蛮族女王の娘《プリンセス》 第1部【公国編】

枕崎 純之助

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第12話 流れ者2人

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 公国南部の商業都市アリアド。
 共和国との国境も近いこの街は、公国と共和国の交易の窓口であり、人の往来も多い。
 夜になっても酒場に繰り出す人の流れで、街中はにぎわっていた。

 そんな街の一角にある裏通りの酒場で今、1人の男が2つの杯を両手に持って店内の人の波をかき分けながら奥のテーブルに向かっていた。
 20歳前後とおぼしき若きその男は頭に白い布を巻いて頭髪を隠していたが、その顔立ちは隠しようもなく美しい。
 彼は店内の混雑と他の客からチラチラ盗み見られる視線に辟易へきえきしながらようやく奥のテーブルへとたどり着いた。

 そこには女が1人座っている。
 その女は男よりも高い背丈と大柄な体格を持ち、首までの短い頭髪は燃えるような赤い色をしていた。
 屈強くっきょうな体格で赤毛の女とくれば、この大陸では知らぬ者はいない。
 ダニアの女だ。
 若い男はそのダニアの女の前に片方の杯を置いた。

「酒場で酒を頼まないと、変な目で見られるぞ。ジャスティーナ」

 ジャスティーナと呼ばれた女は杯を手にすると、そこに注がれている果汁入りの水をグビリとあおった。

「変な目で見られる? 別にどうってことはない。酒で判断をにぶらせるほうが私にとっては問題なんだよ」

 そう言う彼女は男よりは10歳ほど年上に見える。
 30歳は過ぎているだろう。

(一杯くらいで判断がにぶることもないだろうに)

 そう思いながら男は自身の杯になみなみと注がれている麦酒に口をつけた。
 ジャスティーナが酒をまったく口にしないのは今に始まったことではない。
 余計なことを口にして彼女の機嫌を損ねても何もいいことはないと男は知っていた。
 そんな男にジャスティーナは言う。

「ジュード。街中に公国軍の兵士が増えてきている。だんだん情勢がきな臭くなってきた証拠だ。そろそろ共和国側に移動したほうがいいかもな。国境封鎖なんてされたら面倒だ」

 ジュードと呼ばれた男はうなづいた。
 2人はある事情から祖国を持たず、諸国をめぐる放浪の生活をしている。

「王国は馬鹿な真似まねをしているな」

 あきれたようにジャスティーナはそう言うが、彼女にとっては所詮しょせん他人事だ。
 しかし彼女よりも神妙な面持おももちのジュードは、杯をあおって麦酒を一気に飲みした。
 まるで麦酒の苦さで苦い記憶を流そうとするかのように。

「ああ。あの国は変わってない。先代クローディアが生きていたあの頃から」

 そう言うジュードの頭を指差して、ジャスティーナはニヤリと笑った。

「髪の毛、出ているぞ」

 ジュードの頭に巻かれた白い布帽子の隙間すきまから数本の髪が飛び出していた。
 それは美しくつやのある黒髪だった。
 その髪を白い布帽子の中に押し込むジュードにジャスティーナは肩をすくめる。

「共和国に行けばもう隠す必要もないだろう? 見ていて暑苦しいんだよ。それ」

 この大陸では黒髪はめずらしい。
 ジュードのような顔立ちの整った男が黒髪をなびかせて歩けば女、男、奴隷どれい商人などが様々な理由で寄ってくる。
 余計な厄介事やっかいごとを背負わぬために、人の多い街中ではジュードはこうして黒髪を隠して自衛しているのだ。

「共和国は奴隷どれい制度が廃止されてるとはいえ、目をつけられるのは変わらないと思うがね」

 ジュードはそう言うと脇腹をこすった。
 今まで幾度いくども見たことのある彼の仕草にジャスティーナはまゆを潜める。
 それはジュードが持つ、ある特殊な力によって彼の体に引き起こされる現象だった。
 彼との付き合いも3年ほどになるジャスティーナは、これまでに幾度いくどもそうした場面を見てきた。
 そしてそういう時には彼にとって良くない出来事が起きることが多い。

「どうも良くないな。この街にいるらしい。俺のお仲間が」

 そう言うとジュードはシクシクと軽い痛みをうったえる脇腹を手で押さえた。
 痛みは大したことはない。
 だが、それ以上に彼の頭の中には感情の波が流れ込んできていた。
 それは不安、悲しみ、さびしさといった負の感情だ。
 ジャスティーナは周囲を警戒しつつ、ジュードに問う。

「私らにとって不都合なお仲間かい?」

 ジャスティーナの問いにジュードは首を横に振った。
 その顔に苦い表情が浮かぶ。

「いや……これはおそらく子供だ」

 ジュードは黒髪術者ダークネスとして同じ黒髪術者ダークネスの強い感情を感じ取ることが出来る。
 相手が自分たちに危害を加えようとしている時は、強い殺意や明確な害意を感じるが、今ジュードが感じているそれは違った。
 それは悲しみや恐れがない混ぜになって、どうすることも出来ない子供の感情であることをジュードはよく知っている。
 かつて彼自身が身を置いていた境遇では、よくその身に感じた感情だからだ。
 ジュードの話にジャスティーナもその顔に不快感をにじませる。

「黒髪の子供か。この街には確か奴隷どれい商人がいたね」
「ああ。それも表向きは曲芸団サーカスをやっていることにしている悪質な連中だ。しかし……これは」
「どうした?」

 ジュードの様子に違和感を覚えたジャスティーナが怪訝けげんな表情を浮かべる。

「いや……悲しみの感情が強すぎるせいか、こっちにビンビン伝わってくるんだ。そのせいで少々頭が重い」
「大丈夫なのか?」
「ああ。多分ここのところ移動続きで疲れているせいだろうな」

 黒髪術者ダークネスの力の精度も、その時の体調に左右されるところがある。
 ジュードは頭の中に入ってくる悲しみの感情を意識的に途絶した。
 その感情を浴び続けていると、頭の中が麻痺まひしてしまいそうなほどの悲しみだったからだ。

「どうする?」
「慎重に行動しよう。まずは様子見だ。当事者の居場所もハッキリ分からないしな」

 ジャスティーナにそう答えると、ジュードは頭に巻き付けた白い布帽子がしっかりと巻かれていることを確かめ、ジャスティーナと共に酒場を後にするのだった。
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