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第77話 命をかける時
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湯煙が漂う中、ブリジットが話を終えるとボルドは何も言えずに押し黙った。
百対一裁判。
情夫ボルドの処刑に対する賛否を問う法廷闘争だった。
知らないところですでに自身の処刑が取り沙汰されている。
それはボルドの予想を越える事態だった。
何を言えばいいのか分からない。
だが取り乱したり、あまりショックを受けた様子を見せてブリジットを苦しませるわけにはいかない。
「仕方のないこと……なのですよね」
「違う!」
自分でも驚くほど鋭い声でそう言うと、ブリジットは少し気持ちを落ち着かせるようにボルドの頭髪に鼻を埋める。
そして囁くような声で言った。
「おまえには何も落ち度がない。そのおまえが処刑されるなどと不当だ。アタシの父とてそうだった。殺される必要はなかったのだ。アタシは母とは違う。おまえの命をこの手で奪うことなどありえない。誰にも奪わせはしない」
ブリジットの言葉にボルドは胸の奥がじわりと熱くなる。
だが同時に冷静な受け止め方をしていた。
ブリジットの言葉はあくまでもボルドの側に立ったそれだ。
彼女がこんなに思い悩むということがどういうことか、ボルドには予測がついた。
ダニアの女たちにはボルドの処刑を望む者が少なくないのだろう。
彼女たちにとってブリジットは絶対的な女王であり、それ故にブリジットに望むのも大きい。
他の女と交わった疑惑のある情夫など、たとえそれが疑惑でしかないとしても、受け入れ難いのだろう。
自分たちの女王の権威を落としたくないのだから。
「裁判自体を行わないこともアタシの一存で出来る」
そうすればボルドの命が脅かされることはない。
だが、ブリジットが自らの情夫を守るために強権を発動して部下の民意から目を背けた、という印象を誰もが持つだろう。
そうなればブリジットへの信頼は揺らぐ。
それを取り戻すのは生半可なことではないだろう。
「それは……いけません」
ボルドの言葉にブリジットはハッと目を見開いた。
彼がハッキリと自らの意見を述べることなんて今までなかったことだ。
それは情夫としての自分の立場を弁えてのことだとブリジットにも分かっていた。
だが今ボルドは顔を上げ、ブリジットの目を見つめてハッキリ言う。
「ブリジットの権威を守るために、堂々と裁判を行うべきです」
そう言うボルドの目の奥を覗き込むようにして、ブリジットはその真意を汲み取る。
「おまえ……アタシの心配をしてくれるのか」
「当然です。それは……あなたがブリジットだからではありません。あなたが私の主人だからでもありません。あなたが……あなただからです」
その言葉にブリジットは胸に熱いものがこみ上げるのを感じ、同時にそれはある種の恐怖に変わる。
「おまえの命をかけることになるんだぞ。アタシがおまえを失うかもしれないんだぞ。それでもおまえはそう言うのか?」
こんなにも愛した男を失うかもしれない。
それはブリジットにとって未知の恐怖だった。
戦場では昂ぶる戦意を感じることはあっても恐怖を感じたことはない。
かつてあんなに強かった母が父を失うと同時に抜け殻のようになってしまった気持ちが今なら分かる。
だがボルドはそんな彼女の胸に頬をつけると静かに呟くように言った。
「ノルドの丘でアデラさんたちに救出されて丘を離れた時に思いました。あなたを失ってしまったら、私だけが生きる意味などあるのかと。だからあの時ああして戻ったんです。自分の命を粗末にする愚かな行為だと咎められても、あなたがいなければ私の人生に意味はないと、そう感じたから。だから私は自分の命をあなたのために使いたい」
「命を……使う?」
思いもよらないその言葉にブリジットは驚きの声を漏らす。
そんなブリジットから少しも目を逸らさず、ボルドは真摯な心をその眼差しに込めて言った。
「もともと奴隷として死ぬまで働かされて、誰にも顧みられることなく終えていくはずの命だったんです。それをあなたが拾って下さった。ただの情夫ですから、あなたと共に戦場に立ってこの命を張ることは出来ません。ですが、あなたの権威を守るためにこの命をかけることが出来るなら、私はあなたと共に戦いたい」
負けたら処刑が待っている裁判に臨む。
ボルドのその覚悟を感じ取り、ブリジットはしばし歯を食いしばる。
だが、ほどなくして彼女は大きく息を吐き、それから静かに告げる。
「……分かった。おまえの命。私が預かる。必ず勝つぞ。ボルド」
決然とそう言うとブリジットはボルドを抱き締める。
