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第78話 秘密の提案
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「呼び立てて悪いな。ユーフェミア」
執務室に参上したユーフェミアにブリジットはそう声をかけた。
ブリジットが執務で使う机の前に歩み寄って深々と一礼したユーフェミアは、机の上に置かれた書面に目を向けた。
それは昨日、ユーフェミアが百対一裁判の開廷を求めて血判を押し、ブリジットに手渡した血判状だった。
「ご決断いただきましたか?」
「ああ。百対一裁判を受けて立とう。ただし血判を押す前に条件がある」
「条件……うかがいましょう」
ブリジットは座ったまま長身のユーフェミアを見上げて言った。
「百対一裁判は伝統に則れば危急でない限りは新月の日に行われるものだったな。3日後だ」
月光は人々の気を昂ぶらせ、正常な判断力を失わせると古来より言われている。
それは迷信とも言われているが、百対一裁判では裁判に臨む者たちが少しでも冷静な気持ちでいられるよう、新月の夕方に行われる。
「その裁判当日までボルドの拘束は認めない」
「彼の逃亡防止はどのように?」
「ボルドはアタシの私室で3日間過ごさせる。部屋の前に監視でも何でもつければよかろう」
「その条件であれば百対一裁判の開廷をお認めになると。そういうことでよろしいですね?」
ユーフェミアの問いにブリジットは静かに頷いた。
「分かりました。その条件でよろしくお願いします。ところで裁判のことで一点、ブリジットとお話したいことがあります。人払いをお願いできますでしょうか」
「……アタシと2人でか? 構わないが」
ブリジットは執務室にいる小姓らに目配せをし、彼らを部屋から退室させた。
部屋にブリジットと2人きりになるとユーフェミアは即座に切り出す。
「正直、驚きました。裁判の開廷を許可されるとは」
「見くびるなよ。ユーフェミア。いつまでもおまえの教鞭で叱責されていた頃のアタシではない」
「これは失礼いたしました。ブリジット。裁判の開廷を決定する前に一つご提案があります」
「提案だと?」
訝しげな表情でブリジットはユーフェミアの真意を探ろうとするが、ユーフェミアはいつもの能面のような表情で話を続ける。
「裁判は行わず、情夫ボルドの処刑を決めていただけませんか。あなたの御一存で」
「……話が見えないな。いつから冗談を言うようになった?」
平然とした顔のユーフェミアに対し、ブリジットは明らかに顔をしかめている。
だがユーフェミアは構うことなく提案を続けた。
「ボルドを処刑したことにし、秘密裏に南方のカナリア島に放逐しましょう」
「……何だと?」
予想だにしなかったユーフェミアの話にブリジットはさすがに顔色を変えた。
そんなブリジットの反応を見ながらユーフェミアは自身の考えを口にする。
「表向きは彼を死んだことにして、カナリア島に送り込むのです」
カナリア島は南方から何百年もかけて北上してきた南蛮人たちの住む島だ。
大陸南端から船で丸一日かけて南下した海域にある絶海の孤島であり、数百人の島民たちが独立自治の自給自足生活を営んでいる。
地理的価値のない打ち捨てられた場所なので他国から攻め込まれるようなことはないが、おいそれと行くことの出来ない場所でもある。
実はダニアで許されぬ罪を犯した者たちが流罪として送り込まれる場所でもあり、過去の罪人たちが現地人と交わって生まれた子孫たちも暮らしている。
「もちろん現地にいる領事に金品を渡し、ボルドの処遇に一定の配慮をしてもらうよう話はつけます。そしてボルドの生存を知るのはブリジットとアタシを含めてごく少数の者だけとなります」
「ユーフェミア。おまえ……どういうつもりだ」
唖然として目を見開くブリジットにユーフェミアは落ち着いた口調で言った。
「我が望みはいつでも一つ。このダニアの一族の安寧と繁栄です。そのためにはブリジットに心身共に健やかでいていただかなければなりません」
