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二章

15b

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『ぁあっぁあああああああああああああ……―ッ!!』


 突然だった。ぐしゃっ!ぐしゃっ!と鈍い音が耳に届く。水気の含んだ柔らかい物体が何度も潰されるような音だった。

 音の方に顔を向けて、愕然とした。


「…っ…え……」


 なんと彼女が、自らの顔を一心不乱に床に叩きつけているのだ。


「え……なに…」
「あれヤバくね……」


 その場にいる全員が、その狂った光景に、サッと青ざめる。

 …ぐしゃっ
 …ぐしゃっ

 …グシャッ

 彼女は頭を大きく振り上げ、顔を床に叩きつけ続ける。何度も何度もそれを繰り返す。そのせいで、鼻は曲がり、瞼は大きく腫れ、元々の顔の造形が分からなくなるほど、彼女の顔面は崩れていく。

 彼女の腫れ上がった唇からは『ひぃっひいっ』と恐怖に染まった悲鳴が立て続けに漏れる。その声で誰もが察知しただろう。彼女は自分の意思で顔を潰しているんじゃない。それは明らかだった。

 では誰に操作されているのか。

 パッと辺りを見渡す。あの警察型アンドロイドがそうしているのか。しかし、彼もまたそんな彼女の異様な行動に、当惑したように固まっている。想定内の出来事に対面しているようには到底見えない。


「な、何が…起きてるんだ……」


 誰かがそう呟いた。

 目をうろうろさせていると、クスクスと、愉快そうな声が聞こえる。


『ヒロ、見て。あのアンドロイドは壊れたみたいだよ。顔がぐちゃぐちゃだ』


 耳元で揺れる笑い声。

 「まさか…」と心の中で呟き、顔を上げる。


『僕のほうが綺麗だよね?』


 ゾワリと背筋を震わせると、彼女はボロボロになった顔を天井に向けて、『誤解です!』と叫んだ。


『違います! ごめんなさいっごめんなさいっ…ごめんなさいっ………ま、まさか…貴方と思わず……あ、ぁぁあっ、違うんですっ……決して貴方に逆らおうなど……っ違いますっ…どうか慈悲を…っ、慈悲を……ッッ、お赦しくださいっ、貴方だと知っていたなら…っ…私はこのような愚かな行為をいたしませんでした! お赦しください! お赦しくだ…―襍ヲ縺励※襍ヲ縺励※襍ヲ縺励※襍ヲ縺励※襍ヲ縺励※襍ヲ縺励※襍ヲ縺励※襍ヲ縺励※襍ヲ縺励※襍ヲ縺励※襍ヲ縺励※襍ヲ縺励※襍ヲ縺励※襍ヲ縺励※襍ヲ縺励※襍ヲ縺励※―ッッ!!!』


 彼女は泣き叫ぶ。

 その叫び声は空間を揺らし、やがて金属を擦り合わせるような甲高い音へ変貌し、鼓膜を刺激する。それは脳を掻き乱すような不快な音だった。咄嗟に耳を抑えて、目を閉じる。

 何かが弾けた音だった。その音を最後に、全ての音が止まった。

 次に、目を開けたとき、言葉を失った。操り人形の糸が切れたかのように、彼女がぐたりと床に倒れていたのだ。それだけじゃない。彼女の全身に刻まれた傷からどぷりどぷりと溢れる液体。それは、まるで“血”だ。色こそ人間と異なるものの、青紫の液体は、血溜まりのように床に広がる。

 液体が広がる中心で、彼女はピクリとも動かない。赤く灯っていた瞳は光を吸収したかのように漆黒に染まる。もう二度とその瞳は動かないのではないだろうか。そう思わせるほど、彼女の身体は酷い有様だった。

 まるで“死体”だ。アンドロイドに対して適切な表現じゃないかもしれないが、その言葉が一番、目の前の状況を表すことができた。


「……」


 店内は、しん…と静まり返る。

 ややあって、警察型アンドロイドが動き出す。彼はゆっくりと銃を下ろし、人差し指を耳朶に重ねた。
 

『…破壊措置対象JG-641について報告します。該当機の自己破壊行動を確認。頭部の損傷レベルが90%に達し、電子核が緊急停止した模様。記録映像を送信しました。―…了解。計画を中断。ボディを回収します』

 
 唖然としている俺たちをよそに、彼は淡々と状況を言葉にする。

 そうして彼は店長と思わしき人物と幾つかやり取りをしてから、動きを止めた彼女の肩を半ば乱暴に掴み、自らの首にまわして担ぐ。そして片手をパッと広げて、バラバラと黒い小さな球体をばら撒いた。それは床に落下した瞬間、2頭身ほどの小さなロボットに変形する。


《特殊清掃開始…ンン…アンドロイド…ノ…冷却液…》
《マズイ…ニガイ…》
《面倒臭イ…面倒臭イ…》


 彼らは事件現場などを清掃するロボットのようだ。ブツブツと文句を言いながら、床に広がる液体を吸引し、清掃を始める。そして一瞬のうちに、役目を終えたようで、ロボットたちはくるんと黒い球体に形を戻し、警察型アンドロイドの足元に転がっていった。

 警察型アンドロイドはそんな彼らを拾い上げ、腰にさがる黒いバッグに入れる。

 そして顔を上げた。


『日頃から皆さんのご協力に感謝します。このアンドロイドについて、被害情報があれば我々に共有願います』


 お決まりの挨拶なのだろうか。彼はそう言って、発言を促すように、辺りを見渡す。

 そのとき、チラリと俺を目に留めて、考え込むような表情を見せた。しかし小さく首を振る。それは何か考えが浮かんだが「あり得ない」と否定するような仕草だった。


『…特に問題がなければ、ここで失礼します』


 彼は敬礼をして店を出て行く。

 嵐が過ぎ去ったかのようだった。

 一気に店内は静寂に包まれた。しかし数分後には、ぽつぽつと会話が聞こえ始める。


「…いや~、ヤバかったな」
「アンドロイドとはいえグロすぎ」
「おれ動画撮ったからネットに上げとこ」


 先程までの緊迫した光景が嘘のようだ。やがて店内には何事もなかったかのように笑い声まで沸き起こる。


「真山さん~、災難でしたね~」
「…え……?」


 放心していると、至近距離で声を掛けられ、ビクリと肩を揺らした。

 振り返れば、顔を真っ赤に染めた同僚が立っていた。


「なんかアンドロイド同士の揉め事に巻き込まれてたでしょ?ははは、見てましたよ」
「……」
「契約しろ!って迫ってくるアンドロイドもいるんすねぇ。顔可愛かったしスタイルも良かったけどぉ~~ん~~……感染済みは厳しいっすよね。いや~何事もなくて良かったですよ~」


 酒の匂いを漂わせた彼はヘラリと笑って、俺の背中を叩く。


「てか真山さんってマジで機械にはモテますよね~……社内のモバイル端末とかコピー機とかぁ~、昔から、バグ起こっても真山さんが使うときだけ直るし~……地味に凄いっていうかぁ~…あははは!」
「あはは……」


 酔っ払い特有の中身のない言葉だ。何が面白いのか分からないが、ぎこちなく笑い、曖昧に返す。
 そのとき、腕時計の熱を感じ、チラリと視線を落として、ギョッと目を見開いた。

 液晶画面にはナオがにっこりと微笑んでいて、画面が切り替われば《邪魔者はいらない》という一言が表示された。

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