ボルドも彼女を抱き返した。
互いの温もりがゆっくりと不安を薄めてくれるような気がした。
百対一裁判。
情夫ボルドの処刑に対する賛否を問う法廷闘争だった。
知らないところですでに自身の処刑が取り沙汰されている。
それはボルドの予想を越える事態だった。
何を言えばいいのか分からない。
だが取り乱したり、あまりショックを受けた様子を見せてブリジットを苦しませるわけにはいかない。
「仕方のないこと……なのですよね」
「違う!」
自分でも驚くほど鋭い声でそう言うと、ブリジットは少し気持ちを落ち着かせるようにボルドの頭髪に鼻を埋める。
そして囁くような声で言った。
「おまえには何も落ち度がない。そのおまえが処刑されるなどと不当だ。アタシの父とてそうだった。殺される必要はなかったのだ。アタシは母とは違う。おまえの命をこの手で奪うことなどありえない。誰にも奪わせはしない」
ブリジットの言葉にボルドは胸の奥がじわりと熱くなる。
だが同時に冷静な受け止め方をしていた。
ブリジットの言葉はあくまでもボルドの側に立ったそれだ。
彼女がこんなに思い悩むということがどういうことか、ボルドには予測がついた。
ダニアの女たちにはボルドの処刑を望む者が少なくないのだろう。
彼女たちにとってブリジットは絶対的な女王であり、それ故にブリジットに望むのも大きい。
他の女と交わった疑惑のある情夫など、たとえそれが疑惑でしかないとしても、受け入れ難いのだろう。
自分たちの女王の権威を落としたくないのだから。
「裁判自体を行わないこともアタシの一存で出来る」
そうすればボルドの命が脅かされることはない。
だが、ブリジットが自らの情夫を守るために強権を発動して部下の民意から目を背けた、という印象を誰もが持つだろう。
そうなればブリジットへの信頼は揺らぐ。
それを取り戻すのは生半可なことではないだろう。
「それは……いけません」
ボルドの言葉にブリジットはハッと目を見開いた。
彼がハッキリと自らの意見を述べることなんて今までなかったことだ。
それは情夫としての自分の立場を弁えてのことだとブリジットにも分かっていた。
だが今ボルドは顔を上げ、ブリジットの目を見つめてハッキリ言う。
「ブリジットの権威を守るために、堂々と裁判を行うべきです」
そう言うボルドの目の奥を覗き込むようにして、ブリジットはその真意を汲み取る。
「おまえ……アタシの心配をしてくれるのか」
「当然です。それは……あなたがブリジットだからではありません。あなたが私の主人だからでもありません。あなたが……あなただからです」
その言葉にブリジットは胸に熱いものがこみ上げるのを感じ、同時にそれはある種の恐怖に変わる。
「おまえの命をかけることになるんだぞ。アタシがおまえを失うかもしれないんだぞ。それでもおまえはそう言うのか?」
こんなにも愛した男を失うかもしれない。
それはブリジットにとって未知の恐怖だった。
戦場では昂ぶる戦意を感じることはあっても恐怖を感じたことはない。
かつてあんなに強かった母が父を失うと同時に抜け殻のようになってしまった気持ちが今なら分かる。
だがボルドはそんな彼女の胸に頬をつけると静かに呟くように言った。
「ノルドの丘でアデラさんたちに救出されて丘を離れた時に思いました。あなたを失ってしまったら、私だけが生きる意味などあるのかと。だからあの時ああして戻ったんです。自分の命を粗末にする愚かな行為だと咎められても、あなたがいなければ私の人生に意味はないと、そう感じたから。だから私は自分の命をあなたのために使いたい」
「命を……使う?」
思いもよらないその言葉にブリジットは驚きの声を漏らす。
そんなブリジットから少しも目を逸らさず、ボルドは真摯な心をその眼差しに込めて言った。
「もともと奴隷として死ぬまで働かされて、誰にも顧みられることなく終えていくはずの命だったんです。それをあなたが拾って下さった。ただの情夫ですから、あなたと共に戦場に立ってこの命を張ることは出来ません。ですが、あなたの権威を守るためにこの命をかけることが出来るなら、私はあなたと共に戦いたい」
負けたら処刑が待っている裁判に臨む。
ボルドのその覚悟を感じ取り、ブリジットはしばし歯を食いしばる。
だが、ほどなくして彼女は大きく息を吐き、それから静かに告げる。
「……分かった。おまえの命。私が預かる。必ず勝つぞ。ボルド」
決然とそう言うとブリジットはボルドを抱き締める。
ボルドも彼女を抱き返した。
互いの温もりがゆっくりと不安を薄めてくれるような気がした。
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