その大魔法使いは美しい髪を切り落とす

しもたんでんがな

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己を知らぬ大魔法使い

38、縮こまった鉄紺の話をしよう

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「{···ごめん、なさい}」

「ん?起きたか?」

「{置いて···か、ないで····}」

腕を伸ばせば届く距離には、顔を歪ませ唸る執事が未だ眠っている。眉間に寄ったシワを指先で伸ばしてやると、少しの罪悪感が顔を出した。

「お前の為に看病してやれなくて、ごめんな」

唐突に上がる息。寒くもないのに止まらない鳥肌。心の中の靄が空気爆弾のように際限なく膨れ上がっていく。俺よりも少し濃い肌色に伝う涙を、シーツの裾でそっと拭った。

「怖がらなくても大丈夫だぞ、ここにはお前が秒で捻り潰せる俺しかいないから」

「{···も、う····ひと、りはいゃ···}」

これは何だろう、飛び散る『恐怖』を言語化しようにも適当な言葉が見つからない。『激怒』でも『憎悪』でもない。しかし圧倒的だ。身体を、脳を支配しようとする衝撃は、容易く心臓を爆ぜさせようとする。震える手に力を入れると、身体に十分な酸素が巡っていない事が自分でも分かった。肩に錘を乗せられたような虚脱状態。胃から這い上がってくる熱。しかしこの熱の終着点を俺は知っている。

「お前も捨てられたのか···」

ボヤけたピントが、擦れ声で鮮明になる。いつの間にか目覚めていた執事。櫨染は短いまつ毛を瞬かせ、戸惑った様に俺を捉えていた。

「{な、ぜ···泣いておられるので、す}」

「おはよう····{おはよう}」

「{···ペテン様っ}」

「····もう大丈夫なのか?あぁ{ごめん、カルディ}あれ?髪伸びた?」

鎖骨まで伸びた似せ紫が、汗でしんなりと湿っている。未だ呆けた執事に、俺は習得したばかりのごめんを得意げに言ってみせた。

今のは大丈夫だっただろう。なんせこの数日、メルリアに謝りまくっているからな、つぶやいた声音を無理やり上へと向かせる。

「{······ぃぇ、ぉはようございます}」

どのくらい時間が経ったのだろうか。部屋を取られ、暇を持て余した俺は、看病という名の程の良い待機に徹する事にしていた。

「{ペテン様、そのお召し物は}」

「弱ってると目が覚めた時、誰かにそばにいてもらえるとホッとするだろ?」

「{何故······私の上着を羽織っていらっしゃるのですか}」

「まぁ、お前の場合は性欲が爆発しただけなんだけど」

ベストとシャツを剥がれた執事は無防備そのものだった。肌着に薄ら透ける肌色は熱を持っているのか、息苦しそうに見える。しばらく眺めていると、心臓の中がじんわりと溶けていくような脱力感に襲われた。

俺の利己的な心配をよそに何故か硬直したように横を向き、腕で口を隠す執事。櫨染を追いかけると、キョロキョロと躱され逃げられる。······何で。

「何でお前、顔赤いの??」

「{······ちか、い···です}」

唐突に身体を横向きに、俺に背を向けてしまった執事は、袖に隠れた僅かな隙間から真っ赤に染まった耳を覗かせる。もごもごと何かを念仏のように唱えている気がするが、如何せん聞き取れない。そもそも、分からない言葉をボソボソ喋られても俺に分かる訳がない。

「どっこらしょっ、どっこらしょって言っちゃったよ23歳」

仕方なしに重い腰を上げ立ち上がり、執事の口に耳を近づけた。簾のように執事へと覆い被さる長い髪。マットの軋む音が部屋に響く。

「{···ッ···信じられないっ}」

「だから、なんて?」

「{何でもっと近付いてくるのだっ。駄目だ、もう無理だっ}」

「お願いだから、ゆっくり話してくれよ。もっとこう、歩み寄ってこうぜお互いに。もう、ベッド共有した仲なんだぞ」

ガクガクと異様な震えを見せる執事。数刻前に投与されていた薬の影響か、止まらなくなってしまった欠伸が執事の瞳を潤ませる。

「{ですから、近いのです。しろよ淫らな私をお許しください}」

「だからさー。ってかお前本当に顔真っ赤だぞ、インフルじゃねぇのか!?」

「{白よ。無力な私をどうかお救い下さい。どうか、どうか}」

急激な緊張が、俺に呼吸の仕方を忘れさせる。

「待って。今、ドーパミンどばどば出てる気がするんだけど、本当に大丈夫か?」

「{白の導きよ、か弱き私の足元を照らしたまえ}」

「あぁ駄目だ、沸騰しそうだ」

一つの言葉を紐解こうとすると、既に六つ目が飛び込んでくる始末。破綻したホルモンバランスが、俺の情緒を不安定にする。分からない言葉を怒涛に浴び、段々と募る苛立ちが眉間に深いシワをつくった。

せめて、もう少しゆっくり話して欲しい、今にも不満が爆発しそうだ。

俺みたいに聞き取れない前提で話すにしても限度があるだろうに。やるならもっとナチュラルにやってくれ。だからメルリアを呼んでくれと言ったんだ。

「頼むから、少し黙るか、セロトニンを絞り出すかしてくれ」

「{白に平穏と安らぎを。か弱き私を白き光の中で暫し憩わせてください}」

まだ起きて数刻しか経っていない筈なのに、既に気力の底が見え始めている。視界に瞬く光が、警告のように輝いた。一向に引かない歯がゆさが醜く顔を歪ませる。目の前の執事は、両手で顔を覆い俺との間に分厚い壁をつくった。

「{メルリアーー!!!!!!}」

堪らず、大声で最終奥義を召喚する。

鼓膜を揺らす自分の声。風船が勢いよく割れた様な清々しい解放感が、俺に新たな気づきを与えた。それは手放す事への肯定。突発的に自ら執事との関係構築を手放した俺は、揺れる喉元を摩りながら過去の自分を振り返る。

こんなにも簡単な事が何故今まで出来なかったのだろうか、疑問が疑念を呼んだ。

『 {メルリア} 』の一言に凝縮された様々な感情。最後に残った香のように漂う、少しの寂しさと名残惜しさ。

俺はきっとこの気持ちがずっと嫌いだったんだ。他人の感情が混ざる中、色んなものを取っ払って、最後に残る本当の俺の感情だから。

「{ペテンさまー!}」

パタパタと小刻みに掛ける音と共に、我に帰る。開かれた扉からは、頬を赤らめひょっこりと顔を覗かせるメルリアがこちらに視線を送った。

天使、大天使メルリアだ。

それは、俺の中で信仰が差し代わった瞬間だった。

「{ペテン様っ!?}」

「しゅよぉ~~~~」

「{·····ッ···}」

「{メルリアっ!!}」

「{どうされたのですか、ペテン様?カッ!?}」

俺とメルリアの感動の再会をよそに、どこか焦った様子をみせる執事。

「助けて{カルディ}具合悪いかも」

状況が飲み込めないメルリアを前に、突如始まったジェスチャーゲーム。手を額に当てて見せたり、態とらしく倒れてみたりと、身振り手振りで切羽詰まった状況を紫水晶に訴える。

「{え?カルドネ様が?}」

「{···っ私は、大丈夫だっ抑制剤も飲んでいる。貴方は仕事に戻りなさい}」

「{しかし、ペテン様が仰る通りお加減が優れないのでは···?顔色がりんごの様に赤いですよ?}」

それを貴方が言うのですか、執事は空気を読み喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。

「{私に構わなくて結構です。貴方はペテン様の給士です。それにこ、ここはペテン様のお部屋です。部屋の主が快適に過ごされるべきなのです}」

それを貴方が言いますか、メルリアは空気を読み喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。

普段とは余りにも異なるもごもごと話す執事の様子に戸惑いを隠せないメルリア。眼鏡の曇りを疑い、エプロンの裾で何度磨いてみても紫水晶から見えるのは、浮世立った大きな塊だった。

「{メルリア?}何て?」

「{ペテン様、大丈夫ですよ}」

メルリアの背後に後光が見える。投げかけられた微笑みに、俺はそっと肩を撫で下ろした。

「はぁ~救われ、た~」

「{····っ私は、裏の刻より視察で使われる馬車の確認をしてきます。貴方はペテン様に茶菓子でも用意して差し上げてください}」

瞬間的に沸き立った似せ紫が暖色を帯び、乱雑に宙を舞う。羞恥を覆う禍々しい何かは容易く執事を操った。迫られた様に勢い良く半身を起こした執事。目を白黒させ、大人気なく周囲を威圧する塊を前に、数日で成長したメルリアは毅然とした態度を崩さない。

「やっておしまい{メルリアッー}」

椅子に座り、同じくらいの身長になったメルリアの背に、凄まじい包容力を感じる。その声音もいつにも増して頼もしい。振り向きざまの紫水晶と視線が合っただけで何故か俺まで強くなった気がした。不思議と沸々と力がみなぎる。

「{お任せくださいっペテン様。しかしカルドネ様。ペテン様は先程、朝食を召し上がられたばかりです。それにペテン様の召し上がるものは、その日の体調の元、総料理長並び、1から6群それぞれの料理長と共に綿密な栄養バランスを組んだ献立となっております。先程の発言はとても容認できるものでは御座いません}」

