蛮族女王の娘《プリンセス》 第3部【王国編】(完結編)

枕崎 純之助

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第222話 女たちの葛藤

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 ネルはベッドに寝転がり、投矢ダーツを手に握る。
 殺風景な彼女の部屋には壁の至る所に投矢ダーツ用の的が取り付けられ、そこには無数の投矢ダーツが突き立っていた。
 部屋にいる時、彼女は手持ち無沙汰ぶさたなぐさめるために、この投矢ダーツで遊ぶのだ。

 もちろん投矢ダーツであっても的に命中させるのは彼女にとって容易たやすいことだ。
 今も適当に投げた矢が3メートル先の的の中心に易々と突き立った。
 遊びに過ぎないが、こうした日々の動作が身に染み付き、彼女の的中能力は高い水準で保たれているのだ。

「もうすっかり元通りだな」

 アーシュラ隊長旗下きかのエミル捜索そうさく隊にいた時にネルは一度その射撃の自信を粉々にされている。
 隊長のアーシュラによって。
 しかしその後の基礎からの再訓練によって再びネルは腕と自信を取り戻したのだ。

 しかも以前は天才的な感覚だけで放っていた弓矢の技術に、より明確な根拠を得ていた。
 腕の角度や矢を放つタイミングなどを頭で考えて制御できるようになったのだ。
 こうなればその日の調子の良し悪しに左右されることなく、矢を命中させることが出来るだろう。

「くそっ。憎らしい隊長だぜ」

 あのアーシュラとの一件を乗り越えて、ネルは弓矢の技術をより確かなものとすることが出来たのだ。
 それはおそらくアーシュラの思惑通りだろう。
 腹立たしくも思うが、それによってこうした弓矢の腕が上がったのならば、あの出来事があって良かったのだと思うほかない。
 そのおかげで今、ネルは弓兵隊の隊長であるナタリーと副隊長のナタリアから集団任務への復帰を持ち掛けられている。

 以前は部隊の他の隊員たちとめ事ばかり起こす問題児であったために部隊の任務からは外され、単独任務の閑職かんしょくに追いやられていた。
 それを考えれば目覚ましい復活劇と言える。
 だが、ネルの顔に喜びはなかった。

「……つまんねえ」

 弓兵隊で実績を積んで出世し、ゆくゆくは弓兵隊の隊長になる。
 それがネルにとっての出世の道だ。
 もちろんダニアで一番の弓の使い手になるという意気込みも自信もある。

 だが、隊長になって部下たちの面倒を見、軍事会議に出席して他の部隊の隊長らと意見を交わす。
 そんな自分の姿を想像してもネルの心はおどらなかった。
 むしろあの任務で敵の船に乗り込んだ時の興奮こそが自分にとっての喜びに思える。

「地位、名誉めいよ、金……別にどうってことはねえな。そんなもんは」

 高い地位に駆け上がり、誰からも一目置かれ、ひと財産を築く。
 だがそれは同時に他人や組織など色々なことに縛られることでもあり、そんな生活をしたいとは到底思えなかった。
 それに酒浸りでろくでなしの親になじられなぐられて育ったせいか、自分の子供を産みたいという欲もない。

「アタシは何が欲しいんだろうな」

 そうつぶやき、ふいにネルはプリシラのことを思い返した。
 女王ブリジットの娘として生まれた彼女は生まれながらに多くのものを持っている。
 地位、経済的に恵まれた豊かな暮らし、美貌びぼう、そして人並み外れた心身の強さ。
 だが、多くを持っているということは背負うものも多くなるということだと今のネルなら分かる。

「あいつがガキのくせに堂々としてるのは、そういう重圧に負けずに生きて来たから……か」

 年下のくせに堂々としていて、ネルの悪態にも動じることなく言い返してきた。
 ネルは自分が周囲からうとまれる嫌われ者だという自覚はある。
 それでもプリシラは自分を避けたりせず、まっすぐにぶつかってきた。
 プリシラには気を失うほど強くなぐられたり腕を締め上げられたりしたが、それでもプリシラへの憎しみの感情は不思議といてこなかった。

