オニカノZERO!

枕崎 純之助

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第三幕 雷奈と響詩郎 回り始めた運命の秒針

雷奈と響詩郎(後編・下の巻)

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「う……ぐああああああっ!」

 響詩郎きょうしろう悪路王あくろおうの手で胴を締め上げられ、その耐え難い苦痛にたまらず声を上げた。

「あ、悪路王あくろおう! 何してるの! 今すぐやめなさい!」

 突然の悪路王あくろおうの凶行に雷奈らいなは真っ青な顔で命令を下すが、漆黒の大鬼は響詩郎きょうしろうの体を握ったまま一向に放そうとしない。

「いかん!」

 事態を見守っていた雪花せつかも思わず声を上げて立ち上がりかけたが、香桃シャンタオが彼女の手を握ってそれを引き留めた。
 雪花せつかの手を握り締めた香桃シャンタオは珍しく神妙な顔で言った。

「何があっても絶対に手出しは無用と言ったはずだよ」
「しかし、あれでは響詩郎きょうしろう殿が危険だ」
悪路王あくろおうはまだ響詩郎きょうしろうを殺していない。そのつもりなら一瞬でひねり殺しているだろうさ」

 そう言う香桃シャンタオ雪花せつかうなるような声をらしたが、悪路王あくろおうの巨大な手につかまれた響詩郎きょうしろうが苦しみあえぎながらも、こちらに手のひらを向けて「来るな」という意思を示しているのを見て再び腰を下ろした。
 雷奈らいなもそれを見て響詩郎きょうしろうを見上げる。
 彼は苦しみながらも雷奈らいなに向かってニッと歯を見せた。
 そんな彼の隣に勘定丸かんじょうまるがピタリと寄り添い、悪路王あくろおうに手を伸ばしてその漆黒の肌に触れた。
 その様子を見て雪花せつかは眉を潜める。

「あれは……」
「意志疎通をしているんだろう。互いに真意を探り合う好機だ」

 香桃シャンタオがそう言った通り、全身を締め付ける強大な力に苦しめなれながらも響詩郎きょうしろう勘定丸かんじょうまるを通して必死に悪路王あくろおうに己の意思を伝えようとしていた。
 鬼が簡単に人の言葉に耳を傾けるとは思えなかったが、響詩郎きょうしろうには勘定丸かんじょうまるの力がある。
 人外の存在と言葉を交わすことの出来るその力を響詩郎きょうしろうは信じて強く願った。

悪路王あくろおう。おまえと鬼巫女みことの契約は今のままじゃ駄目なんだ。新たな契約を結ばせてくれ)

 響詩郎きょうしろうのそうした心の声は悪路王あくろおうを通して雷奈らいなにも伝わる。
 彼の心の声は切実な響きとなって雷奈らいなの胸にも響いた。
 それが彼女の焦燥感しょうそうかんをよりき立てた。

悪路王あくろおう。彼の声を聞いて。彼は敵じゃない。私とあなたをつなごうとしてくれてるのよ」
 
 思いをしぼり出すように雷奈らいな悪路王あくろおうに語りかける。
 だが悪路王あくろおうの意思は一向に伝ってこない。
 黙して語らぬ大鬼は響詩郎きょうしろうを解放しようとはしない。

「まだだ。粘りな。頑固な鬼を説き伏せるんだ」

 事態を見守りながらそう言う香桃シャンタオだったが、その隣で雪花せつかの表情は曇ったままだった。

「しかし悪路王あくろおうは力を緩めておらんぞ。いや、それどころか……」

 雪花せつかの見つめる先、悪路王あくろおうに握り締められている響詩郎きょうしろうがさらに苦しげな声を上げた。

「ぐうっ!」

 響詩郎きょうしろうの顔は真っ青になっていて、息苦しそうに身悶えする。
 その様子からも悪路王あくろおうが徐々に彼の体を握る手に力を込めていることは明白だった。
 悪路王あくろおうの主人としてそれを肌で感じ取っている雷奈らいなは、大鬼の漆黒の体にすがりつくようにして響詩郎きょうしろうを見上げた。

