蛮族女王の娘《プリンセス》 第3部【王国編】(完結編)

枕崎 純之助

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第254話 エミルの変調

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 黒い薄煙うすけむりが天空ろうに満ちていく。
 笑みを浮かべるシャクナゲや息を飲むヴィンスらが見守る中、ベッドで眠っていたはずのエミルがいきなり大きく跳ね起きたのだ。

「ガアッ!」

 エミルは頭が天井てんじょうにぶつかるのではないかと思うほど高く跳躍ちょうやくし、床に着地する。
 幼い少年の突然の変貌へんぼうにヴィンスや背後の白髪男2人も驚愕きょうがくの表情を浮かべた。
 そんな中でシャクナゲだけが笑みを絶やさない。

「お目覚めね。【悪夢ナイトメア】はいかがかしら?」

 そう言うとシャクナゲは黒い香炉こうろから出る黒いけむりをエミルの方へフッと吹き付ける。
 それを見たエミルはけもののようなうなり声を上げた。

「グガァァァァ!」

 そしてエミルは自分が寝ていたベッドを片手で簡単にひっくり返してしまう。
 大人でさえ2人がかりで運ぶようなベッドだ。
 次にエミルは室内に置かれた机に拳を叩き落とした。

「ウガウッ!」

 すると木の机の天板が真っ二つに割れてしまう。
 子供の手による所業とは思えぬその破壊力に、男たちは息を飲んだ。
 エミルの幼い体の筋肉が異様に盛り上がっている。
 その様子にシャクナゲは満足げな笑みを浮かべた。
 
「すばらしい力だわ。さすがダニアのブリジットの血を引いているだけあって、きたえればドロノキ以上の戦士になってくれそう」

 そう言うシャクナゲの声に気付いたのか、エミルは鉄格子てつごうしに向かって突進してきた。

「うわっ!」

 シャクナゲの背後で思わずヴィンスが声を上げる。
 だがシャクナゲは平然としていた。
 エミルは鉄格子てつごうしに取り付くと、その隙間すきまから手を伸ばしてシャクナゲの体をつかもうとする。
 
「ウウウッ! ウアアアアッ!」

 人の言葉をしゃべらず、まるでけもののような様子のエミルに、ヴィンスは嫌悪感に顔をしかめた。
 エミルはその手がシャクナゲに届かないと分かると、鉄格子てつごうしに手をかけてそれをじ曲げようと力を込める。
 その両腕の筋肉がさらに異様にふくれ上がった。
 そしてわずかに鉄格子てつごうしがギギギと音を立て、ヴィンスらは驚愕きょうがく瞠目どうもくする。

「ば、馬鹿な!」
「はい。そこまで」

 シャクナゲは落ち着き払った態度で【悪夢《ナイトメア》の蓋《ふた》を閉じて床に置き、代わりに【白昼夢デイドリーム】の香炉こうろを拾い上げてふたを開く。
 すると再び白いけむりあふれ出し、それをシャクナゲはエミルに向けて吹きかけた。
 途端とたんにエミルはガクッと体の力を失い、その場にひざからくずれ落ちた。
 鉄格子てつごうしにもたれかかるようにして意識を失うエミルを見てシャクナゲはフッと微笑みをを浮かべる。
 その背後にいるヴィンスは青ざめた顔で大きく息をついた。

「ふぅ。これでは制御不能のけものも同然なのでは?」
「戦力化するにはまだまだね。ドロノキのようにいい子に育てなくちゃ」

 そう言いつつもシャクナゲは余裕の表情でヴィンスに言った。

「まあ、いくらでもやりようはあるわ。私に任せてちょうだい。それよりあなたたち、エミル君が眠っている間に壊れた机を新しい物に替えておいて。他の人が見に来たら変に思われるから。しばらくはここで夜中の実験をするから、いつでも新しい家具に取り換えられるように用意しておいてね」

 シャクナゲの命令を受けて白髪の若い男2人は一礼し、すぐに部屋を出ていく。
 残ったヴィンスは鉄格子てつごうしにもたれて眠るエミルを見下ろしてその目に懸念けねんの色をにじませた。