「くそっ……あのガキめ」

 ネルは起き上がると弓を手に取った。
 手に馴染なじんだその弓のつるを指でなぞる。
 そして壁に立てかけた矢筒から一本の矢を取り出し、弓につがえた。  

 目を閉じてつるを引きしぼると、その矢は世界のどこまでも飛んで行きそうな気がしてくる。
 ネルは大きく、そしてゆっくりと息を吐くと目を開けた。 
 静かにおのれの心が定まって行くのを感じながら、ネルは納得の表情を浮かべる。

「フンッ。アタシはこれだけあれば何もいらねえんじゃねえか」

 そう言うとネルは矢を矢筒に仕舞い込み、身支度みじたくをして部屋を出た。
 二度とこの部屋に戻らぬと決意して。

 ☆☆☆☆☆☆

 エステルは悄然しょうぜんたる表情で足取りも重く学舎に戻った。
 エリカとハリエットはオリアーナをともない、じきにこの街を出るだろう。
 それは後でとてつもない叱責しっせきを受けるような蛮行ばんこうだ。

「みんな……馬鹿です。大馬鹿です。新しい生活があるのに。栄誉えいよある仕事があるのに」

 そうらすエステルの顔は曇っていた。
 歩き慣れた学舎の廊下ろうかうつろろな思いを抱えながら歩く。
 この学舎で必死に勉学にはげんで来た。
 他の全てを捨ててでもこの学舎で上り詰めることに必死になって生きて来たのだ。
 ここはエステルにとって人生の全てが詰まっている場所と言ってもいい。

 だというのに今、ここにいることが間違いのように思えて仕方なかった。
 自分のいるべき場所はここだと何度自分に言い聞かせても、エステルは胸のざわつきを抑えられずにいる。
 それから彼女は自室に戻り、勉学にいそしんだ自分の机を見やった。
 眠気と戦い、分厚い本をめくりながら筆を握って必死にかじりついてきた机だ。

「これを捨てられるの? アタシは今までのアタシを捨てるの?」

 それは簡単なことではなかった。
 必死の努力の末に今の彼女があるからだ。
 だが、あの任務が……初めて外の世界を知り、仲間たちとともに道なき道を進んだあの旅が、エステルの中の何かを大きく変えてしまった。
 もう彼女はおのれの身に起きた変化から目をらすことは出来ない。

「……くっ」

 エステルはくちびるみしめ部屋に置かれた姿見を見つめる。
 鏡面きょうめんに映る彼女は、栄光のあかしである絹ごしらえの制服を身に着けていた。
 この学舎に入学できる、選ばれたごく一部の者だけが身に着けられるほまれ高き学徒服だ。
 念願だったこの服に初めてそでを通した日の感動は今も忘れていない。

 だが、それでも今、彼女の頭に浮かぶのは友の顔だ。
 敵の手に捕らわれた弟を救うためにたった1人で困難な旅に出た友の顔だ。
 つい先刻、ここを去る前に見せたプリシラの少しだけ心細そうな笑顔が脳裏のうりに焼き付いて離れない。
 エステルは大きく息を吐くと、ふところから書状を取り出した。

「申し訳ございません……ウィレミナ議長」 

 そう言うとエステルは十刃血盟長であるウィレミナから届いた書状を開いて机に置いた。
 几帳面きちょうめんに書かれたウィレミナの直筆の文面にエステルは申し訳なさを感じた。
 だが栄光へのけ橋となるその書状を捨ててでも、自分にはやるべきことはあるのだ。
 そして絹ごしらえの学徒服を脱ぎ、それを椅子いすにかける。
 勉学のためにしりが痛くなるほど座り続けたその椅子いすに。

「馬鹿なのは……アタシもだ」

 そう言うとエステルはかがみに映る自分の顔を見た。
 栄光の学徒服を脱ぎ捨てた自分の顔は、存外にスッキリとした表情を浮かべている。
 それから彼女は椅子いすに腰掛け、筆を手に取る。
 勉学のためじゃない。
 考えなしに街を出ていこうとしている仲間たちのためだった。
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