90 / 101
第89話 それぞれの胸の内
しおりを挟む
ブリジットにとっては悪夢のような道行きだった。
今、彼女は剣を腰に下げ、一族の者たちを率いて山頂を目指している。
この世で一番大事な愛する男をその剣で……処刑するために。
ボルドに勝利を誓って望んだ裁判は敗訴に終わった。
情夫ボルドの処刑が決まったということだ。
それはブリジットにも覆せない。
投票による判決が確定した時、ブリジットは椅子に座ったまま、しばし呆然と動けなくなった。
だが女王として毅然とした態度でいなければならないと幼い頃より躾けられてきた彼女は、ほとんど無意識ですぐに動き出した。
取り乱した姿を周囲に見せるわけにはいかない。
絶望に座り込んでしまいそうなのをどうにか堪えられたのは、そうして体に刻み込まれた本能があったからだ。
だが、ブリジットの胸の内は嵐が吹き荒れ、裁判の行われた大会議場からここまでどうやって歩いて来たのかさえ記憶がおぼろげだった。
もちろんこの状況をまったく想定していなかったわけではない。
裁判に負ける恐れも十分に考えていた。
だが、一族の者たちがそこまでボルドの処刑を望んでいるのかと思うと、ブリジットは暗澹たる気持ちになった。
これまでずっとダニアを守るため、強く正しい女王であろうと努めてきた。
だが、その努力は愛する男を処刑してでも続けていかなければならないものなのだ。
あと残り30年足らずしか生きられない自分の人生はそうして幕を閉じることになる。
定められた人生に絶望していた幼い頃の気持ちが甦ってきた。
(だが……むざむざとボルドを殺させはしない)
最悪の事態に備えてブリジットは秘密裏に準備していたことがある。
奥の里に出入りする馴染みの商人に傭兵を依頼し、処刑前に天命の頂からボルドを連れ去るよう手配していたのだ。
ボルドの命を救うための苦肉の策だった。
傭兵部隊はすでに周囲に潜んでいるはずだ。
裁判が始まる前までにベラには言っておいた。
仮にボルドの処刑が決まったとしても決して手を出さないようにと。
もし裁判に負けても、ボルドを救い出すための最後の手は残してあると伝えた。
そうしなければベラはブリジットのためにボルドを助けようとしてしまうだろう。
ベラに反逆者の汚名を着せるわけにはいかない。
そんなことをすれば彼女は家族ともども一族に居場所を失ってしまう。
そしてそんなベラ以上に無茶をしそうなのがソニアだ。
幸いにしてソニアは里で再び療養するために置いてきた。
ソニアは無念の表情だったが、彼女は本当ならまだ寝ていなくてはいけない容体だ。
ブリジットがしっかり言い含めてソニアに山登りを断念させた。
処刑が決まったボルドを裏工作で救い出す。
それは百対一裁判の権威を失墜させる暴挙であり、一族に対する背信だ。
その責任は全て自分1人で負うとブリジットは決めている。
悄然と歩を進めながら、それでもブリジットは胸の内で最後までボルドのことをあきらめていなかった。
そんなブリジットを少し後方から見つめながらユーフェミアは山道を登り続ける。
裁判は決した。
予想外の証人登場で少々驚かされたが、ユーフェミアの思惑通りボルドの処刑が決定した。
だが、ブリジットがこのままおとなしくボルドの処刑を受け入れると思うほどユーフェミアは楽観的ではない。
(おそらく何かをしてくるはずだ)
山頂へと向かうこの行列にはユーフェミアの命令を受けた見張りが数多く含まれている。
ブリジットの右腕であるベラはもちろんのこと、同行しているアデラやナタリー・ナタリアといったブリジットに近しい者たちは、その動向を注視せねばならない。
彼女たちがブリジットのためにボルドを救出しようとするかもしれないからだ。
だが、ユーフェミアはこのダニアにおける厳粛な掟の番人を自認している。
ボルドの処刑は法で決められたことだ。
それを邪魔させるわけにはいかない。