「このことはエミル本人は覚えていないのですか? 昼間に騒ぎ出しはしないでしょうか」

 ヴィンスの懸念けねんはもっともだった。
 シャクナゲに何かをされたとエミルが騒ぎ出せばマズイことになる。
 
「大丈夫。これは睡眠というより意識の途絶だから。気を失っている間のことを覚えている人はいないでしょ?」
「ええ。しかしシャクナゲ様。くれぐれも慎重になさって下さい。王妃おうひ殿下が色々と怪しまれていると聞いております」
「ええ。分かっているわ。ジェラルディーン様の嫉妬しっとの視線がいつも痛いくらいに突き刺さるから。気を付けておくわね」

 そう言いながらもシャクナゲはその顔に狡猾こうかつな笑みを絶やさず浮かべているのだった。

 ☆☆☆☆☆☆ 

 真夜中の王国領。
 王国兵らの警備の厳しい国境線を越えて山を下った先の森の中を5人の赤毛の女たちが歩き続けていた。
 そこまで来ると王国兵らの警備の姿もほとんどない。

「ふぅ。やっと王国かよ。入るのに時間かかり過ぎだろ」

 先頭を行くネルはブツブツと文句を言いながら足早に歩き、そんな彼女の頭をハリエットが後ろからバシッと叩いた。

「イッテェ! 何すんだよ!」
「エステルが苦労してくれたから無事に王国領に入れたんでしょ。文句言わない」

 不満そうに声を荒げるネルにハリエットはピシャリとそう言った。
 公国と王国の国境地帯で赤毛の女たちは足止めを食っていたのだ。
 国境線を警備する王国兵の数がかなり多かったためだ。
 当然のことだった。

 そこでエステルは丸2日をかけて王国兵らの動きと警備範囲はんいをこっそりと見て回った。
 その地域の国境線では6つの分隊が交代しながら3つの尾根を巡回じゅんかい警備していた。
 そしてエステルは警備が手薄となる時間と場所を割り出して、そのすきを突き、仲間たちをひきいて王国兵らに見つかることなく見事に王国への越境を果たしたのだ。

「見回りは全員でやったろ。エステルだけが苦労したわけじゃない」
「頭使うのはエステルに任せっきりでしょ。あんたも少しは彼女に感謝しなさいよ。ネル」
「チッ。うっせえなぁ。おいエステル。おまえのガリ勉も役に立つ時があるんだな」

 背後を振り返ってそう言うネルに、最後尾のエステルはフンッと鼻を鳴らした。

「あなたが野山で猿みたいに駆け回って土とほこりにまみれていた時も、こちらは必死に勉強して知識とインクにまみれていたのですから当然です」

 いつもの調子が戻ってきたエステルに仲間たちは思わず吹き出す様に笑った。
 ネルだけが苛立いらだって顔を引きつらせていたが。

「てめえ! 自慢の頭をぶんなぐって、せっかく貯め込んだ知識とやらを綺麗きれいさっぱり忘れさせてやろうか!」
「ちょっと。静かにしなさいよ。ネル。せっかくここまで来たのに王国兵に見つかるでしょ」

 彼女たちは終始この調子で祖国ダニアからここまで進んできたが、いよいよ本格的に敵地に踏み込んだことで皆、内心では緊張を抱えていた。

「プリシラは今、どの辺りにいるんだろう」

 そう言うエリカのとなりでオリアーナも心配そうに表情を曇らせる。
 そんな2人を元気付けるようにハリエットは努めて明るい口調で言った。

「大丈夫よ。あの子は絶対に王都に辿たどり着くと思う。でも、さすがに王都では1人じゃ困るだろうから、アタシ達が駆けつけて力になってあげよう。あの子、きっとビックリするわよ。あ、あなたたち……何でここに? とか言って」

 プリシラの口ぶりを真似まねしながら、おどけてそう言うハリエットに皆が思わず顔をほころばせる。
 ただ1人ネルだけは先頭で憮然ぶぜんとしながら言った。

「ケッ。浮かれてんじゃねえよ。プリシラの奴、今頃とっ捕まってるかもしれねえぞ。アタシらだって王都に着く前に王国兵どもに見つかって全員牢獄ろうごく送りかもな」
「ネル。せっかく盛り上がってるのに水を差すようなこと言わないでよね」
「そうならねえようにせいぜい気を引き締めろって言ってんだよ。つまんねえだろ。そんなことになったら」

 ネルは面白くなさそうにそう言いながら、誰よりも先頭を足早に進んでいくのだった。
 プリシラが向かっているであろう王都に向かって。
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