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第三幕 雷奈と響詩郎 回り始めた運命の秒針
雷奈と響詩郎(後編・上の巻)
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「では儀式を始めます」
響詩郎の声が朗々と響き渡った。
広い和室の真ん中には儀式の当事者たる彼と雷奈の2人が向かい合わせとなって座っている。
そして見届け人として雪花と香桃の2人が少し離れた場所からこの様子を見守っていた。
「まずは霊力分与を行います」
そう言うと響詩郎は指で印を組む。
すると彼の背後から黒衣に身を包んだ仮面の憑物・勘定丸が奇妙なその姿を現した。
初めてそれを見ることになった雪花はその異様さに思わず顔をしかめていたが、2度目となる雷奈は比較的落ち着いた態度で勘定丸を見上げる。
悪路王の影響で体にのしかかる倦怠感は相変わらずだったが、彼女の目には先ほどまでは見られなかった力強い光が宿っている。
雪花はそんな孫娘の変化に気付き、隣にいる香桃をチラリと見やるが、彼女はいつもと同じ薄笑みを浮かべてわずかに頷くのみだった。
2人の視線の先では儀式が粛々と進められようとしている。
「勘定丸」
響詩郎の呼びかけに応じて勘定丸は彼と雷奈の間に浮かぶ。
勘定丸を通して響詩郎の霊力を第三者に分け与えるのが霊力分与の概要だった。
具体的には勘定丸が片方の手で響詩郎に触れ、もう片方で相手に触れることで双方を繋ぐバイパス役を果たす。
勘定丸はその片手を響詩郎の額に当て、もう片方の手を雷奈の胸元に当てた。
雷奈はわずかに表情を堅くしたが、それでも平静を失うことなく勘定丸の手を受け入れる。
すでに霊力分与と代償契約についての説明を響詩郎から受けていた雷奈は、こうした手順も納得の上で儀式に臨んでいた。
それは祖母の雪花も同様である。
ところが響詩郎はどこか腑に落ちない表情を浮かべている。
そんな彼の様子に雷奈も怪訝な顔で尋ねた。
「どうしたの?」
「ん~。やっぱりイマイチだな……。あのさ、言いにくいんだけど、勘定丸の手が当たる部分は肌を出してくれないか?」
気まずい表情でそう言う響詩郎に雷奈も顔色を変えた。
思いもよらない追加の要求に雷奈は目を白黒させる。
「は、はぁ? あんた、何エロい要求してんのよ。こっちが儀式の知識がないからってドサクサに紛れて変なこと言わないでよね!」
顔を紅潮させて文句を言う雷奈に響詩郎も思わずムキになって反論した。
「そ、そんなことするか! 霊気口に直接手を触れないと勘定丸は霊力をバイパス出来ないんだよ。服の上からじゃ伝わりにくいんだ」
霊気口というのは霊気が体の内外を出入りする口であり、体のどこにそれがあるのかは人それぞれ異なる。
響詩郎の場合は額に霊気口があるが、雷奈のそれは胸元にあった。
霊力分与の際は必ず勘定丸が互いの霊気口に手を当てる。
そのことは事前に互いが申告済みだったが、直接肌に触れる必要については響詩郎から言及されなかった。
ゆえに雷奈は目くじらを立てる。
「直接肌に触れなきゃいけないって何で最初から言わないのよ!」
今にも噛み付いてきそうな勢いで雷奈にそう問い詰められ、響詩郎はバツの悪そうな顔で答えた。
「いや、言ったらすんなり首を縦に振るのか?」
そう言う響詩郎を視線で射殺さんばかりに睨みつけると、雷奈は口を尖らせてブツブツぶつと不満を漏らす。
「何でそこまですんのよ。しかも肌を見せろって。何だかあなたがエロ医者に見えてきた」
「誰がエロ医者だ!」
「あなたよ! 患者が弱ってるのをいいことに治療と称して卑猥な行為を……」
「お、おまえいい加減にしろよ」
言い合いを重ねる2人だったが、遅滞する事態を見かねた雪花が仕方なく助け舟を出した。
「雷奈。私ら見届け人の前で響詩郎殿が妙な真似をするはずがなかろう。信じて身を任せよ」