「もういい! あなたがそこまでする必要なんかない!」

 ほとんど金切り声でそう叫ぶ雷奈らいなだったが、そんな彼女を見下ろして響詩郎きょうしろうは息も絶え絶えになりながらも必死に言葉を絞り出した。

「ぜ……絶対に見捨てたりしないって言ったろ」
「……!」

 その言葉に雷奈らいなは胸の奥が激しく揺さぶられたような気がして肩を震わせた。

「ば、馬鹿じゃないの! そんな死にそうになってるのに。今すぐ儀式を中断しなさい!」

 あせりをつのらせて声を張り上げる雷奈らいなだったが、響詩郎きょうしろうかたくなに首を横に振った。

「こ、ここでやめたらまた元に戻るだけだ。お飾りの鬼巫女みこにはならないんだろ? だったらそこで見てろ。これが俺の仕事だ」

 響詩郎きょうしろうの確固たる意志が込められたその言葉は雷奈らいなの胸を打った。
 目の前にいる響詩郎きょうしろうという男は悪路王あくろおうに命を握られてどうすることも出来ない状況にあるというのに、決して心が折れていない。
 雷奈らいな呆然ぼうぜんと立ち尽くして響詩郎きょうしろうを見つめる。
 自分にはない強さを持つ響詩郎きょうしろうから雷奈らいなは目を離せなくなっていた。

「くっ……。このままいくぞ」

 響詩郎きょうしろうは強まる悪路王あくろおうの握力を受ける中で、苦しみながらも契約を進めるべく勘定丸かんじょうまるに指示を送る。
 雷奈らいなは契約が終わって一刻も早く響詩郎きょうしろう悪路王あくろおうから解放されることを祈りながらくちびるを噛み締めた。

「まずは……今ある不完全な契約の破棄からだ」

 響詩郎きょうしろうがそう言うと勘定丸かんじょうまるがブツブツと何事かをつぶやいて悪路王あくろおうに契約破棄の意向を伝達した。
 だが、そこで悪路王あくろおうが彼を握る力が一層強くなり、その圧力に耐えきれずに彼の鼻からパッと鼻血が赤い飛沫しぶきとなって飛び散った。

「くはっ!」
「あ、悪路王あくろおう! いい加減にしなさい!」

 雷奈らいなは思わず怒鳴り声を上げたが、漆黒の大鬼は依然として響詩郎きょうしろうの体を握る力を弱めようとはしない。
 鬼を従える鬼巫女みこであるはずの自分の声が悪路王あくろおうに届かない。
 契約が不完全であるという響詩郎きょうしろうの言葉が真実であることを痛感し、雷奈らいなは悔しくて自分の両膝りょうひざを力任せに叩いた。

「もう! 私の声が聞こえないの? 悪路王あくろおう!」

 怒りの声を上げる雷奈らいなだったが、響詩郎きょうしろうは苦悶で顔をゆがめながらもそんな彼女をなだめるように言った。

「あ、悪路王あくろおうを責めても仕方ないさ。契約が正式に結ばれれば悪路王あくろおうは鬼巫女みこの指示に従うようになるんだ」

 そう言う彼の隣では勘定丸かんじょうまるが契約解除の儀式を黙々と続けている。
 雷奈らいな苛立いらだちをつのらせて声を上げた。

「まだなの? まだ終わらないの?」
「も、もうすぐだ。もうすぐ終わる」

 響詩郎きょうしろうは儀式の終わりが近いことを感じ取っていたが、同時に自分の体の限界も悟っていた。

(そろそろマジでやばい。骨がイカレちまう)

 体をさいなんでいた激しい痛みは徐々に鈍いそれに変わっていき、体の痛覚が麻痺まひしてきたことを響詩郎きょうしろうに伝えている。
 少しでも気を抜くと一瞬で意識が途切れそうになり、響詩郎きょうしろうは頭を振ってこれをこらえた。
 彼の意識が飛んでしまえば勘定丸かんじょうまるは消えてしまい、儀式は中断されてしまう。
 響詩郎きょうしろうは意地を見せて気力を振り絞り、勘定丸かんじょうまるからの契約解除完了のシグナルを待った。

(まだか! 来い! 勘定丸かんじょうまる!)

