすい綾織り。肉厚な生地を指でなぞると、古着屋で味わうような趣き深いヴィンテージ感が漂った。綻ぶ頬を咄嗟に引き締める。

「先染めウール20%って感じかなぁ」

麻とウールの素材の特性を最大限まで引き上げた絶妙なバランスの生地。断面をよく見ると、繊細な麻とウールの毛羽感がしっかりと表現され、自然で素朴な雰囲気を醸し出す。

「俺リネンって肌、乾燥するんだよなぁ····あぁもう、身体違うんだってば」

侘しさが体温を下げる。実際触っても、柔らかさを感じるばかりだった。実際にこのダブルを着ても、この身体には対して似合わないだろう。これは働いていた勘としか言いようがないが、きっと服に喰われる気がする。

毛足に沿ってゆっくり撫でると、やさしい光沢の波が手に沿ってついてくる。目をこらせば毳がスチームで丁寧に整えられ、手入れがよくされている事がよく分かる。きっと、執事にとってこのジャケットは大切なものなのだろう。

「あれ?でもこの間と生地感違くない?」

数刻前感じた違和感の正体に辿り着く。この間のスーツは型は似ていたが、もっと光沢があってきめ細かい印象があった。

「シルク混かゴットランドだと思ったんだけど、この前のも見たいな、ってすげーぶっ倒れてるし」

3シーズン着られる万能ウールだからと言っても、あの鋭い瞳の執事がやわらかい印象を与えるリネンウールを着ていたのも気になる。

「以外なんだよなー。ギャップ狙ったんか??」

白衣を着た数人に囲まれ、眠りこける似せ紫。身だしなみに厳しそうな執事に気を遣い、俺は手櫛で髪をそっと整えた。

「{ペテンさまー?ペテンさまー!}」

「はっはーーい」

部屋の中では俺を探す薄花色の声がする。咄嗟に返事をしていた俺。聞き取れている感動が無意識に表情へと現れる。手で覆った口元は残念なくらいに緩みきっていた。








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