事実しか言わないメルリア。奥歯に残った甘みを感じつつ、小さな身体は後ろに控える仮の主を守ろうと必死だ。

「アネキーー!」

「{よっ良いのです、今日は遠出をされるので特別です}」

「{カルドネ様。厨房と戦をするご覚悟でしょうか?食べ物の恨みは恐ろしいのですよ}」

「{まさか臨時の給士が副執事を脅しているのですか?}」

執事が眉を顰め、メルリアに問う。メルリアは首を横に数度振り、執事から視線を逸らす事はない。

「{いいえ、カルドネ様。差し出がましく申し訳ありませんが、カルドネ様に決定権は御座いません。ペテン様は当主様並び公爵家の大切なお客様です。意志選択の決定権はペテン様に一任されております。それでもご自身の要望を通されたいとおっしゃるのならば家令、総料理長、執事長、家政婦長それぞれの承認が必要です}」

真っ当すぎる正論にグーの音も出ない執事。

執事はあからさまに嘆息すると、ふっと僅かに口角を上げた。

「{貴方、言うようになりましたね}」

「{当たり前です。臨時ではありますが私はペテン様の専属給士です}」

「{しかし私の意志は変わりません。間も無く応接間にセシリア殿もいらっしゃいます。私も不本意ながらペテン様にご迷惑を掛けてしまいました。休息も必要でしょう}」

「{え?セシリアど····ボンボンのセシリア様でしょうか!?}」

「{そうです。盲目のセシリア殿です。ペテン様のお召し物を仕立てにいらっしゃいます}」

『放心』『期待』『積極』いつの間にか晴れた負の感情は、両者の表情を朗らかにする。

執事に褒められたのだろうか、樺色を覗き込んでもいつも通りの何を考えているのか分からない表情だ。

置いていかれた俺は、肌触りが良すぎて手放し難くなっていたサイズの大きいジャケットを、断腸の思いで今にも部屋から飛び出しそうな執事へと手渡した。

「あっ温めといてやったぞっ」

「{聞いていますかメルリア。え?あ、ありがとうございますペテン様}」

「{はい!かか、かしこまりましたっ。しかしお茶菓子はペテン様にお伺いを立ててからですっ私も譲れません}」

ソプラノとバリトンが交わる。メルリアと執事は気まずそうに苦笑いした。案の定、執事は早口で何かを言うとおぼつかない脚を隠すように光の速さで部屋から去っていった。

「{ペテン様、お疲れではないでしょうか?お休みにリラックス効果のあるブレンドティーなどはいかがでしょうか}」

握りしめていた羊皮紙にサラサラと絵を描いていくメルリア。ものの数分で見開きに沢山の食べ物は飲み物が描かれる。

「え?良いの?俺こういうの一切遠慮しないよ?···じゃぁ、これと合う飲み物、を、ください」

「{チーズとナッツのクッキーですね、それではお飲み物はキームンがよろしいかと存じます。燻製のようなスモーキーな香りと深い味わいは、このクッキーの塩味とスパイスにぴったりですよ。う~ん、もしやペテン様は香辛料がお好きなのでしょうか?}」

今度は様々な葉や実を描き出すメルリア。『苛立ち』『積極』『期待』『楽観』刺激の異なる感情が、満腹の筈の俺の胃袋を刺激した。

「あ、う~ん待って。ちょっと待って、言わんとしてる事は分かる。でも味は分かんないんだよね俺。いや、うんそうだね。鼻に抜ける香りが良いのが好きかも、凄いね{メルリア!}」

紙芝居のように羊皮紙を掲げるメルリアに向かい数度頷くと、パァッと紫水晶が晴れる。

「{やはりっ総料理長とも共有させて頂きます。ただ今お持ちしますね。少々お待ちになってください}」

救世主メルリアに導かれ、ジャカート織が艶やかなふかふかのソファーに座らされる。

「{メルリア}あいつ具合悪いんだろ?着いてってやれば?」

着いて行くよう促すとコクリと深く頷くメルリア。

あぁ、これだ。これこそが意思疎通だ、針の穴に一発で糸を通せたような達成感が俺の頭を優しく撫でた。

メルリアは執事を追いかけ、小走りで部屋を出て行った。その足音はどこか軽やかで、数日前とは幾分異なる。扉が閉まる間に部屋へと入り込んだ話し声も滑らかな音を放ち、そこにおどおどとした様子はない。

俺以外とも普通に会話が出来ている事に安堵と寂しさを感じる厳禁な俺。『関心』『不安』『楽観』壁の向こう側の好奇心に応える体力は、既に残されていなかった。

「あぁー疲れた、何だったんだー」










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