月に哭く竜

神狩れい。

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第一話 沈まぬ月の日に

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 王都ティラスは眠っていた。
 石造りの家々は影のように並び、細い路地には灯り一つなく、ただ遠くに鐘塔の針だけが時を刻んでいた。

 空には、月。
 ふくよかに膨らんだ銀の皿のようなその月は、奇妙な程に明るく、まるで夜空に空いた傷口のように、世界を白く照らしていた。

 その光の下、少女は夢を見ていた。

 ──暗い山の頂。風が吹き荒び、木々は鳴き、地は凍てついていた。
 その中央。巨大な漆黒が一つ。
 それは、竜だった。
 煤けた竜の鱗、裂け目のような黄金の瞳。
 堂々たる翼は地を覆い、尾は山の端にまで伸びていた。

 竜は静かに、月を見上げていた。
 その顔に表情はなかった。瞳に映すものも、否。

 やがて竜は、静寂を切り裂くように、低く苦しげに哭いた。
 その声は風となって谷を駆け、森を震わせ、遠い街の鐘塔を揺らした。

 ──ぽたり、と。
 竜の目から一雫の涙が落ちた。
 それは、地に触れることなく、風にとけ、空へと消えていく。

 その時、少女は感じた。

 この竜は、泣いている。

 ただ、それだけの夢だった。
 しかし、目覚めた瞬間──全てが変わっていた。

   ◇

「月が……沈んでない?」

 ティアは小さく呟いた。
 窓の外に広がる景色は、明け方にしてはあまりにも暗く、そしてそこにはまだ満月が残っていた。

「え……朝、なのに……」

 彼女は眠い目を擦りながら外にでた。
 王都の広場には既に人が集まり始めていて、皆一様に空を見上げ、ざわめいていた。

「昨日の夜から月がずっと沈まない」
「不気味な、満月だ…」
「不吉だ、不吉すぎる……!」

 人々は沈まぬ月に戸惑い、恐れていた。
 だが、ティアだけは何かが心の奥でピタリと噛み合う音を聞いた。

「やっぱり……夢じゃないんだ。あの夢は、本当に…」

 彼女は自分の記憶の中から、ある古文書の一節を思い出していた。

『月に哭く竜、それは世界の終わりの徴なり。』
『その涙、空に届きて光を濁らせ、人の世に影をもたらす。』

 それは一度も正しく解読されたことの無い、失われた神話だった。


 ティア・ファフニーヴ。
 王都にある古書店〈夕暮れの頁〉で暮らす齢十五の少女。
 生まれながらにして、他人には聞こえない『声』を感じる力を持っていた。

 それは風の声だったり、石の呻きだったり、夜の囁きだったりする。

 そして今、彼女の中で『声』がざわめいていた。

 ──行け。
 ──竜に、会え。
 ──まだ間に合う。

「うん。行かなくちゃ、行けない気がする…」

 彼女は小さく息を吐いて決めた。
 古文書の地図を手に、東の山に向かうことを。

   ◇
 
「おいおい、ティア。冗談だろ?」

 古書店の店主・アルムおじさんは、ティアの話を聞いて眉をひそめた。

「こんな状況であの山へ行くだって?あそこは〈竜の墓場〉って呼ばれてるんだぞ。昔、何十匹もの竜が死に場所として選んだ場所だ。人が行って、無事で済むわけが─」

「でも、行かなきゃ行けないの。誰かが、呼んでるの」

 ティアの声は静かだったが、揺るぎがなかった。
 アルムはしばらく黙ってから、棚の奥から一冊の古ぼけた本を取りだしてきた。

「…なら、これを持っていけ。〈月涙録〉。お前が前に解読しようとしていた古い文献だ」

 表紙には竜と月の絵。
 そして、光のように淡く浮かび上がる一行の文字。

『哭く竜は、何を祈ったか。』

「これは……」
「何かの役に立つかもしれん。……くれぐれも無理はするなよ。命より大事な経験なんて、そうそうあるもんじゃあない」

「うん。分かったよ、アルムおじさん。でも、私には知る必要があるから─」


 ティアは王都を離れ、霧深い山道を歩き始めた。

 空は相変わらず夜のまま。月は沈まず、風も木々も異様な程に静かだった。獣の気配もなく、ただ、遠くで時折『何か』が呻くような音を聞いた。

 丸一日歩いた頃だろうか。山の頂が目前となった時、ティアはついにそれを見た。

──黒き竜。

巨大なその姿は、まるで雄大な自然そのもののようにそこに存在していた。
翼を閉じ、ただ空に昇る月を見上げている。
そして、また。

──ぽたり。

一滴の涙が、空にとけた。

「…やっぱり、あなただったのね」

ティアの声に、竜はゆっくりと目を向けた。
黄金の瞳が、静かに彼女を見つめる。

「あなたが…月を残しているの……?」

竜は答えなかった。だが、風がざわりと鳴った。



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