 響詩郎きょうしろうは残った全ての気力を吐き出すようにそう念じる。
 そして……。

 果たしてそれは10秒と経たずにやってきた。
 勘定丸かんじょうまるが伝えてきたその合図を受けて、響詩郎きょうしろうは声を絞り出すようにして宣言した。

「け、契約の解除を確認。新たに契約を締結する」

 その途端、響詩郎きょうしろうつかんでいた悪路王あくろおうの手から力が抜け落ちた。
 そして響詩郎きょうしろうはようやく解放されて畳の上に倒れ落ちた。

「うげっ……」
 
 畳に背中を打って声を上げると、響詩郎きょうしろうはそのまま力なく横たわった。
 それを見た雷奈らいなはすぐさま彼に駆け寄ってその体を抱き起こす。

「ちょっと! しっかりしなさい!」

 雷奈らいなに体を力任せに揺すられて、響詩郎きょうしろうは思わず顔をしかめる。

「イッ、イテテテッ。体中が痛いんだからあまり触るなっての」

 そう言われてハッとした雷奈らいなは自重して、彼の体をそっと畳に横たえる。
 そして自分のポケットからハンカチを取り出すと、それで彼の鼻血をそっと拭ってやった。

「あなた。死んだかと思ったわよ」
「うぅ……俺もだよ」

 苦しげにそう言う響詩郎きょうしろうだったが、体のあちこちが痛むものの幸い骨は折れていないようだった。

「とりあえず大ケガってわけじゃなさそうだ。しばらく痛むだろうけどな」

 そう言う響詩郎きょうしろうの言葉にひとまず安堵あんどし、雷奈らいなは自分の背後に立つ悪路王あくろおうを見上げた。

「どうして悪路王あくろおうはあんなことを……」

 悪路王あくろおうは再び動きを止めたまま静かにたたずんでいる。
 先ほどまでその全身から放っていた凶悪なまでのプレッシャーもすっかり消え去っていた。

「お、俺がどの程度本気なのか試したんだろ。とりあえず鬼のおメガネにかなって良かったよ」

 そう言って腹の底からのため息をつく響詩郎きょうしろう雷奈らいなは肩をすくめた。

「あなたって変な奴ね。体は弱いくせに無鉄砲で。そんなことしていると、いつか死ぬわよ」
「少しは褒めてくれよ。響詩郎きょうしろうくんって根性あるわねステキ! って」

 そう軽口を叩く響詩郎きょうしろう雷奈らいななかあきれ顔で、それでもどこか嬉しそうに言葉を返した。

「まあステキかどうかは別として、根性あるのは認めるわ。お疲れさま。で、この後は代償契約ね」

 そう言って緊張の面持ちで再び気を引き締める雷奈らいなだったが、対照的に響詩郎きょうしろうは穏やかな笑みを浮かべた。

「そんなに堅くならなくてもいいよ。もうここまでくれば後は難しいことはない。契約自体はあっさり終わるさ。問題は霊力不足のあんたのために何を代償にするかってことだけだな」
「代償……」

 悪路王あくろおうを操るための霊力が不足している雷奈らいなが代償として鬼に捧げる供物くもつ
 それを何にするべきか正直なところ雷奈らいなにはまったく見当がつかなかった。
 だがそこで彼らの後方からチョウ香桃シャンタオが声を上げる。

「それについては私のほうから提案があるんだ。とても建設的でしかも響詩郎きょうしろう雷奈らいなの双方にメリットのある提案だと請け負うよ」

 そう言った香桃シャンタオの金色の目にあやしい光が宿るのだった。
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