そう言うとユーフェミアはその目に年長者としての厳かな光を浮かべた。
「ブリジット。あなたはやはり先代の娘ですね。その胸の中に深い情愛の心を宿しておられる。あなたにとってボルドはすでにただの情夫ではない。彼を失えばあなたは先代のように心を失ってしまうかもしれません。執務も軍務も行えなくなるほどに。それでは困るのです。ブリジットは常に強く正しい為政者であっていただかなければなりません」
ユーフェミアは椅子から立ち上がり、机の上に置かれた血判状を手に取った。
「ブリジットが裁判で争うことなくケジメをつけ、自身の権限でボルドを処刑する。そうすれば一族への面目は保たれます。その一方でボルドは生きてこの世に存在する。もちろん、カナリア島にいる彼にあなたが会いに行くことは叶いません。ただ、このユーフェミアにお任せいただければ、彼を島から連れ出して大陸のどこかで秘密裏に逢瀬をすることくらいは出来ましょう。年に一度ほどになりますが」
淡々とした口調でそう言うとユーフェミアは口を閉じた。
言うべきことは言った。
後はブリジットの反応を待つのみ、とばかりに。
だがブリジットはほんのわずかに呆けたような顔を見せると、その口元を歪めて笑った。
「ククク……ハッハッハ。なるほどな。それがおまえの謀というわけか。良い案だとでも言いたげだな。ユーフェミア」
「……お気に召しませんでしたか?」
「今しがた言ったはずだ。今のアタシはおまえに教えを受けていた幼き日のライラではない。このダニア本家を統べる7代目ブリジットだ。アタシの生きる道はアタシが決める。おまえの描いた地図の上を教えられた通りに動くつもりはない」
そう言うとブリジットは机の中から小刀を取り出し、その切っ先で自分の親指を切る。
そして血に染まった親指を決然と血判状に押し付けた。
「もうすでに我が心は決まっている。せっかく賢しらに頭を捻って良案を講じてくれたようだが、すべてご破算だったな。ユーフェミア」
「……あなたの御心を見誤っていたようです。このユーフェミアの失態ですね。お詫びいたしましょう。百対一裁判の開廷は3日後。どのような結果になられようとも、どうかお恨みなされぬよう」
執務室に参上したユーフェミアにブリジットはそう声をかけた。
ブリジットが執務で使う机の前に歩み寄って深々と一礼したユーフェミアは、机の上に置かれた書面に目を向けた。
それは昨日、ユーフェミアが百対一裁判の開廷を求めて血判を押し、ブリジットに手渡した血判状だった。
「ご決断いただきましたか?」
「ああ。百対一裁判を受けて立とう。ただし血判を押す前に条件がある」
「条件……うかがいましょう」
ブリジットは座ったまま長身のユーフェミアを見上げて言った。
「百対一裁判は伝統に則れば危急でない限りは新月の日に行われるものだったな。3日後だ」
月光は人々の気を昂ぶらせ、正常な判断力を失わせると古来より言われている。
それは迷信とも言われているが、百対一裁判では裁判に臨む者たちが少しでも冷静な気持ちでいられるよう、新月の夕方に行われる。
「その裁判当日までボルドの拘束は認めない」
「彼の逃亡防止はどのように?」
「ボルドはアタシの私室で3日間過ごさせる。部屋の前に監視でも何でもつければよかろう」
「その条件であれば百対一裁判の開廷をお認めになると。そういうことでよろしいですね?」
ユーフェミアの問いにブリジットは静かに頷いた。
「分かりました。その条件でよろしくお願いします。ところで裁判のことで一点、ブリジットとお話したいことがあります。人払いをお願いできますでしょうか」
「……アタシと2人でか? 構わないが」
ブリジットは執務室にいる小姓らに目配せをし、彼らを部屋から退室させた。
部屋にブリジットと2人きりになるとユーフェミアは即座に切り出す。
「正直、驚きました。裁判の開廷を許可されるとは」
「見くびるなよ。ユーフェミア。いつまでもおまえの教鞭で叱責されていた頃のアタシではない」
「これは失礼いたしました。ブリジット。裁判の開廷を決定する前に一つご提案があります」
「提案だと?」