そう言う雪花に雷奈は仕方なく頷いた。
「……分かりました。はぁ」
「いや、誰も見てなくても別に妙な真似しませんからね」
心外だというようにそう言う響詩郎をキッと睨みつけると、雷奈は後ろを向いて胸元をはだけた。
「あまり見ないでよね。っていうか絶対見るな」
彼女にそう言われたからというわけではないが、響詩郎は雷奈をあまりじっと見ないようにする。
(目のやりどころに困るっつうの。クソッ)
響詩郎は心の中でそう悪態をつきながら雷奈の首から下を見ないようにした。
体調を崩してひどく弱っているとはいえ、雷奈は美しい娘だった。
その彼女が胸元をはだけて少し恥じらうように下を向いているその姿は響詩郎には少々刺激が強かった。
この状況は雷奈にとっても同様のようで、顔を赤らめて儀式の開始を急かす。
「さ、さっさと始めなさいよ」
「あ、ああ。分かってる」
響詩郎はもう一度気持ちを引き締めて雷奈の背後に立つ悪路王に目をやった。
治療行為とはいえ、勘定丸で雷奈に触れた途端、悪路王が襲いかかってくる恐れもあるのだ。
響詩郎は悪路王を見上げ、視線を合わせるようにその目を見つめた。
漆黒の大鬼は瞳のない赤い目を響詩郎に向けたまま微動だにしない。
その胸中を読むことは出来ないが、響詩郎は敵意のないことを示すように心を落ち着けて目を閉じた。
「勘定丸」
響詩郎の呼びかけに応じて勘定丸は今度こそ雷奈の胸元に手を当てた。
ほんの一瞬、雷奈は顔を強張らせたが、悪路王は微塵も動かなかった。
「よし」
響詩郎は自分がまず最初の関門をくぐり抜けたことに手応えを覚えながら霊力分与を進めていく。
勘定丸は響詩郎の額から吸い上げた霊力を雷奈の胸元へと流し込んでいった。
その途端だった。
「イッ……痛い。痛いってば!」
響詩郎からの霊力が注入され始めた途端、雷奈は胸に鋭い痛みを感じて思わず苦痛の声を上げた。
「どうした?」
響詩郎は驚いて霊力の注入を中断する。
すぐに鋭い痛みは治まったものの、雷奈の胸元にはジンジンとした鈍い痛みが残っていた。
「わ、分からない。けど……痛い」
雷奈は困惑して表情を曇らせた。
響詩郎は再び悪路王の様子を確認するが、黒鬼は先ほどまでと同様に泰然とその場に控えているだけだ。
指先ひとつ動く気配も見られない。
それを確認した響詩郎は雷奈に再度の霊力注入を促した。
「今度はもう少し霊力の出力を抑える。ゆっくりいくからな」
彼の言葉に雷奈は口を真一文字に閉じて、眉間にシワを寄せながら頷いた。
果たして霊力は響詩郎の言葉通り、ゆっくりと遠慮がちに雷奈の胸へと流れ込んでくる。
だが……。
「痛っ! くぅ~……はあっ! 痛い! あぐぅぅぅああああ!」
雷奈は先ほどよりも大きな声で痛がり、響詩郎は再び霊力注入を中断する。
そのあまりの痛がりように手を止めた響詩郎を雷奈は涙目でキッと睨みつけた。
「何でこんなに痛いのよ! このヤブ医者!」
「ひ、人聞きの悪いこと言うなよ。そんなに痛むのか?」
「死ぬほど痛いわよ!」
「そ、そうか。痛がる客はあんたが初めてだ」
そう言うと響詩郎は思案顔で原因について考えを巡らせるが、そんな彼の背中に雪花が声をかける。
「雷奈はもともと霊気口が狭いんじゃ。それに対して響詩郎殿の霊気サイズが大き過ぎるんじゃろう。だから痛みが強く出るのかもしれんの」
雪花の隣で香桃はなるほどと頷いた。
「もともと霊力が少ないから、霊気の吸気量と排気量も少なくて霊気口が発達しなかったんだろうね」
そう言う2人の言葉を背中に受けながら、響詩郎は雷奈の表情を窺う。
彼女は胸元を手で隠しながら少々落胆していた。
「……す、すんなりはいかないわね」
「そんな顔すんなって。流し込む霊気の量を最小限まで絞る。少し時間はかかるけど痛みも抑えられるはずだ。ちょっとずつ慣らしていこう」
粘り強く説得するようにそう言う響詩郎に雷奈も再び覚悟を決めて応じる。
「……分かった。耐えるわ」
それから響詩郎は可能な限り霊力の出力を抑えて雷奈への分与を行った。
「ゆっくり行くぞ。体を楽にしろ」
「うん……うぐっ。くぅ」
「そんなに力むな。入っていかないから」
「そ、そんなこと言ったって。はっ、はぁ。は、早く終わって……」
雷奈は痛みに苦しみながらも休み休み響詩郎の霊力を取り込んでいく。
すると感覚が麻痺してきたのか、徐々に雷奈も痛みに慣れ始める。
響詩郎から流れ込む霊気の脈動を雷奈は確かに自分の体内に感じ始めていた。
そしてそれと同時に体の中が浄化されていくような開放感を覚える。
雷奈は初めて施された霊力分与の儀式に、無我夢中になりながら必死に耐え抜いたのだった。
すべてが終わるまでには、かなりの時間を要した。
しかし一時間ほどかけてようやく霊力分与が終わった時、雷奈は響詩郎の霊力分与の効果を身に染みて感じることが出来た。
「よし。これでだいぶ楽になったろう?」
そう言う響詩郎に雷奈は穏やかな顔で頷く。
強い痛みに耐えた疲れこそ残っていたが、雷奈の体から先ほどまで感じていたどうしようもない倦怠感はきれいさっぱり消えてなくなっていた。
雷奈はすぐにでも庭に駆け出していけそうな体調の回復ぶりに驚き、両目をこれ以上ないほど大きく見開いて響詩郎を見やった。
「すごい。これが霊力分与……ヤブ医者だなんて言って悪かったわ。このまま代償契約も進めてもらえる?」
雷奈の変わりように苦笑しながら響詩郎は頷いた。
「ゲンキンな奴だな。まあそのつもりだよ。少し休まなくて平気か?」
「ええ。いけるわ」
雷奈の力強い言葉を聞くと、響詩郎は振り返って雪花と香桃に告げた。
「このまま代償契約に移行します」
響詩郎はそう言うと再び雷奈に向き直った。
事態が急変したのはその時だった。
それまで指先ひとつ動かさなかった悪路王が突如として太い腕を伸ばし、人の頭よりも大きな拳を開いて響詩郎の胴を握り締めたのだった。
「う……ぐああああっ!」
強烈な力で締め付けられた響詩郎の口から悲鳴が漏れた。
響詩郎の声が朗々と響き渡った。
広い和室の真ん中には儀式の当事者たる彼と雷奈の2人が向かい合わせとなって座っている。
そして見届け人として雪花と香桃の2人が少し離れた場所からこの様子を見守っていた。
「まずは霊力分与を行います」
そう言うと響詩郎は指で印を組む。
すると彼の背後から黒衣に身を包んだ仮面の憑物・勘定丸が奇妙なその姿を現した。
初めてそれを見ることになった雪花はその異様さに思わず顔をしかめていたが、2度目となる雷奈は比較的落ち着いた態度で勘定丸を見上げる。
悪路王の影響で体にのしかかる倦怠感は相変わらずだったが、彼女の目には先ほどまでは見られなかった力強い光が宿っている。
雪花はそんな孫娘の変化に気付き、隣にいる香桃をチラリと見やるが、彼女はいつもと同じ薄笑みを浮かべてわずかに頷くのみだった。
2人の視線の先では儀式が粛々と進められようとしている。
「勘定丸」
響詩郎の呼びかけに応じて勘定丸は彼と雷奈の間に浮かぶ。
勘定丸を通して響詩郎の霊力を第三者に分け与えるのが霊力分与の概要だった。
具体的には勘定丸が片方の手で響詩郎に触れ、もう片方で相手に触れることで双方を繋ぐバイパス役を果たす。
勘定丸はその片手を響詩郎の額に当て、もう片方の手を雷奈の胸元に当てた。
雷奈はわずかに表情を堅くしたが、それでも平静を失うことなく勘定丸の手を受け入れる。
すでに霊力分与と代償契約についての説明を響詩郎から受けていた雷奈は、こうした手順も納得の上で儀式に臨んでいた。
それは祖母の雪花も同様である。
ところが響詩郎はどこか腑に落ちない表情を浮かべている。
そんな彼の様子に雷奈も怪訝な顔で尋ねた。
「どうしたの?」
「ん~。やっぱりイマイチだな……。あのさ、言いにくいんだけど、勘定丸の手が当たる部分は肌を出してくれないか?」
気まずい表情でそう言う響詩郎に雷奈も顔色を変えた。
思いもよらない追加の要求に雷奈は目を白黒させる。
「は、はぁ? あんた、何エロい要求してんのよ。こっちが儀式の知識がないからってドサクサに紛れて変なこと言わないでよね!」
顔を紅潮させて文句を言う雷奈に響詩郎も思わずムキになって反論した。
「そ、そんなことするか! 霊気口に直接手を触れないと勘定丸は霊力をバイパス出来ないんだよ。服の上からじゃ伝わりにくいんだ」
霊気口というのは霊気が体の内外を出入りする口であり、体のどこにそれがあるのかは人それぞれ異なる。
響詩郎の場合は額に霊気口があるが、雷奈のそれは胸元にあった。
霊力分与の際は必ず勘定丸が互いの霊気口に手を当てる。
そのことは事前に互いが申告済みだったが、直接肌に触れる必要については響詩郎から言及されなかった。
ゆえに雷奈は目くじらを立てる。
「直接肌に触れなきゃいけないって何で最初から言わないのよ!」
今にも噛み付いてきそうな勢いで雷奈にそう問い詰められ、響詩郎はバツの悪そうな顔で答えた。
「いや、言ったらすんなり首を縦に振るのか?」
そう言う響詩郎を視線で射殺さんばかりに睨みつけると、雷奈は口を尖らせてブツブツぶつと不満を漏らす。
「何でそこまですんのよ。しかも肌を見せろって。何だかあなたがエロ医者に見えてきた」
「誰がエロ医者だ!」
「あなたよ! 患者が弱ってるのをいいことに治療と称して卑猥な行為を……」
「お、おまえいい加減にしろよ」
言い合いを重ねる2人だったが、遅滞する事態を見かねた雪花が仕方なく助け舟を出した。
「雷奈。私ら見届け人の前で響詩郎殿が妙な真似をするはずがなかろう。信じて身を任せよ」
そう言う雪花に雷奈は仕方なく頷いた。
「……分かりました。はぁ」
「いや、誰も見てなくても別に妙な真似しませんからね」
心外だというようにそう言う響詩郎をキッと睨みつけると、雷奈は後ろを向いて胸元をはだけた。
「あまり見ないでよね。っていうか絶対見るな」
彼女にそう言われたからというわけではないが、響詩郎は雷奈をあまりじっと見ないようにする。
(目のやりどころに困るっつうの。クソッ)
響詩郎は心の中でそう悪態をつきながら雷奈の首から下を見ないようにした。
体調を崩してひどく弱っているとはいえ、雷奈は美しい娘だった。
その彼女が胸元をはだけて少し恥じらうように下を向いているその姿は響詩郎には少々刺激が強かった。
この状況は雷奈にとっても同様のようで、顔を赤らめて儀式の開始を急かす。
「さ、さっさと始めなさいよ」
「あ、ああ。分かってる」
響詩郎はもう一度気持ちを引き締めて雷奈の背後に立つ悪路王に目をやった。
治療行為とはいえ、勘定丸で雷奈に触れた途端、悪路王が襲いかかってくる恐れもあるのだ。
響詩郎は悪路王を見上げ、視線を合わせるようにその目を見つめた。
漆黒の大鬼は瞳のない赤い目を響詩郎に向けたまま微動だにしない。
その胸中を読むことは出来ないが、響詩郎は敵意のないことを示すように心を落ち着けて目を閉じた。
「勘定丸」
響詩郎の呼びかけに応じて勘定丸は今度こそ雷奈の胸元に手を当てた。
ほんの一瞬、雷奈は顔を強張らせたが、悪路王は微塵も動かなかった。
「よし」
響詩郎は自分がまず最初の関門をくぐり抜けたことに手応えを覚えながら霊力分与を進めていく。
勘定丸は響詩郎の額から吸い上げた霊力を雷奈の胸元へと流し込んでいった。
その途端だった。
「イッ……痛い。痛いってば!」
響詩郎からの霊力が注入され始めた途端、雷奈は胸に鋭い痛みを感じて思わず苦痛の声を上げた。
「どうした?」
響詩郎は驚いて霊力の注入を中断する。
すぐに鋭い痛みは治まったものの、雷奈の胸元にはジンジンとした鈍い痛みが残っていた。
「わ、分からない。けど……痛い」
雷奈は困惑して表情を曇らせた。
響詩郎は再び悪路王の様子を確認するが、黒鬼は先ほどまでと同様に泰然とその場に控えているだけだ。
指先ひとつ動く気配も見られない。
それを確認した響詩郎は雷奈に再度の霊力注入を促した。
「今度はもう少し霊力の出力を抑える。ゆっくりいくからな」
彼の言葉に雷奈は口を真一文字に閉じて、眉間にシワを寄せながら頷いた。
果たして霊力は響詩郎の言葉通り、ゆっくりと遠慮がちに雷奈の胸へと流れ込んでくる。
だが……。
「痛っ! くぅ~……はあっ! 痛い! あぐぅぅぅああああ!」
雷奈は先ほどよりも大きな声で痛がり、響詩郎は再び霊力注入を中断する。
そのあまりの痛がりように手を止めた響詩郎を雷奈は涙目でキッと睨みつけた。
「何でこんなに痛いのよ! このヤブ医者!」
「ひ、人聞きの悪いこと言うなよ。そんなに痛むのか?」
「死ぬほど痛いわよ!」
「そ、そうか。痛がる客はあんたが初めてだ」
そう言うと響詩郎は思案顔で原因について考えを巡らせるが、そんな彼の背中に雪花が声をかける。
「雷奈はもともと霊気口が狭いんじゃ。それに対して響詩郎殿の霊気サイズが大き過ぎるんじゃろう。だから痛みが強く出るのかもしれんの」
雪花の隣で香桃はなるほどと頷いた。
「もともと霊力が少ないから、霊気の吸気量と排気量も少なくて霊気口が発達しなかったんだろうね」
そう言う2人の言葉を背中に受けながら、響詩郎は雷奈の表情を窺う。
彼女は胸元を手で隠しながら少々落胆していた。
「……す、すんなりはいかないわね」
「そんな顔すんなって。流し込む霊気の量を最小限まで絞る。少し時間はかかるけど痛みも抑えられるはずだ。ちょっとずつ慣らしていこう」
粘り強く説得するようにそう言う響詩郎に雷奈も再び覚悟を決めて応じる。
「……分かった。耐えるわ」
それから響詩郎は可能な限り霊力の出力を抑えて雷奈への分与を行った。
「ゆっくり行くぞ。体を楽にしろ」
「うん……うぐっ。くぅ」
「そんなに力むな。入っていかないから」
「そ、そんなこと言ったって。はっ、はぁ。は、早く終わって……」
雷奈は痛みに苦しみながらも休み休み響詩郎の霊力を取り込んでいく。
すると感覚が麻痺してきたのか、徐々に雷奈も痛みに慣れ始める。
響詩郎から流れ込む霊気の脈動を雷奈は確かに自分の体内に感じ始めていた。
そしてそれと同時に体の中が浄化されていくような開放感を覚える。
雷奈は初めて施された霊力分与の儀式に、無我夢中になりながら必死に耐え抜いたのだった。
すべてが終わるまでには、かなりの時間を要した。
しかし一時間ほどかけてようやく霊力分与が終わった時、雷奈は響詩郎の霊力分与の効果を身に染みて感じることが出来た。
「よし。これでだいぶ楽になったろう?」
そう言う響詩郎に雷奈は穏やかな顔で頷く。
強い痛みに耐えた疲れこそ残っていたが、雷奈の体から先ほどまで感じていたどうしようもない倦怠感はきれいさっぱり消えてなくなっていた。
雷奈はすぐにでも庭に駆け出していけそうな体調の回復ぶりに驚き、両目をこれ以上ないほど大きく見開いて響詩郎を見やった。
「すごい。これが霊力分与……ヤブ医者だなんて言って悪かったわ。このまま代償契約も進めてもらえる?」
雷奈の変わりように苦笑しながら響詩郎は頷いた。
「ゲンキンな奴だな。まあそのつもりだよ。少し休まなくて平気か?」
「ええ。いけるわ」
雷奈の力強い言葉を聞くと、響詩郎は振り返って雪花と香桃に告げた。
「このまま代償契約に移行します」
響詩郎はそう言うと再び雷奈に向き直った。
事態が急変したのはその時だった。
それまで指先ひとつ動かさなかった悪路王が突如として太い腕を伸ばし、人の頭よりも大きな拳を開いて響詩郎の胴を握り締めたのだった。
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