ユーフェミアは細心の用心深さで、里に残ったソニアにも念のため見張りをつけてきた。
(まあ、どちらにせよあの体ではここまで登って来られないだろうがな)
この処刑が無事に終わったら、ブリジットは少し休ませなくてはならないだろう。
心身を癒やす時間が必要だ。
しばらくは次の情夫どころではないかもしれないが、それでも公国との繋がりのために新たな情夫との縁談をまとめなくてはならない。
大変な仕事だ。
ユーフェミアは自分がブリジットから強く恨まれることは覚悟していた。
(まあ、昔から嫌われていたがな)
ユーフェミアはそう自嘲する。
だが、ダニアを守るためなら嫌われ者にもなろう。
彼女にとって大切なのはこの一族が子孫に脈々と受け継がれていくことだ。
そしてユーフェミアは信じていた。
今回の件で心に傷を負おうとも、ブリジットは必ず立ち上がり一族のために強い女王であろうとすることを。
それぞれの思惑を胸に一行が足を進めると、やがて山頂が見えてきた。
日が暮れ落ちた天命の頂には、各所に煌々と松明が焚かれている。
その最奥部に設けられた処刑台には、椅子に拘束されたボルドの姿があった。
この夜、哀れな情夫は運命の波に飲み込まれ、その命を終えようとしていた。
今、彼女は剣を腰に下げ、一族の者たちを率いて山頂を目指している。
この世で一番大事な愛する男をその剣で……処刑するために。
ボルドに勝利を誓って望んだ裁判は敗訴に終わった。
情夫ボルドの処刑が決まったということだ。
それはブリジットにも覆せない。
投票による判決が確定した時、ブリジットは椅子に座ったまま、しばし呆然と動けなくなった。
だが女王として毅然とした態度でいなければならないと幼い頃より躾けられてきた彼女は、ほとんど無意識ですぐに動き出した。
取り乱した姿を周囲に見せるわけにはいかない。
絶望に座り込んでしまいそうなのをどうにか堪えられたのは、そうして体に刻み込まれた本能があったからだ。
だが、ブリジットの胸の内は嵐が吹き荒れ、裁判の行われた大会議場からここまでどうやって歩いて来たのかさえ記憶がおぼろげだった。
もちろんこの状況をまったく想定していなかったわけではない。
裁判に負ける恐れも十分に考えていた。
だが、一族の者たちがそこまでボルドの処刑を望んでいるのかと思うと、ブリジットは暗澹たる気持ちになった。
これまでずっとダニアを守るため、強く正しい女王であろうと努めてきた。
だが、その努力は愛する男を処刑してでも続けていかなければならないものなのだ。
あと残り30年足らずしか生きられない自分の人生はそうして幕を閉じることになる。
定められた人生に絶望していた幼い頃の気持ちが甦ってきた。
(だが……むざむざとボルドを殺させはしない)
最悪の事態に備えてブリジットは秘密裏に準備していたことがある。
奥の里に出入りする馴染みの商人に傭兵を依頼し、処刑前に天命の頂からボルドを連れ去るよう手配していたのだ。
ボルドの命を救うための苦肉の策だった。
傭兵部隊はすでに周囲に潜んでいるはずだ。
裁判が始まる前までにベラには言っておいた。
仮にボルドの処刑が決まったとしても決して手を出さないようにと。
もし裁判に負けても、ボルドを救い出すための最後の手は残してあると伝えた。
そうしなければベラはブリジットのためにボルドを助けようとしてしまうだろう。
ベラに反逆者の汚名を着せるわけにはいかない。
そんなことをすれば彼女は家族ともども一族に居場所を失ってしまう。
そしてそんなベラ以上に無茶をしそうなのがソニアだ。
幸いにしてソニアは里で再び療養するために置いてきた。
ソニアは無念の表情だったが、彼女は本当ならまだ寝ていなくてはいけない容体だ。
ブリジットがしっかり言い含めてソニアに山登りを断念させた。
処刑が決まったボルドを裏工作で救い出す。