訝しげな表情でブリジットはユーフェミアの真意を探ろうとするが、ユーフェミアはいつもの能面のような表情で話を続ける。
「裁判は行わず、情夫ボルドの処刑を決めていただけませんか。あなたの御一存で」
「……話が見えないな。いつから冗談を言うようになった?」
平然とした顔のユーフェミアに対し、ブリジットは明らかに顔をしかめている。
だがユーフェミアは構うことなく提案を続けた。
「ボルドを処刑したことにし、秘密裏に南方のカナリア島に放逐しましょう」
「……何だと?」
予想だにしなかったユーフェミアの話にブリジットはさすがに顔色を変えた。
そんなブリジットの反応を見ながらユーフェミアは自身の考えを口にする。
「表向きは彼を死んだことにして、カナリア島に送り込むのです」
カナリア島は南方から何百年もかけて北上してきた南蛮人たちの住む島だ。
大陸南端から船で丸一日かけて南下した海域にある絶海の孤島であり、数百人の島民たちが独立自治の自給自足生活を営んでいる。
地理的価値のない打ち捨てられた場所なので他国から攻め込まれるようなことはないが、おいそれと行くことの出来ない場所でもある。
実はダニアで許されぬ罪を犯した者たちが流罪として送り込まれる場所でもあり、過去の罪人たちが現地人と交わって生まれた子孫たちも暮らしている。
「もちろん現地にいる領事に金品を渡し、ボルドの処遇に一定の配慮をしてもらうよう話はつけます。そしてボルドの生存を知るのはブリジットとアタシを含めてごく少数の者だけとなります」
「ユーフェミア。おまえ……どういうつもりだ」
唖然として目を見開くブリジットにユーフェミアは落ち着いた口調で言った。
「我が望みはいつでも一つ。このダニアの一族の安寧と繁栄です。そのためにはブリジットに心身共に健やかでいていただかなければなりません」
そう言うとユーフェミアはその目に年長者としての厳かな光を浮かべた。
「ブリジット。あなたはやはり先代の娘ですね。その胸の中に深い情愛の心を宿しておられる。あなたにとってボルドはすでにただの情夫ではない。彼を失えばあなたは先代のように心を失ってしまうかもしれません。執務も軍務も行えなくなるほどに。それでは困るのです。ブリジットは常に強く正しい為政者であっていただかなければなりません」
ユーフェミアは椅子から立ち上がり、机の上に置かれた血判状を手に取った。
「ブリジットが裁判で争うことなくケジメをつけ、自身の権限でボルドを処刑する。そうすれば一族への面目は保たれます。その一方でボルドは生きてこの世に存在する。もちろん、カナリア島にいる彼にあなたが会いに行くことは叶いません。ただ、このユーフェミアにお任せいただければ、彼を島から連れ出して大陸のどこかで秘密裏に逢瀬をすることくらいは出来ましょう。年に一度ほどになりますが」
淡々とした口調でそう言うとユーフェミアは口を閉じた。
言うべきことは言った。
後はブリジットの反応を待つのみ、とばかりに。
だがブリジットはほんのわずかに呆けたような顔を見せると、その口元を歪めて笑った。
「ククク……ハッハッハ。なるほどな。それがおまえの謀というわけか。良い案だとでも言いたげだな。ユーフェミア」
「……お気に召しませんでしたか?」
「今しがた言ったはずだ。今のアタシはおまえに教えを受けていた幼き日のライラではない。このダニア本家を統べる7代目ブリジットだ。アタシの生きる道はアタシが決める。おまえの描いた地図の上を教えられた通りに動くつもりはない」
そう言うとブリジットは机の中から小刀を取り出し、その切っ先で自分の親指を切る。
そして血に染まった親指を決然と血判状に押し付けた。
「もうすでに我が心は決まっている。せっかく賢しらに頭を捻って良案を講じてくれたようだが、すべてご破算だったな。ユーフェミア」
「……あなたの御心を見誤っていたようです。このユーフェミアの失態ですね。お詫びいたしましょう。百対一裁判の開廷は3日後。どのような結果になられようとも、どうかお恨みなされぬよう」
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