それは百対一裁判の権威を失墜させる暴挙であり、一族に対する背信だ。
その責任は全て自分1人で負うとブリジットは決めている。
悄然と歩を進めながら、それでもブリジットは胸の内で最後までボルドのことをあきらめていなかった。
そんなブリジットを少し後方から見つめながらユーフェミアは山道を登り続ける。
裁判は決した。
予想外の証人登場で少々驚かされたが、ユーフェミアの思惑通りボルドの処刑が決定した。
だが、ブリジットがこのままおとなしくボルドの処刑を受け入れると思うほどユーフェミアは楽観的ではない。
(おそらく何かをしてくるはずだ)
山頂へと向かうこの行列にはユーフェミアの命令を受けた見張りが数多く含まれている。
ブリジットの右腕であるベラはもちろんのこと、同行しているアデラやナタリー・ナタリアといったブリジットに近しい者たちは、その動向を注視せねばならない。
彼女たちがブリジットのためにボルドを救出しようとするかもしれないからだ。
だが、ユーフェミアはこのダニアにおける厳粛な掟の番人を自認している。
ボルドの処刑は法で決められたことだ。
それを邪魔させるわけにはいかない。
ユーフェミアは細心の用心深さで、里に残ったソニアにも念のため見張りをつけてきた。
(まあ、どちらにせよあの体ではここまで登って来られないだろうがな)
この処刑が無事に終わったら、ブリジットは少し休ませなくてはならないだろう。
心身を癒やす時間が必要だ。
しばらくは次の情夫どころではないかもしれないが、それでも公国との繋がりのために新たな情夫との縁談をまとめなくてはならない。
大変な仕事だ。
ユーフェミアは自分がブリジットから強く恨まれることは覚悟していた。
(まあ、昔から嫌われていたがな)
ユーフェミアはそう自嘲する。
だが、ダニアを守るためなら嫌われ者にもなろう。
彼女にとって大切なのはこの一族が子孫に脈々と受け継がれていくことだ。
そしてユーフェミアは信じていた。
今回の件で心に傷を負おうとも、ブリジットは必ず立ち上がり一族のために強い女王であろうとすることを。
それぞれの思惑を胸に一行が足を進めると、やがて山頂が見えてきた。
日が暮れ落ちた天命の頂には、各所に煌々と松明が焚かれている。
その最奥部に設けられた処刑台には、椅子に拘束されたボルドの姿があった。
この夜、哀れな情夫は運命の波に飲み込まれ、その命を終えようとしていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
月の綺麗な夜に終わりゆく君と
石原唯人
恋愛
ある日、十七才の春に僕は病院で色のない少女と出会う。
それは、この場所で出会わなければ一生関わる事のなかった色のない彼女とモノクロな僕の
秘密の交流。
彼女との交流によって諦観でモノクロだった僕の世界は少しずつ色づき始める。
十七歳、大人でも子どもでもないトクベツな時間。
日常の無い二人は限られて時間の中で諦めていた当たり前の青春へと手を伸ばす。
不器用な僕らの織り成す物語。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
還暦妻と若い彼 継承される情熱
MisakiNonagase
恋愛
61歳の睦美と、20歳の悠人。ライブ会場で出会った二人の「推し活」は、いつしか世代を超えた秘め事へと変わっていった。合鍵を使い、悠人の部屋で彼を待つ睦美の幸福。
しかし、その幸せの裏側で、娘の愛美もまた、同じ男の体温に触れ始めていた。
母譲りの仕草を見せる娘に、母の面影を重ねる青年。
同じ男を共有しているとは知らぬまま、母娘は「女」としての業(さが)を露呈していく。甘いお土産が繋ぐ、美しくも醜い三角関係の幕が上がる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる